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2010年5月23日 (日)

「心を病む人」を出さないための共生の思想

 心を病む人が増えている。私が勤めている小さな会社でも、通院している社員が複数いるし、同僚との間で「どうも彼は危ないのではないか。」と噂する社員も複数いる。それでも知人の話などを聞いていると当社はまだましな方であって、もっと高い比率で病んでいる会社が多いのだという。このような状況をどうとらえたらよいのだろうか。
 「心が弱くなった」という言い方がある。これは、病の原因を個々の人間に求める考え方である。科学的に考えれば、その人が育ってきた環境や今現在の環境も大きなファクターとして考察の対象とすべきであるが、存外環境とは切り離して個人の問題にしがちなのである。あの人はわがままであるとか、辛抱強さがないとか、考え方が甘いなどという評価がしばしば聞こえてくる。意外に根強い見方である。しかし、生来の特性も要素としてあるけれども、先ほど言ったようにこれまで生きてきた様々な条件や今そこで生きている環境も要素として考えに入れなければ正しい分析ができず、主たる原因の解明を妨げるであろう。
 組織で生きている以上、役割があり、それに付随して応分の責任を負うべきことは言を俟たない。しかし、そこばかりが強調されると逆に個人の力の発揮を妨げることになる。組織力を高めるためには一方で協力し合うこと、足りない点は補い合うこと、もっとメンタルな面を強調すれば励ましあうという側面に光を当てるべきである。これは純粋に大きなアウトプットを生みだすための組織論的な見解であると同時に、心の病に因る離脱者を防ぐという厚生的な見解でもある。
 心の病を生じると就労は困難になる。そうすると一時的に価値の生産という役割を担うことができなくなる。それでも企業はその人の生活を支えなければならない。これは企業にとっての負担となり、広く見れば社会にとっての負担ともなる。できれば健康に働いてもらうのが本人にとっても、企業にとっても、社会にとってもよいのである。だから、心を損なわないような働き方、職場のあり方、人間関係の結び方を考えなければならないのである。
 競争の思想から共生の思想へと少し重点を移してみるべきではないだろうか。

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