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2010年5月30日 (日)

亡き会長から教えられたこと その1

 私が勤務する会社のN会長は2005年8月3日に逝去された。生前は公私共に一方ならぬお世話になり、今でも在りし日の姿をたびたび思い出す。
 N会長は兵庫県に生まれ、高校を卒業したあと大阪市内の薬問屋に勤め、化学系メーカー勤務を経由して自分で事業を興した。そして、創業当時の仲間数名と協力して会社経営に全力を注ぎ、売上高100億円を超える企業に育てたのである。経営全般に関するずば抜けた能力は驚嘆すべきものがあったが、なかでも営業センスと先を読む力には生来の才能を感じさせた。残念ながら私の努力不足でその素晴らしき力を受け継ぐことが出来なかったが、ものの考え方や思想については教えられることが多く、その部分においては財産分与していただいたと思っている。
 N会長は笑顔の素敵な人だった。家内に言わせれば近隣を歩いていると普通のおじさんにしか見えない人物だったが、気さくな人柄も人望に繋がっていたと思う。全国の問屋を歩き回り販路を拡大していったが、各地に会長のファンがいたという。お酒が飲めないということもあったろうが、接待という手法は決して使わず、あくまで商売上の道理で仕事を進める人であった。知恵と情熱と人柄を力とした営業活動だったと思う。
 あらためてN会長の思い出をたどると、礼儀や気配りの仕方について教えていただいたことが多かった。礼儀が出来ていることが営業マンの基本条件であること、葬儀には何を置いても駆けつけること、女性社員への気配りを忘れないことなどを教わった。当社では営業所の事務を長くパート社員に任せていたが、出張で出かけるときはお土産を忘れぬように言われた。定番は「塩こぶ」だった。持っていくと女性たちはご当地の名産品を用意していて、私に持って帰らせる。そういうやり取りが人間関係を強化し、いざという時には無理を聞いてもらえるのだった。葬儀について言うと、岐阜の田園地帯にポツンと一軒存在していた問屋から経営者のおばあさんが亡くなったという知らせが事務所に届いたときに(この当時名古屋営業所に勤務していた。)出張帰りに葬儀に参列した。従業員数名の小さな会社だったため取引メーカーは少なく、葬儀に来たのは当社だけだった。「まさか来てもらえるとは思わなかった。」がその経営者の言葉であった。

 以上を第一段とし、日をおいてまた書くことにしたい。

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