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2010年5月28日 (金)

死を身近に感じた時代 

 社会が急激に変化する時期がある。歴史の本を読むと、日本では3回あったという。一つ目が、中世から近世へと移り変わる時期で、いわゆる戦国時代と呼ばれる時期だ。二つ目は近世から近代への移行期、すなわち明治維新の前後である。最後は現代の始まり、すなわち敗戦からの復興期である。本に書いてあることの受け売りでしかないが、室町時代から戦国時代にかけては鉄の生産量が急増し、また貨幣経済が拡大していった。生産力の拡大期にあったのである。次は、明治維新後、西洋を手本として殖産興業に勤め、この時期にも生産力が増大する。戦後の経済復興、高度経済成長は述べるまでもないだろう。
 振り返ってみると、成長期には様々な混乱も付き物のように見える。戦前から戦中を経て戦後に至る時期には戦争の直接の被害者だけではなく、間接的に運命を翻弄された人びとがたくさんいた。農家の次男坊以下は兵隊になることで戦争に取り込まれていったし、五族協和のスローガンのもと満州国樹立のために日本の官吏とその家族や親類縁者、あるいは日本に仕事のない人びとが移民していった。敗戦後はまた、明日はどうなるか全く予想ができない状況に追い込まれることになった。
 哲学者として有名な木田元さんの自伝的なエッセイを読むと、その時代のことが非常にリアルによく分かる。木田さんの祖父は士族の出身で、父親は高級官吏として満州に赴く。木田さんたちも一緒に海を渡った。初めは暮しも豊かだったが、戦況の悪化とともに厳しくなったらしい。父親は敗戦後2年間シベリアに抑留されたが、官吏の場合は兵隊と違って苦労は少なかっただろうと書いてある。当の木田さんは戦争が終わる前に海軍兵学校の試験を受け合格し、満州を離れて江田島へ。泳げなかったが合格するために2千メートル泳げると書いたそうである。
 さて、今日書きたかったのは、木田さんの兵学校時代の話で、皆必死で勉強したのは成績が命にかかわっていたかららしい。1番の者は海軍省へ行く。2番3番は航空母艦や戦艦に乗る。その次が巡洋艦か駆逐艦。その次が航空隊。下の方になると潜水艦。びりの方は船にも乗れない。陸戦隊に入って敵の戦車隊と戦うような羽目になる。要するに成績が悪いほど死に近いところで戦うことになるわけだ。成績の悪い先輩からは、その後の運命を知ってか、非常に厳しいしごきを受けたそうである。
 木田さんの本からそういう生々しい様子が知れる。また、食糧事情が悪かったことと医療が足りなかったことによる腸チフスなどの病気の発生で命を落とした人も多かったと書いている。そのなかには非常に優秀な人もいたようだ。特攻隊などで死んでいった未来を担うべき若者に加え、こういった病死による優秀な人材の喪失は、後の歴史にとって大きな損失であったことは誰しも認めるところであろう。
 当時は日本国内であっても死を身近に感じる状況であった。それに比べると、今の人びとは死に対するリアリティにかけている。それは悪いことではない。安心して暮せる状況は素晴らしいことである。しかし、問題はそのような状況は歴史的に見て極めて例外的なものであって、多くの犠牲の果てに敗戦を迎えたことが今の平和を生みだしたことを認識すべきである。そうでなければ、再び緊迫した状況を招きかねないのである。

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コメント

こんにちは。
木田さんと生松さんの文学部の公開セミナーを、学生時代に見に行ったことを思い出しました。残念ながら、生松さんは早くなくなってしまいましたが。

自分にとっては、このおふたりの著書に影響を受けたと思います。

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