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2010年5月 4日 (火)

東洋対西洋という図式について考える

 「われわれは東洋人であり、西洋人とは人種が違い、考え方や歴史・文化にも大きな違いがある。」
 世界に住む人間を、このような大きな二つのカテゴリーに分けて図式化し、それを枠組みとして歴史や現実を解釈したり、行動の方向を判断したりすることにどれほどの正当性もしくは有効性がありうるのだろうか。(このカテゴリーに属さない人種・民族がいることも断っておく。)
 日本人に、東洋人との自己認識があるのだろうか。アジア諸国の人達からは日本は欧米の国のように見えるらしい。日本人もまた、明治以来一貫して西欧に追いつけ追い越せを合言葉に働いてきたように思う。ただし、戦争前と戦時中だけは、一部の人達は東洋の論理を持ち出してきた。「西欧の列強によってアジア地域が植民地化している。東洋の歴史と文化が蹂躙されている現在、われわれは同胞を守るべく手を差し伸べなければならない。」という思想を掲げ、中国をはじめとする国家への進出を開始した軍部を後押しした。しかし、これはあくまで思想的後方支援であり、進出の客観的根拠は、経済的な矛盾の解決を海外に求めたからに他ならない。西欧化(市場経済の拡大)を目標に走り続けた結果の矛盾を、東洋の同胞に押し付けるとは、明らかに論理のすり替えであって、冒頭に示した図式はペテンのための道具にすぎないのだ。
 最近、また、東アジア共同体という理念を掲げる政治家が出てきた。地理的条件の面から相互依存を強めることには一定の合理性があり、反対はしないが、お互い平等互恵の原則を守ってやってほしい。西欧だ、東洋だと、都合のよい使い分けをしないで、どういう道を選択するのか理性的に考えることが必要だ。ともかく、小さくまとまってしまわないことだ。

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