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2010年6月19日 (土)

「該当者なし」 賞の目的を考える

 賞の選定において、「該当者なし」の発表を目にすることがある。賞と言って、一番なじみの深いものは、文学の世界の芥川賞と直木賞だろう。年に2回発表され、けっこうな注目を浴びる。以前に比べれば小説自体が読まれなくなって、賞そのものの値打ちも落ちたように思えるが、それでも小説を書く者にとっては喉から手が出るほど欲しい賞に違いない。そんな重みのある賞においても、いや重みのある賞だからこそ、「該当者」なしとの結論をたびたび出している。141回におよぶ芥川賞の選考において、30回ほどの該当なしが出ているのである。では、そもそも賞を設ける目的はどこにあるのだろうか。
 賞を設けるときに、そう易々とは賞は出さないぞ。選考委員の大半が意見の一致を見るほどの高いレベルでなければ出さないぞ。そのことで賞の権威を高め、高い権威を目指して文学界の水準を上げよう。そういう合意があったのだろうか。逆に、せっかく賞を設けたのだから、多少の不足には目をつむり、敢えて出すことにより文学に励む者を後押しして文学界の発展に寄与しようという考え方もありうる。実際は、賞を与えるには大きくレベルの差があって選ばれていないのかもしれないし、紙一重で選に漏れているのかもしれない。確かなことは言えないが、何度か選評を見る限りでは選ばれた場合でも見解は割れている。ちなみに、石原慎太郎は概して辛い。
 同じ賞でも選者は変わる。おそらく選者の考え方(賞そのものへの考え方と個々の作品への評価の仕方)にバラつきがあって、微妙な調整のうえで決まっているというのが実際のところなのだと思う。だからはっきりした主義があるわけではなかろう。どちらでもいいような話だが、少しこだわっているのは、勤め先での授賞に関して迷ったことがあったからだ。
 会社ではその期によく努力した社員に対して部門ごとに賞を出して、全社規模で催される会議で表彰する。今年もその時期が近づき、選考を行ったが、一部門で最終的に「該当者なし」を出さざるをえなかった。部門長自身が候補者を上げたもののあまり積極的ではなかったし、目立った社員がいないということは上司の責任でもあるわけだから選ぶことは上司の言い訳と取られかねない。加えて、その部門の社員にとってはなぜあの人なのかという疑問も起こるに違いない。そうすると選ぶ理由が曖昧となってしまうので、結局その曖昧さを残さないためにも「なし」との断を下したのである。ただし、賞を出すことが出来なかったのは部門の幹部の責任であることを付記するという条件を付けた。

 「該当者なし」は選ぶ方からしても辛い。できることなら出したい。しかし、出すには根拠・理由が必要なのだ。それなしに大盤振る舞いしていたら、いつか賞は目指すに値しないものに堕してしまう。

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