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2010年6月 9日 (水)

日本辺境論(内田樹)を読んで

 最初に。「へんきょう」を変換したら「偏狭」と出た。日本偏狭論でもタイトルとしてあり得ると思った。ただ、この本の趣旨とは一致しないが。

 日本人論は数あるが、内田氏がより高い視座から大きく捉えなおしたのが本論である。地政学的な条件から日本人は自己を辺境人と捉え、外部の華夷思想を世界観として持つようになった。漢民族が中心でその周辺は属国との世界観であるが、この原理で日本人とその歴史をすべて説明してしまうというのが内田氏の構想なのである。
 辺境人との認識は卑屈なように思えるが、氏は否定的に捉えない。これがあったから中心の制度や文化を素早く持ち込むことができたし、ただ受け入れるだけではなく日本流にアレンジして受容したのである。話は逸れるけれども、日本人は新しい文化の吸収に旺盛であるが、入れるときに旧来のものと対立させることをしない。差し替えしないで継ぎ足すのである。仏教を入れた時には日本の神との対決を避け、習合させていった。焼き物の技術においては、ろくろが入った時に従来の手でこねるやり方が廃棄されるのが他国の通例であるが、日本ではそれも残ってしまう。これらは加藤周一氏の見解であるが、内田氏は加藤周一を読んでおり、相当の影響を受けているものと思われる。視座は違ったとしても、日本人の特徴を語る部分は加藤氏の論と矛盾するところはないのではないかと思った。
 日本人は内に価値基準を持たない。外の基準で動いている。周辺がどう動いているかを様子見して、有利な方向を選択する。ものごとの善し悪しを原理的に判断して自分の行動を決めるのではなく、状況を斟酌して身の振り方を決めるのである。このような特性が国際社会では日本人は何を考えているか分からないという評価になってしまう。「トラ・トラ・トラ」という映画を観たときに、そのなかでハル長官が野村大使の行動に対し、結論をなかなか持ってこないと嘆くシーンがあったが、これも前述の特性を表している一事例であろう。
 日本人はかくあるべきとする信念や理想を創りださない。日本人にとっては今目の前にある現実がすべてなのである。加藤周一は現世主義と言った。死んでからどうなるかということよりも今のご利益がどうしたら得られるかに関心がある。理想がないからどこに向かうべきかはっきりしない。しかし、そのことは功罪ともに合わせ持っているのであり、内田氏は、今はこの特性を冷静に観察するしかないと言う。日本人が古来から持っている思考の型であり構造であるから、簡単には変えることができないという点に氏の主張の重点があると受け取った。

 あまりまとまらない文章になったが、氏の主張は面白いビジョンに基いていると思う。しかし、それがどこまで正しいのか、あるいは未来に対して有効かどうかを考えなくてはならない。文明において先行した中国から観て辺境にあり、島国であることは事実であり、島国であることに由来する日本人の特性については古くから様々論じられてきた。それらと氏の主張が根本的に違うのかどうか。この本のなかにも丸山真男、山本七平、岸田秀、鈴木大拙などの主張が上がっている。これらもまた読んでみる必要がありそうだが、そこまで手を広げることはできない。当面は、加藤周一の日本人論に依って、内田氏の論を評価することにしたい。

 最後に。これを読んでいて、中上健次を思い出した。日本が辺境なら、その辺境のなかにもさらに辺境があり、一つの世界を形成している。中上にとって、熊野は辺境の地である。

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