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2010年5月の投稿

2010年5月31日 (月)

「国家論」(田原総一朗、姜尚中、中島岳志)

 昨日今日でこの本を読んだ。日頃から関心のある内容であるし、討論形式ということもあって読みやすかったが、新たな発見は少なかった。またいくつか同意できない主張もあった。新書なので、ごく普通の読者を想定しているためであろうかあまり深みを感じない討論だったように思う。思い違いだろうか。
 私の理解力が足りないせいか、田原総一朗は何を考えているのか分からない。姜尚中には共感できる部分はあるが、主張が中途半端な気がする。中島岳志はそもそもよく知らないが、この本のなかで自分を保守と規定しているにもかかわらず、どこが「保守」的であるのか不明瞭だ。ただし、小林よしのりとの論争に触れていたところが興味を惹いたので、読んでみたいとは思った。全体としては、「国家論」というタイトルは付けているが、本人たちも冒頭で触れているように原理的な議論は少なく、日本は君主制を維持するのがよいという点だけは三人の意見は明確に一致していた。

 それから参考になった点が一つあって、それは「よろん」に関する説明の部分。「よろん」には二つあって、「輿論」と「世論」。英語で表すと分かりやすい。「輿論」はパブリックオピニオンで、「世論」はポピュラーセンチメント。公的な意見と大衆的な気分である。
 言われてみればそうだったと思う理屈だが、最近はあまりこの二つを分けて考えることがなかったように思うので、役に立った。「世論」の方は、内閣や政党に対する支持率の世論調査で多くの人に意識されている。あのアンケート調査は確かにポピュラーセンチメントを表しているのだが、短期的に変わる気分で政権の行方までを強力に左右してしまうのはどうかと思う。それに大衆の気分がマスコミに強い影響を受けてしまうことは周知の事実で、それが公平さを欠いてしまうことに現代の民主主義の大きな問題点があることもまた事実である。
 一方のパブリックオピニオンについては最近あまり考えなかった。それはポピュラーセンチメントを動かす大きな要素であるべきなのだが、それが見えなかったのである。パブリックオピニオンはどのように形成されるか、あるいは形成されるべきかについてのはっきりしたコンセンサスはあるのだろうか。私は、本来その時代を代表する知識人の発言が大衆の思想をリードすべきだと思うのだが、まずそういう人物が乏しいように思う。私の最も大事にしていた加藤周一もいなくなってしまった。かつての丸山真男のような影響力のある学者もいない。また、時代の良心を代表するような人と大衆をつなぐ媒体もなくなったのではないか。そのように思われる。いや、私が怠慢で聞こうとしていないだけかもしれない。

 これまで、今が時代の曲がり角だという主張を何度となく聞いてきたが、現在の状況は正味そういう時期なのかなと思っている。とはいえ、私個人にできることは、ないとは言えないが、たくさんあるとは思えない。こうやってブログを書いていることも、その少ない行為のうちの一つではある。

2010年5月30日 (日)

亡き会長から教えられたこと その1

 私が勤務する会社のN会長は2005年8月3日に逝去された。生前は公私共に一方ならぬお世話になり、今でも在りし日の姿をたびたび思い出す。
 N会長は兵庫県に生まれ、高校を卒業したあと大阪市内の薬問屋に勤め、化学系メーカー勤務を経由して自分で事業を興した。そして、創業当時の仲間数名と協力して会社経営に全力を注ぎ、売上高100億円を超える企業に育てたのである。経営全般に関するずば抜けた能力は驚嘆すべきものがあったが、なかでも営業センスと先を読む力には生来の才能を感じさせた。残念ながら私の努力不足でその素晴らしき力を受け継ぐことが出来なかったが、ものの考え方や思想については教えられることが多く、その部分においては財産分与していただいたと思っている。
 N会長は笑顔の素敵な人だった。家内に言わせれば近隣を歩いていると普通のおじさんにしか見えない人物だったが、気さくな人柄も人望に繋がっていたと思う。全国の問屋を歩き回り販路を拡大していったが、各地に会長のファンがいたという。お酒が飲めないということもあったろうが、接待という手法は決して使わず、あくまで商売上の道理で仕事を進める人であった。知恵と情熱と人柄を力とした営業活動だったと思う。
 あらためてN会長の思い出をたどると、礼儀や気配りの仕方について教えていただいたことが多かった。礼儀が出来ていることが営業マンの基本条件であること、葬儀には何を置いても駆けつけること、女性社員への気配りを忘れないことなどを教わった。当社では営業所の事務を長くパート社員に任せていたが、出張で出かけるときはお土産を忘れぬように言われた。定番は「塩こぶ」だった。持っていくと女性たちはご当地の名産品を用意していて、私に持って帰らせる。そういうやり取りが人間関係を強化し、いざという時には無理を聞いてもらえるのだった。葬儀について言うと、岐阜の田園地帯にポツンと一軒存在していた問屋から経営者のおばあさんが亡くなったという知らせが事務所に届いたときに(この当時名古屋営業所に勤務していた。)出張帰りに葬儀に参列した。従業員数名の小さな会社だったため取引メーカーは少なく、葬儀に来たのは当社だけだった。「まさか来てもらえるとは思わなかった。」がその経営者の言葉であった。

 以上を第一段とし、日をおいてまた書くことにしたい。

2010年5月29日 (土)

「市場」に見出す積極的な機能

 中国経済の大躍進があってから、市場経済が経済発展の大きな推進力になるという認識が深まったかに見える。企業は利潤の獲得を動機として商品市場に新しい商品を投入する。そのことが経済活動を活性化させ、生産力を拡大するとともに需要の拡大も図られる。しかし、これは肯定的な面を取りだしたのであって、適切なルールを設けなければ許容限度を超えた格差を生じたり、経済の変調を引き起こしたりする。したがって、手放しで市場経済を礼賛することはできないし、それに対する反省も現実に生れている。
 ものごとには分かりやすい言葉を使うと二面性があって、よいことの裏側に悪い面を合わせ持っている。悪いところは放置せず、対策を打ちながらよいところを活かす必要があるが、市場経済の場合にどこに積極的な要素が見出せるだろうか。結論を言ってしまうと、企業が顧客満足を追求することにより、市場に投入する商品の使用価値が高まり、ひいては国民の生活レベルを向上させることにつながることにある。消費者のニーズを徹底的に汲み上げようとするエネルギーを市場経済が促進する。もちろんコマーシャルの力によって要らないものまで買わせることができるのだが、消費者の目も肥えてきているので本当に使って価値あるものしか売れなくなっているのも最近の傾向である。
 市場のないところでは上手く機能しない生産・流通プロセスがある。一連のプロセスとは、「消費者の要求をとらえ、それをもって使用価値のある商品を低コストで企画し、各生産体に製造を割り当て、品質を確保しながら計画通りの生産を遂行し、最終的に欲しい消費者に効率的に配送・分配を行うこと。」である。特に、商品を企画・生産する主体が顧客満足を生みだす「使用価値」をどこまで貪欲に追求できるかについては、市場なしで考えることが難しい。一部の人間が机上で設計するようなやり方では、消費者に役の立つ商品は生まれないだろう。大事なことは、CS(顧客満足)であって、利潤の追求ではない。どんな体制になろうが、そこの原則は崩れないのであって、経営の根本をそこに置いておれば企業は長く生き残ることになる。

2010年5月28日 (金)

久々に憤りを覚えた辺野古移設案への回帰

 もうこうなっては、開いた口がふさがらないどころか、憤りで歯ぎしりが収まらない状態だ。こんな節操のない、信念のかけらもない首相は稀であろう。保守なら保守で、もっとましな政治家もいた。気まぐれな人物に責任ある地位を与えてはならない。口先だけで政治をやってもらうと困るのだ。社民党を決して支持するわけではないが、政権にこだわって沖縄を捨てることをしなかった福島瑞穂には、拍手を送りたい。
 政治は、特に国の政治は少数の意見を捨てざるをえない場面に直面する。それが政治の論理であることも立場を変えれば分からぬことではない。しかし、今の沖縄の問題は少数の問題では決してないし、形勢から言えば臨界点を超えてしまったと言えるのではないか。今後予想されるのは、明らかに鳩山政権の崩壊であるし、民主党の弱体化である。次の選挙では、経済政策とともに沖縄問題への対応も問われざるをえない。
 この先どうなるか分からないが、鳩山政権の迷走ぶりが日本の政治の現実を国民の眼前にさらしたのは大きな功績であったろう。しかし、ただそれだけのことだった。経済は回復するどころかさらに悪化しているように見える。国民総引きこもり状態だが、決して混乱は望まないものの何らかの変動なしには前に進まない状況であることは確かなようだ。

死を身近に感じた時代 

 社会が急激に変化する時期がある。歴史の本を読むと、日本では3回あったという。一つ目が、中世から近世へと移り変わる時期で、いわゆる戦国時代と呼ばれる時期だ。二つ目は近世から近代への移行期、すなわち明治維新の前後である。最後は現代の始まり、すなわち敗戦からの復興期である。本に書いてあることの受け売りでしかないが、室町時代から戦国時代にかけては鉄の生産量が急増し、また貨幣経済が拡大していった。生産力の拡大期にあったのである。次は、明治維新後、西洋を手本として殖産興業に勤め、この時期にも生産力が増大する。戦後の経済復興、高度経済成長は述べるまでもないだろう。
 振り返ってみると、成長期には様々な混乱も付き物のように見える。戦前から戦中を経て戦後に至る時期には戦争の直接の被害者だけではなく、間接的に運命を翻弄された人びとがたくさんいた。農家の次男坊以下は兵隊になることで戦争に取り込まれていったし、五族協和のスローガンのもと満州国樹立のために日本の官吏とその家族や親類縁者、あるいは日本に仕事のない人びとが移民していった。敗戦後はまた、明日はどうなるか全く予想ができない状況に追い込まれることになった。
 哲学者として有名な木田元さんの自伝的なエッセイを読むと、その時代のことが非常にリアルによく分かる。木田さんの祖父は士族の出身で、父親は高級官吏として満州に赴く。木田さんたちも一緒に海を渡った。初めは暮しも豊かだったが、戦況の悪化とともに厳しくなったらしい。父親は敗戦後2年間シベリアに抑留されたが、官吏の場合は兵隊と違って苦労は少なかっただろうと書いてある。当の木田さんは戦争が終わる前に海軍兵学校の試験を受け合格し、満州を離れて江田島へ。泳げなかったが合格するために2千メートル泳げると書いたそうである。
 さて、今日書きたかったのは、木田さんの兵学校時代の話で、皆必死で勉強したのは成績が命にかかわっていたかららしい。1番の者は海軍省へ行く。2番3番は航空母艦や戦艦に乗る。その次が巡洋艦か駆逐艦。その次が航空隊。下の方になると潜水艦。びりの方は船にも乗れない。陸戦隊に入って敵の戦車隊と戦うような羽目になる。要するに成績が悪いほど死に近いところで戦うことになるわけだ。成績の悪い先輩からは、その後の運命を知ってか、非常に厳しいしごきを受けたそうである。
 木田さんの本からそういう生々しい様子が知れる。また、食糧事情が悪かったことと医療が足りなかったことによる腸チフスなどの病気の発生で命を落とした人も多かったと書いている。そのなかには非常に優秀な人もいたようだ。特攻隊などで死んでいった未来を担うべき若者に加え、こういった病死による優秀な人材の喪失は、後の歴史にとって大きな損失であったことは誰しも認めるところであろう。
 当時は日本国内であっても死を身近に感じる状況であった。それに比べると、今の人びとは死に対するリアリティにかけている。それは悪いことではない。安心して暮せる状況は素晴らしいことである。しかし、問題はそのような状況は歴史的に見て極めて例外的なものであって、多くの犠牲の果てに敗戦を迎えたことが今の平和を生みだしたことを認識すべきである。そうでなければ、再び緊迫した状況を招きかねないのである。

2010年5月27日 (木)

「早起き早寝」考

 子供の起床時刻が早くなり、就寝時刻も早くなったとの新聞記事があった。子供が早く起きるようになったのは、親が早く起きるようになったからだ。親が早く起きるようになったのは、勤め先に向かって家を出る時刻が早くなったからである。
 早く出社するのは、個々に見ていけばいろいろ理由はあるだろうが、大きな要素としてあるのは会社から残業時間の削減要求があることだろう。早く退社するためには仕事の段取りを上手くやればいいのだが、往々にして仕事の立ち上げを早める方向に動いてしまう。質より量に考えが向かうのである。
 これは歓迎できない傾向であるが、一方で自己研鑽の意味で早朝の時間を使おうという傾向もある。早起きして本や雑誌を読む、グループで勉強会を行うなど直接仕事には関係ないが間接的に仕事の力量アップに繋がる行動がある。これも、やらないと遅れをとるという脅迫観念に発する場合もあろうが、やっていること自体は悪いことではない。
 外山滋比古さんも書いているが、起きてしばらくの間は新たな発想を生み出すに適した時間帯らしい。外山さんの場合は徹底していて、昼寝を本格的に行って「朝」の時間帯を二度作り出すのだそうだ。サラリーマンには出来ないことだが、面白いやり方だし、そこまでやってしまうことに感心する。
 外圧ではなく、自らの意志で早起きして学びに時間を費やすことは意義深いことだ。休日など早起きすれば一日が長く使える。この効用は非常に大きい。体に疲れがあれば昼寝を少し入れるとよい。こういう生活を続けると、ご褒美のようにして何かいいことがあるに違いない。

2010年5月26日 (水)

酒場にて 某大学同期生4人の会話

 K 「A君、事業仕分けがまた始まったみたいだけど、君のところは大丈夫なの。」
 A 「まあ、国民の皆様の税金を無駄に使ってますからね、仕分けされたらいいんだよ。」
 S 「やけになっているね。生活がかかっているんだからどうでもいいわけないでしょう。」
 A 「転職を考えてますよ。ほんとにどうなるか分からないんだから。税金を使って成果のはっきりしないプロジェクトをやっているのよ。俺は事務方だから、報告書をまとめるのが仕事でね。長い時間かけてまとめた報告書をPDFにしてホームページにアップしたんだけど、なんと途中で切れててね。なんとかしてくれと頼んだら、いったん出したものは簡単に変えられないんだそうだ。」
 N 「さすがお役所だね。変えるとなると誰かの責任になっちゃうもんね。」
 A 「他の国と競って成果を出そうなんて止めりゃいいんだよ。3か月、6か月早く結果出してどんな意味があるの。国同士が協力してやったらいいんだ。どうせ日本の研究費はアメリカの10分の1しかないんだから。」
 K 「そこはよく分からないけど、でもとにかく大変なんだね。N君は、今どんな仕事を。X電機だったね。」
 N 「この3月から出向で子会社に出てます。」
 K 「じゃあ、経理部長だね。気を使うでしょう。」
 N 「従業員が800人ぐらいいて、子会社では大きい方だけど、とにかくコストダウンしなきゃいけないんで無理を承知で指示出してますよ。プロパーの次長が7つ年上なんだけど、言葉遣いにも気をつけてやってますよ。」
 K 「俺は、Z社の子会社のプロパーだから立場は逆だけど、本社から来た部長は俺に気を使ってたね。俺は言いたいこと言うから。この4月に異動になった時に聞いてやったんだ。やりにくかったでしょうと。そしたら、そうですねと言ったからね。」
 S 「それでどこへ異動に?」
 K 「現場ですよ。部下の数が増えたから大変。子会社は利益を出しちゃいけないんで、モチベーションが上がりませんわ。」
 N 「それはそうだね。」
 K 「でも利益を出せばいいと思うんだよ。利益を出して、株主である親会社に還元すればいいんだから。一人だけこの考え方を持った社長がいたけど、すぐに変わっちゃったね。親会社からいかに安く仕事を請け負うかが俺たちの任務なんだ。この前なんか国税が入って大変。親会社の決算が上手くないので安く受けていてね、これは間違いなく見つかるって言ったんだけど案の定さ。分かっていてもセクショナリズムがあって止めないんだ。」
 A 「君の会社の業界も大変なんでしょう。競合の大手がああいうことになったし。」
 K 「そうなんだけど、危機感がなくて。自分の会社も基本的にはその競合と同じなので、水ぶくれになった部分をリストラすべきだが、できない。蘇った競合に勝てないかもしれないというのに。」
 A 「今の若い社員は、給料さえもらえればいいという考え方でしょう。」
 K 「そうだけど、それを放っておくわけにはいかないんだ。会社が向かう方向に引っ張らないといけないんで。S君は経営に近いから分かるでしょう。」
 S 「理念や方針からすべてを組み立てていくよ。結構、皆まじめについてきてくれる。先日、効率化の成果にインセンティブをつけようという提案をしたら、俺たちは金のために頑張っているんじゃないと意見を言ってきた社員がいた。」
 K 「そういうやつは少数だけどいるね。おそらく30代でバリバリやっている人でしょう。」
 S 「よく分かるね。その通り。そんな人ばかりじゃないからインセンティブは必要だと思う。」
 K 「Sの会社はいい会社だと思うよ。安定しているのがいい。」
 S 「地味だけど安定している。給与も比較的いいし、平等だ。しかしそこに不満もあってね。営業職から、適性の関係で製造現場に異動したりすると、彼らは楽をしているという見方が出るのですよ。」
 N 「実際はそんなことないでしょう。現場は現場の苦労がある。」
 K 「俺も職種で差を付けることに反対だね。異動が普通にある会社では、変わるたんびに給料を変えなくてはならなくなる。」
 A 「管理職の皆さんは大変だね。私は若い研修者のために遅くまで仕事をし、税金の無駄遣いと言われ・・・。しかし、旧七帝大の威力はすごいよ。」
 K 「なんですか、急に。」
 A 「とにかく、官の世界は東大が牛耳っているんで。要職を占有して、絶対に放さないから。」
 S 「そりゃ、既得権を守るために連帯するでしょう。」
 A 「まあ、とにかく、頑張っても仕方がない。頑張らないことだよ、皆さん。朝早くから頑張ってるんでしょう。」
 S 「私は7時前に会社に入って、新聞読んだり雑誌読んだりして、それから仕事にかかるね。」
 K 「俺は現場に戻って部下が増えたから朝からメールで指示を飛ばしたり大変よ。結構プレッシャーかかってる。」
 N 「私は電車の混雑を避けるために朝早く出る。通勤で消耗するのはごめんだから。」
 A 「ご苦労さんです。ここはもう時間だね。店を変えて飲みなおそう。」

2010年5月25日 (火)

細かく刻んで考える 成功の秘訣

 千日回峰行を二度完遂したことで知られる阿闍梨の酒井雄哉さんの本が何冊か出版されている。私が酒井さんを知ったのは、NHKのドキュメンタリー番組で一回目の千日回峰行が紹介された時だった。その後2回目に挑戦し成し遂げた。長い歴史のなかでもこれは3人目の快挙だという。酒井さんはインタビューでも語っていたが、ラーメン屋などの職業を転々としたが何一つ成功せず奥さんには自殺で先立たれている。そういう境遇から仏教の世界に入った人で、大学で哲学を学んで僧侶になった人とは一味違っている。学歴がないので立派な理屈は語れないが、経験に裏打ちされた単純明快で分かりやすい説法が持ち味だ。
 酒井さんの話で一つ記憶に残っていることがある。回峰行の最後の段になると一日84kmを走破するらしい。要するにマラソンの2倍の距離を毎日歩く(走る)のである。よくそんな荒行に肉体も精神も耐えられるものだと感心するばかりである。酒井さんはその秘訣を問われて語っている。まずはあそこの岩まで、あそこの木までという具合に途中に目標を設けてある。そこまで頑張ったら、次の目標までまた頑張るのですと。大きな目標であっても、小さな目標に分解すれば一つひとつは難しいことでなくなる。成功とは地道な努力の積み重ねでしかないのだ。
 そういえば、ある長距離ランナーも同じことを言っていた。電信柱を目印にして短い距離を繰り返しクリアしていくのだと。大きな仕事を成し遂げる場合でも、その成功の理屈は実にシンプルであった。

2010年5月24日 (月)

三国駅前 理容ワシントンにて

  阪急電鉄宝塚線三国駅前に理容ワシントンがある。十数年来私の散髪はここでお願いしている。料金は洗髪込みで現在2千円である。店主のおじさんはあまり口数は多くないが温厚な人柄で、馴染みやすい。数年前に、おそらく脳梗塞だろう病気でしばらく休み、その後リハビリしながら少しずつ仕事を続けている。
 理容料金といえば、高いところは今でも3千円以上する。かつては高いのが当たり前というサービス業だった。組合組織がしっかりしていて、値崩れがしていなかった。しかし、バブルがはじけた頃から散髪にそれだけの料金が払えないという空気が広まって、低料金の店が増え始めた。最近では調髪だけで千円というチェーン店化された店が目立つようになっている。
 では、このようなサービスの料金はどのようにして決まるのだろうか。基本的には時間で決まっているように思う。昔ながらに3千円以上とっている店では丁寧に時間をかけて仕上げる。きっちり計ったわけではないが、40~50分程度かけていると思う。2千円のワシントンは30分ぐらいだ。そして千円の格安の店は行ったことはないが、看板には10分と書いてある。結局、早く仕上げれば安くできるということだ。稼働率が問題だが、1時間で3~4千円程度の売り上げを確保しないと経営は成り立たないのだろう。機械化できない仕事だから生産性はすこぶる低い。短時間で済ませれば質は明らかに低下するが、客がそこまでの品質を求めず飽くまで低料金にこだわるから商売として成り立つのである。
 たしかに、毎月出ていく支出なので、安く済ませたいのは自然の流れであるが、丁寧に顔そりをしてもらうと気持ちがよく、気分もほぐれるのである。高いものにはそれなりのリターンがある。単純に安ければいいというものではないだろう。

2010年5月23日 (日)

「心を病む人」を出さないための共生の思想

 心を病む人が増えている。私が勤めている小さな会社でも、通院している社員が複数いるし、同僚との間で「どうも彼は危ないのではないか。」と噂する社員も複数いる。それでも知人の話などを聞いていると当社はまだましな方であって、もっと高い比率で病んでいる会社が多いのだという。このような状況をどうとらえたらよいのだろうか。
 「心が弱くなった」という言い方がある。これは、病の原因を個々の人間に求める考え方である。科学的に考えれば、その人が育ってきた環境や今現在の環境も大きなファクターとして考察の対象とすべきであるが、存外環境とは切り離して個人の問題にしがちなのである。あの人はわがままであるとか、辛抱強さがないとか、考え方が甘いなどという評価がしばしば聞こえてくる。意外に根強い見方である。しかし、生来の特性も要素としてあるけれども、先ほど言ったようにこれまで生きてきた様々な条件や今そこで生きている環境も要素として考えに入れなければ正しい分析ができず、主たる原因の解明を妨げるであろう。
 組織で生きている以上、役割があり、それに付随して応分の責任を負うべきことは言を俟たない。しかし、そこばかりが強調されると逆に個人の力の発揮を妨げることになる。組織力を高めるためには一方で協力し合うこと、足りない点は補い合うこと、もっとメンタルな面を強調すれば励ましあうという側面に光を当てるべきである。これは純粋に大きなアウトプットを生みだすための組織論的な見解であると同時に、心の病に因る離脱者を防ぐという厚生的な見解でもある。
 心の病を生じると就労は困難になる。そうすると一時的に価値の生産という役割を担うことができなくなる。それでも企業はその人の生活を支えなければならない。これは企業にとっての負担となり、広く見れば社会にとっての負担ともなる。できれば健康に働いてもらうのが本人にとっても、企業にとっても、社会にとってもよいのである。だから、心を損なわないような働き方、職場のあり方、人間関係の結び方を考えなければならないのである。
 競争の思想から共生の思想へと少し重点を移してみるべきではないだろうか。

2010年5月22日 (土)

はじめての横浜散策 

 本日、大学のサークル仲間であった友人のA君と彼の奥さんとで横浜に遊んだ。学生時代は東京に住んだが横浜に遊びに行くような機会はなく、就職してからも横浜は東京へ行く時に通り過ぎる町だった。
 今回は前からA君と会う約束になっていたので、彼が横浜の近くに住んでいることもあり、学生時代から知っている奥さんも誘って遊ぶことにした。まずは山手を歩く。教会があり、外人墓地があり、女学校がある。教会ではなかに入り雰囲気を味わう。今日は暑かったので、内部は涼しく気持ちがよい。女学校は、有名なフェリスや横浜雙葉があった。午後だったので、硬式テニス部が練習をしておりボールを打つ音がした。しかしコートは垣根で厳重に囲ってあって女学生の姿は見えなかった。
 坂を下って港に向かう。結構人出がある。雰囲気は神戸の街に似ている。アイスクリームを食べて中華街へ。神戸の中華街よりもずっと規模が大きい。遅い食事をとる。A君はいわゆる独法に勤務しているので、民主党政権による仕分けについて愚痴を聞いた。税金の無駄遣いについては彼も認めるところである。

 今回は出張に乗じて機会を創ったが、旧交を深めることには少なからず効用がありそうだ。私だけではなく、相手にとっても。

インセンティブは必要か 

 インセンティブとは、目標の達成に向けて個人や組織のやる気を引き出すための刺激であり、主に金銭的な報酬として与えられる。
  一時期、成果報酬型の給与体系への移行が声高に叫ばれた。日本経済が長期の停滞期に入り個々の企業の成長も容易ではなくなった時期に、競争原理を持ち込むことで既存の社員のやる気を鼓舞したり、外部から有能な社員を獲得するための方法として導入が検討されたのである。それが極端な格差を生じる中身であった場合には、社員が短期的な成果を追い求めることで弊害が生じ、「成果主義」という表現で批判を受けることになった。
 さて、インセンティブの目的は理解できるけれども、実際に制度化して運用するとなるとなかなか簡単には行かないのである。恒常的な制度ではなくスポットのインセンティブであっても賛否両論あって内容を決めかねるときがある。私の勤務する会社では業務の効率化に取り組んできたが、私は効率化した時間に応じて部門への報奨金を設けることと実績を上げたチームに対して優秀賞を出すことを提案した。これに対して管理職の皆さんは概ね賛同してくれたが、現場からは批判的な意見も出ている。その人達は、これまでの取組のなかで先進的な働きをしてきた人たちだ。彼らに言わせると、「自分たちはお金のために努力してきたのではない。評価はしてほしいが、それは正規の評価制度のなかで行われるべきであって、にんじんをぶら下げるやり方を見せられると逆にモチベーションが下がってしまう。」となる。彼らはよく努力しているし、心意気は非常に分かるのだ。だから、この意見は無視することができない。しかし、これだけですべてを判断することはできない。
 彼らは何年かかけて実績を上げてきたし、成長も遂げてきた。今だからこのような立派な意見が言えるが、最初はそうではなかったはずである。会社全体を見渡すと、まだやっと歩み始めたような未成熟な社員も多い。彼らは、これらの未熟な社員に対しじれったい思いを抱くに違いないが、そこはもう少し高みに立って、どうしたら引き上げることができるか一緒に考えてもらいたい。方法は一つではないだろう。そのなかにインセンティブの選択肢もあると考えればよい。
 お金のためではないと言ってくれるのはすごくうれしい。私もそういう気持ちで仕事をしている。理念や信念や名誉のために頑張っているのだが、結果としての報酬はそれ相応のものが与えられてしかるべきであろう。そのことは誰も否定しない。インセンティブは必要だが、あまり前面に押し出すのは考えた方がよさそうだ。

2010年5月21日 (金)

貧困と想像力

 一般的に所得と行動範囲の広さとの間には相関関係があると思われる。移動するにはお金がかかるからであり、しかも移動した先ではまたお金が必要となるからである。行動範囲とはこのような物理的な移動を意味するだけではなく、人間関係の広さも意味する。人間関係にもお金が付き物である。お茶を飲んだり、食事をしたり、お酒を飲んだりすれば出費がかさむ。冠婚葬祭に伴う負担は馬鹿に出来ない。
 所得の減少は、行動範囲の縮小を生む。節約しようと思えば家でじっとしているのがよいし、お付き合いは控えめにしようと考える。じっとしていれば確かにお金は使わない。しかし、それは思考の貧困を生みだす。好奇心が薄れ、夢を見ることを忘れてしまう。実はこれが一番怖い。窮屈な状況に追い込まれた場合、そこから逃避するには何も考えないことが一つの方法ではあるが、それが常態化すれば豊かな状態に戻ろうとする気力が失われていくのである。
 貧困は想像力を奪う。一般的傾向として、これはある。そのことが貧困の固定化の一つの原因にもなるのである。それでは夢も希望もなく、這い上がることのできない社会になってしまう。これを社会的な問題と考えれば、現状を客観的にしっかりつかみ、その原因と解決の道筋を示す人達が行動し、貧困にあえぐ人達を組織化する必要が出てくる。一方、個人的なレベルで想像力の貧困から逃れる一つの方法は本を読むことだ。本なら何でもいいわけではないが、良書に触れることにより感性の衰えを防ぎ、想像を膨らませることができる。書物を通じて社会を知ることができれば、己を知ることにつながり、己を知ることによって貧しさから脱却して豊かさな生活に反転するきっかけとパワーを得ることになるのである。とはいえ、なんらかのきっかけがなければ本に手を伸ばすことはない。読書経験が少なければいい本の見分けもつかない。それに対する有効な方法は難しいが、サークル活動という形式での読書運動、ボランティアとしての移動図書館運営などが考えられるのではないだろうか。短絡的に考えると気休めにしかすぎないと思われるかもしれないが、限界はあるにしても物理的な制約を超えて人間の精神的な活動に可能性を見出したい。

2010年5月20日 (木)

「チームの一員になれた気がする」

 新人や移籍した選手が試合で初めて活躍した時に、インタビューに答えて、これでチームの一員になった気がするとコメントする例をたくさん見てきた。これは偽らざる気持ちの表現であろう。
 チームの構成員にとっては、単によいプレーをするだけではなく、よいプレーがチームの勝利に結びつくことが重要である。人間の喜びには様々な形式がありうるが、組織への貢献とそれへの賞賛もまた大きな喜びの源泉である。何度となく活躍し、チームにとってなくてはならないメンバーになれば言うことはないが、目立たなくても勝利に対し地味な貢献を黙々と続けていれば、そのことを評価してくれる仲間が現れるであろう。そして、役割を果たしていることの充実感が生れることだろう。そういう形の喜びがあってよいし、実際のところ華々しい活躍をする人は数少ないのであり、地道に努力する人が評価されることの方が社会にとっては大事なことなのだと思う。
 学校を卒業して就職し、初めて給料をもらった時に、改めて社会の一員になったという自覚が生まれる。卒業式に出たり、成人式に出たりすることも一つのけじめであるが、仕事に就くことがこれまでの人生とこれからの人生を分ける明確なけじめになるのである。学生のころは、アルバイトをしたりボランティア活動で少しは社会の役に立っているという気持ちをもてるが、基本的には親や社会に養われているという感覚が強い。そこから抜け出すには、自分で生計を立てることが必要だ。そういう意味では、就職難で職に就けない若者が大勢いるということは、社会への参加の機会を奪い、孤立感を強めることになる。

2010年5月19日 (水)

さんまの味

 さんまという魚に愛着がある。私は三重県南部の出身で、当地では郷土料理としてさんまの鮨があるし、さんまの丸干しがひものとしてポピュラーである。さんま鮨は家庭によって味付けが違う。子どものことから食べ慣れているから自分の家の鮨が一番おいしい。しかし、母親が老いてからは自分で作ることをやめ、店で買うようになった。この場合でも店によって味が違うので、一番自分の口に合うものを選ぶことになる。私は「おくぢ」という店の鮨が好きだ。
 さんまの丸干しも子どものころによく食べた。おもに昼食のおかずだった。熊野灘で獲れるさんまは脂が抜けていて干ものにするのが合っている。開きやみりん干しよりも丸干しがよい。あのしょっぱさが熱いごはんにちょうど良いのである。大抵は二つに切って焼くのだが、私は尻尾の方が好きだった。おいしいというよりも食べやすかったからだろう。

 大阪のデパ地下でも見かけることはあるが、あれははやり生れ故郷の熊野で食べるのが一番である。ちなみに故郷では、さんまのことを「さいれ」と言うが、最近は聞かれなくなった。

2010年5月18日 (火)

落合博満からのメッセージ 

 落合博満については、選手時代のことと監督に就いてからのことで何度かブログを書かせてもらった。一つは、東尾修からの死球に対しバットでお返しの打球を見舞わせたこと。もう一つは日本シリーズでの山井の交代劇のことである。
 後者について少し触れておくと、あの時は論議が巻き起こって落合自身も自分の考えを述べていたが、それも批判的な意見に対して防衛的に後から考えた理屈であって、実際の場面ではあまり考えずにペナントレースと同じように動いたのではないか。そして、それが出来たのは、そもそも岩瀬という信頼できるクローザーの存在があればこそである。彼がいなければ山井を続投させる選択しかありえなかった。落合の判断は岩瀬なしにはありえないし、あのような議論もありえなかったのある。それにも拘わらず、岩瀬の存在に関心が集まらなかったのは、山井の記録に目が行き過ぎていたからであり、どうやって戦いに勝つかという戦略論が好まれなかったからに違いない。言いかえれば、スポーツのプレーを楽しむという次元で捉えたファンが大半であって、スポーツのなかに組織論を見るファンが少なかったということになろう。
 さて、落合から学ぶことがたくさんあると思う。とは言っても、立場によって学ぶべき点に違いがある。大事な点を一つ上げるとすれば、現状の把握は徹底的にクールに、しかしそのなかからプラスになる要素は残らず拾い上げようとする姿勢であろう。落合は決して悲観的ではなく、厳しいけれども楽天家のように見える。2年前だったろうか、川上が抜け、福留が抜け、そしてタイロンウッズがいなくなった時に、それでも今年は一番戦力が充実していると言い放った。これには野村克也も、落合は面白いやつだと苦笑していた。強がりを言っていると思ったに違いないのだが、当の落合自身は本気でそう思っていたのではないだろうか。きっと勝算はあったのだ。どんな状況でも勝ちに結びつく要素を掘り起こす力が備わっていることが落合の強みである。
 これは個々人に欲しい能力であるが、特に組織のトップ、企業であれば経営トップに欲しい資質である。今、日本に求められているのはそういう人間像ではないだろうか。

2010年5月17日 (月)

ふるさとの歌まつり

 小学生のころだったと思う。NHKで「ふるさとの歌まつり」という番組を作っていた。司会は、のちに参議院議員になるアナウンサーの宮田輝さんで、絶大な人気を誇っていた。宮田さんは少し小太りの体型だったので、一部で「ふるさとのブタまつり」と言われていた。
 日本各地をまわり、ご当地の郷土芸能を中心に名産の紹介やゲスト歌手の歌などで構成されていたように思う。これを、当家では祖母、両親、子どもの三代がそろって見ていた。どの家庭でも同じように見ていたのではないだろうか。この番組だけではなく、ドラマやプロレスなども皆の楽しみだった。いわゆる家族の団欒のひと時である。今は一家テレビが3台ぐらいあるのが普通だろう。私の家はまだブラウン管形式のものが1台あるだけだが、全員がそろうのは休日の夕食ぐらいのものだ。平日は帰る時間がまちまちなので、食事の時間もずれてしまう。狭い家なので、お互いに孤立している感じはなく、まだましかもしれない。これが大きな一戸建ての家だったら、それぞれの部屋にこもって食事以外は顔も合わさないようなことになるのではなかろうか。テレビドラマではそういう家族が出てきたりする。
 今日は、たまたま全員が在宅している。子どもたちは、皆飲み会や合宿などがあるのに金がない、金がないと言っている。そういうなら、親も金がない。無い袖は振れないのである。

2010年5月16日 (日)

民主主義について考える (政治的カオスのなかで)

 政治井戸端会議 「民主主義について」

後輩 「今日は民主主義について語りたいのですが、あらためて考えると民主主義って何なのですかね。」
先輩 「治める人と治められる人が一致する政治の体制と言えばいいかな。国家であれば、その政策を国民自ら決められるということだし、地域社会であれば住民が決めるということでしょう。」
後輩 「自治という言葉とほぼ同義ですね。しかし、範囲が広くなると直接口出しできなくなります。代議員を選出して、その人たちが政策を決めていきますね。実際は、ほとんどが間接的な民主主義です。」
先輩 「形式的にはそうなります。物理的な限界がありますから。もっとも戦後しばらくは、国民が直接政治に口出しする場面も多かったように思います。」
後輩 「それは私も思います。私の学生時代は1980年前後ですが、東京では数は少ないけれどもまだデモや集会が行われていました。友人に誘われて国会周辺をデモして歩きましたが、東京にはこんなにたくさんの警官がいたのかと思うぐらい大勢の警官や機動隊員に囲まれましたよ。本当に肌で政治を感じた瞬間でした。」
先輩 「私は70年の頃なので、ある意味今の様なことは日常茶飯事だったね。私の青春時代はまさに政治の季節だった。オフィシャルな政治過程に参加したのではないけれど、あの運動は政治だったんだね。物理的な力であると同時にイデオロギー的な力を十分に発揮したと思う。」
後輩 「学生運動だけじゃなくて労働運動もありましたし、一般の大衆も今より政治を語っていたのではありませんか。」
先輩 「そうです。労働運動は、建て前は経済闘争で、直接政治的な要求は控えるけれど、規模が大きくなれば当然政治的な意味を持ってきます。組合運動が広がりを見せれば大衆も政治化します。今より大っぴらに政治を語っていた。選挙の時には演説会も頻繁に行われて、結構足を運んだものです。活気がありました。その後そういう動きは急速に衰退しました。住民運動という形で民主主義の延命と定着を図ろうとしましたが、関わった人たちが大変な苦労をした割には成功しなかったでしょう。」
後輩 「当時と比べると、今はマスコミだけが騒いでいて、大衆は非常に静かな印象を持ちます。」
先輩 「その通りですね。マスコミがマイクを向けても非常に冷静に答えている。政治に無関心だとは言わないが、距離を置き過ぎているという印象はあります。」
後輩 「全体的に見ると、民主主義は衰退しているように思いますが、いかがですか。」
先輩 「基本的にはそうでしょうね。敗戦直後は、過去の政治に対する強烈な反省があって、自分たちで未来を決めていきたいという欲求も強かったんですよ。そして、それは功を奏した。国民としても労働者としても権利を拡大していきましたから。しかし、60年代も半ばになると高度成長が一段落して不況がやってくる。70年を超えると再び壁にぶつかりますね。それは経済的にも政治的にも言える壁です。復興した後にどこに向かうべきか、はっきりとイメージできなくなった。先日、昔読んだ本を引っ張り出して来て見たのですが、藤田省三さんの「現代史断章」という本のなかで体制の構想というテーマでの議論がありました。70年代の前半に出版された本ですが、すでにこの時期に次の時代のあるべき体制について議論されています。」
後輩 「ということは、そのまま結論が出ないまま現在まで来てしまったということでしょうか。」
先輩 「残念ながらそうなるのではありませんか。議論が進んで、一定の結論が出、多くの人に共有されていれば、今のように政治が右往左往することはないでしょう。政治が短期的な問題にとらわれ過ぎてもっと根本的なところの議論にまで進まなかった。また進める勢力が力を持てなかったということがある。そういう人材を育てる仕組みが封鎖されたということかな。」
後輩 「というと、それはどういう意味ですかね?」
先輩 「うーん。先ほど言ったような、国の行方はどうあるべきだとか、政治の在り方とか、根本的なことを考える人間を作らないような教育に転換されたと思います。要するに深く考えない。とりあえず生きていくに必要な勉強だけはするけれど、あとは楽しくやっていればいい。労働運動なんかやっているより、飲みに行ったり、デートしたりする方が人間にとって大事なのだと思わされたわけですよ。」
後輩 「私などはまだ、先輩からこんな本を読めと言われて読まされた口ですが、今はそういう伝統は途絶えていますね。」
先輩 「ビジネスに結びついた学問しかやらないという空気があるのじゃないですか。ビジネスマンだって一人の生活者ですから、政治の影響を受けるのだし、経済自体が政策の影響で変わり得るのですよ。しかし、現実には政治は外にあるって感じです。」
後輩 「自ら動かすという契機を失っているのですから、民主主義もくそもないですね。影響力を持つそしたら、世論調査ぐらいですか。あれは結構政治を動かしますね。」
先輩 「確かに、あの数字で政権が崩れたりする。しかし、世論調査の規模って、せいぜい1千から2千人でしょう。統計的には、それがほぼ全体を代表しているのでしょうが、誰かはっきりしない少数の選択が政治を動かすというのも納得はできないな。怖いよ。」
後輩 「なんか心配になってきました。これからの日本、短期的な政局も含めて先輩はどう見ていますか。」
先輩 「よく分からんね。みんなの党、たちあがれ日本、新党改革が出来て、それまでにあった小党を含めて訳が分からなくなった。必ずしも政策で一致してるのでもなさそうだし。大体、政策の選択肢がそんなに沢山はないのだから。自分が党首になって目立ちたいだけでしょう。しかし、そうは言っても、そのなかの一部には票が集まるかもしれない。そうすると大きな政党の狭間でキャスティングボートを握る可能性もあります。結局、何十年も同じことを繰り返しているように思います。新自由クラブという政党を覚えていますか。西岡武夫という超渡り鳥的政治家がいましたね。大学の先輩だけど、日本に象徴的な政治家ですよ。情けない。」
後輩 「まあ、嘆いていても始まりませんから。また考え直しましょう。こうやって論議するのもたまにはいいじゃないですか。」
先輩 「わたしら二人ではなんとも頼りないが、誰か引っ張り込んでまたやりましょう。何かいいテーマを考えておいてください。」
後輩 「分かりました。では、今日はここで置きましょう。」

2010年5月15日 (土)

歴史に目的はあるか?

 大そうなテーマである。哲学者であれば自説を明快に(正しいかどうかは別問題だが)述べることが出来ようが、素人には難しい。が、ブログは中身の質がどうであろうとも、なんでも書いてみることに意義があるのだから、気にせず書いてしまう。

 歴史が特定の結末(目的)に向けて進んでいるかどうか。ごく普通に考えれば、そんなことはないだろうと思う。私もそう考える。歴史がどちらに向かっているかは不確定であり、決めつけることはできない。一方で、歴史の目的を認める人達もいる。信仰を持つ人達で、単純に言ってしまえば、彼らは未来において救済されるし、それを導くのは神であるという理屈になるのだと思う。大半の日本人は信仰を持たず、現実的な生活感覚にしたがって生きているのでそういう考えはないだろう。
 繰り返しになるけれども、歴史に決まった終着点はない。ただし、ユートピアを描くことにはそれなりの意味はある。何らかの目的を持って(人やその集団が目的を持って行動すること自体は正しいとか間違っているとかの判断の対象にはならない。動機や意図や行動の仕方において評価されることになるが。)社会を変えようとすれば、理想の世界像を描いて人びとを導くことが企図される。そして、それは場合によっては成功し、一定の成果を残すことになる。もっとも、それでも目指していた理想の社会には至らず、熱した人びともしばらくすれば冷めて元の状態に戻るのであるが、歴史的には何度も繰り返されていることであって、それ自体悪いことではなく、やはり中身の問題であろう。
 歴史に目的がないという事実は、そのことについて信仰や信念を持っている人にとっては希望を失うことになるが、そうでない人びとにとったら何も不都合なことではない。そうでない人びとも世の中をよくしたいと思っているし、自分もできるだけよく生きたいと願っている。そこではどのようにしたいかという意志が大事であり、それを汲み上げてビジョンに組み立てるのは政治家や思想家の仕事である。ここで言うビジョンは、ユートピアなどではなくもっと近い将来に実現すべき社会像である。
 歴史に目的がないということと歴史がどちらに向っているかを考えることとは矛盾しない。過去の歴史および現在の社会の分析によって、社会の変化の大きな傾向性を導くことは可能である。そしてその傾向をもっとも的確につかんだ集団が、もっとも有効な変革の手段を準備することができるだろう。合理性のない活動は社会を変えないであろうし、あまりに小さな集団の小さな力では社会を変えることはできない。もちろん、一単位が小さくても草の根的に広範囲に集団が存在していれば、大きな力になり得ることは言うまでもない。

2010年5月14日 (金)

「プカプカ」という歌 西岡恭蔵

 NHKラジオの「あのころのフォークが聴きたい」でなぎら健壱が紹介しているのを聴いて知った歌である。昭和46年と言えば、私が中学1年生の年で、ラジオも聴き始めていたのだから、知っていてもいいのに記憶にないのはあまりヒットしていなかったからなのか。同じ西岡でも、西岡たかしの方が知名度がある。
 なぎら健壱の話で記憶に残ったことは、歌のことよりも西岡恭蔵自身のことで、奥さんに先立たれたのだが西岡もすぐに後を追ったとの話だった。なぎらが、愛していたんですねとしみじみと語った。ちなみに、なぎらは東京の立石でスナックを経営していたが、その時に店に行ったことがあり、生で歌を聴かせてもらった。

 さて、プカプカだが、いろんなシンガーがカバーしているが、やはり西岡恭蔵(ディランⅡ)が一番いい。しかし、どこがいいのか説明の難しい曲だ。けだるい感じだが、曲はしゃれている。詞も曲もアナーキーな感じのあるのは時代背景のせいか。

 再びこだわるが、すぐに後を追って命を断てるほど女房を愛せるだろうか。

プカプカ(昭和46年)
象狂象 作詞/作曲   西岡恭蔵 唄 
   

俺のあん娘は たばこが好きで
いつも プカプカプカ   
身体に悪いから 止めなって言っても   
いつも プカプカプカ   
遠い空から 降ってくるっていう   
幸せってやつが あたいにわかるまで   
あたい たばこ 止めないわ 
プカプカプカプカプカ

俺のあん娘は スウィングが好きで   
いつも ドゥビドゥビドゥ   
下手くそな歌は 止めなって言っても   
いつも ドゥビドゥビドゥ   
あんたが あたいの どうでもいい歌を   
涙流して わかってくれるまで   
あたい 歌は 止めないわ 
ドゥドゥビドゥビドゥビドゥ

俺のあん娘は おとこが好きで   
いつも ムーーーーーー   
俺のことなんか ほったらかして   
いつも ムーーーーーー   
あんたが あたいの 寝た男たちと   
夜が 明けるまで お酒飲めるまで   
あたい おとこ 止めないわ 
ムーーーーーーーー

俺のあん娘は 占いが好きで   
トランプ スタスタスタ   
よしなっていうのに おいらを占う   
おいら あした死ぬそうな   
あたいの 占いが ピタリと当たるまで   
あんたと あたいの 死ねるときがわかるまで   
あたい 占い 止めないわ 
トランプ スタスタスタ

あんたと あたいの 死ねるときがわかるまで   
あたい 占い 止めないわ 
トランプ スタスタスタ

2010年5月13日 (木)

寿命を延ばす方法 死後のメッセージ

 虎は死して皮を残す。芸術家は死んでも、その作品は残る。没後に作品が評価されても本人は最早確かめようがないのだから意味がないとは思うものの、芸術家にとっては作品は分身のようなものだから、それが多くの人に愛されるのであれば本望であろうと、残った者は思う。生前、没後を通じて評価される芸術家は幸せである。生前は全くと言ってよいほど評判にならず、死んでから一躍有名になるような、例えば宮沢賢治のような人もいるが、これは不運としかいいようがない。有名になったのは、彼の作品を掘り起こして世に出した人がいたからであるが、そういう人がもっと早く現れていたら賢治の生き方もいくらか良い方に変わったかもしれないし、長生きもできたであろう。
 大半の人間は、次第に体力も気力も弱っていき、人間関係も希薄になりつつ死を迎える。彼が業務上で残した足跡も大半の人の記憶からは薄れ、社史などにわずかな記載をとどめる程度であろう。また、最後にひと花咲かせて死んでいきたいという野望を持つ者も、普通の人種にはあまりいない。それに対して芸術家は、最後にいい作品を残して去っていきたいと野心を抱くものではないだろうか。芸術とは一つの社会性であって、自己満足にあるうちは趣味道楽の域を出ない。出来上がったものを他者に鋭く突きつける気迫がなければ芸術ではない。
 さて屁理屈はこれぐらいにして、最近思い付いたことを書きたい。ブログの公開日時を指定する機能があるが、この機能が長く維持継続されるとしたら、大量に書きためておけば自分が死んでからもメッセージを発し続けられるわけだ。受け取る側から見れば、今も生きるブロガーからの言葉と感じられる。自分の感じたこと、考えたことを表現しアピールすることを生きる証と考える人間にとっては、死んだ後も生きていることになる。
 とはいえ、よほど鋭い感性、知性によって生み出された言葉でなければ早々に陳腐化するし、高い質の文章を何百も書きしたためるのは至難の業だ。考えてみたが、簡単ではない。しかも、自分がいつ死ぬかはわからないのだ。癌でも宣告されたら考えることにしよう。

2010年5月12日 (水)

ピン芸人友近 一押し女性芸人 

 女性のピン芸人といえば、古いところでは、泉ピン子、山田邦子を思い出す。泉ピン子は元はキャバレーなどを回る売れない芸人だったが、日本テレビの「ウィークエンダー」に登場して一気に人気者になった。それから役者に転身し、数多くのドラマや映画に出演して活躍している。テレビでは、「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」での演技が印象に残っている。改めて考えると、ウィークエンダーに出ていなかったらどうなっていたか分からないし、「おしん」の母親役に抜擢されなかったら役者としての人生がどうなっていたか分からない。芸人の人生はこういう巡りあわせに左右されるのだとつくづく思う。
 山田邦子は、よく知られているが、フジの「笑ってる場合ですよ」でバスガイドを演じるネタが大受けして、一気に注目を浴びることになった。その後はバラエティ番組を中心に活躍し、長い間好感度ナンバーワン女性タレントの座を維持していた。しかし、ある時期からテレビであまり見かけなって今日に至っている。現在は、本人が乳がんにかかった経験を活かして癌に関する啓蒙活動を行っている。
 さて、この二人以降では強烈な個性を見いだせない。だいたひかる、青木さやか、エド・はるみ、柳原可奈子などがいるが、小粒な印象をぬぐえない。エドさんは役者としていけそうに思ったが、あまり目立ってはいない。そんななかで、私の一押しは「友近」である。まだ活躍の幅は広くなくて、一人コントや物まねの芸域から出ないが、かえってそのことが芸の密度を濃くしている。好きなネタを上げればきりがないが、主婦、教師、デパートガール、クラブのママ、オフィスレディなどの普通の若い女性から果てはおじさんまで演じてしまう多才ぶりである。それぞれの特徴、特性を鋭くつかみ強調することで笑いにつなげている。柳原可奈子と違って演じる領域が広く、しかもそれぞれが全く違ったイメージを創り得ているので、いったい友近という女性の実像はどこにあるのか不思議に思ってしまうのである。加えて言えば、ネタを演じたあとに、ちょっと照れたような表情をするのがとっても可愛い。というわけで、一押しの友近でした。

2010年5月11日 (火)

新手の詐欺 高齢者を騙す手口

 9日の朝刊の社会面に載っていたが、高齢者を狙った新手の詐欺が増えているらしい。その内容は、俳句を新聞の広告に掲載すると持ちかけ金を振り込ませるという手口のようだ。世の中には、電話一本、メール一通で楽をして金儲けをしようという輩が少なからずいる。まともな社会人でないことは明白だが、彼らは彼らで飯の種だから必死で新しい手口を考えだしてくる。狙う相手は、金を持っていて、かつ情報は持たない人達だ。そうなると、第一に老人が狙われるし、次は専業主婦やまだ社会を十分に知らない若者がターゲットになる。若者の場合は金はたくさん持たないから、騙す方としては小金しか稼げないので件数を上げる必要があり、それなりに手間はかかる。自分の経験で言えば、学生の時に神戸の繁華街で声をかけられ、会費を納めれば映画が安く鑑賞できるという誘いに乗って小額であったが払わされた。もっとも、この場合は新聞の片隅に上映会の広告が載ったのでまんざら嘘ではなかった。しかし、その記事を探すのは大変だし、恐らくは狭い映画館と契約して観に来た会員分の料金を払っていたのであろう。騙しに近いやり方だが、こんなことでいくら稼いでいたのか考えると割に合わないのではないかと同情してしまうほどだ。
 さて本題に戻ろう。高齢者は格好のターゲットになる。趣味として俳句をする老人は結構いる。凝れば、メディアに乗りたいという欲も湧くことだろう。そして、大金は持たずとも小金は持っている。新聞に載せませんかという誘いをかけられると、その気になる人も出てくるのだろう。最初は無料ですと誘うが、あとで請求のFAXが届く。記事によると平均で30万円ほどの請求額になるという。払わなければ仕舞いであるが、心細くなって振り込んでしまう人もいる。こういう時には相談する相手がいれば、引っかかることはないのだが、孤立している人が多いということか。振り込め詐欺も同じようなことだが、荒っぽさを押し隠して趣味で攻めてくる点は頭脳的である。情報が回って注意が呼びかけられると騙される確率がぐっと落ちてくる。次はどんな新しい手口が考えられるのだろうか。とにかく、安易に振り込まない、送金しないということが大事だ。

2010年5月10日 (月)

痛ましい事故 高速道路で親子3人死亡

 5月8日の朝に起こった事故である。中央高速の路上でパンク修理中の車両に大型トラックが衝突し、作業中の親子3人が死亡した。報道によれば車両は車線上にはみ出していたということであり、大型トラック運転手の注意不足が主たる原因とはいえ、いくつかのリスク要因が重なって発生した痛ましい事故としてとらえられる。
 日本の交通事故死者数は万博のあった1970年にピークに達し、年間16,765人であった。その後減少に転じたが、80年代に再び増加し、1992年に第2のピークを迎えた。その後は基本的に減少を続けて、昨年は5千人を割るところにまで来ている。ちなみに、ここで言う死者数は事故から24時間以内に死亡した人の数であり、30日以内に死亡した人までカウントすれば数字は2割強増える。
 死者数の増加要因は誰の目にも明らかなように、経済の高度成長にともなうモータリゼーションの波に交通対策が追いつかなかったことにある。あまりの惨状に政府も腰を上げ、それなりに予算をつけて対策を打った結果減少に転じた。先日大和ハウス工業の会長である樋口さんが書いた本を読んだが、創業者である石橋さんが交差点の危険を訴えて歩道橋を寄贈したという話があり、民間の努力もまた交通安全に貢献していることを知った。
 減少の要因をもう少し考えてみると、いくつかのポイントが浮かび上がる。ただし、検証はしていないので私の推測の域を出ない話だが。一つは、交通規制の強化である。シートベルトの着用義務化と飲酒運転の取り締まり強化および罰則の強化である。これが効いている。第二は、車両の改良である。衝突に強いボディの開発やエアバッグの装着などが上げられる。第三は、救急医療の進歩である。以前であれば亡くなっているであろう人が救命処置によって助かっている例が少なくないと思われる。他にも企業における安全運転の指導強化など、身に覚えのある対策があり、相乗的な効果となって現在の数字に至ったということができる。
 さて、そういう状況下にあっても発生した8日の事故は痛ましい限りである。子の一人と親類一人は車両から離れていて助かったということだが、残された方もいたたまれない。私は車を処分して以降長く車に乗らないが、かつて頻繁に長距離を運転していたころは高速道路上に停車している車には危険を感じたものだ。できることならば、等間隔で安全に車両を停止できるスペースを設ければ、少し走れば止められるという余裕ができて安心できる。トンネル内はあまりに危険なので無理だろうが、それ以外の場所は検討してもよい。
 たまたま運転中に故障やパンクがあったときは、見通しのよい場所に移動する、三角板を設置するなどの手を打って自己防衛を図られたい。

 

2010年5月 9日 (日)

川口裕選手判定で勝利(2010年5月9日大阪IMPホール)

 観戦には行けなかったが、大阪IMPホールで行われたボクシングの試合で、かねてから応援しているグリーンツダジム所属の川口裕選手が、ウォズジムの山本選手に3対0の判定で勝利した。これで戦績は12勝4敗4KO勝利となった。
 川口選手はデビューして5年半のキャリアを誇るが、まだ23歳という若さなので今後が非常に楽しみである。早くランカーを倒して日本のランキング入りを果たしてほしい。もちろん本人の夢は世界チャンピオンである。

 http://j-boxwest.com/schedule/

集団で人を育てる文化について

 深夜のラジオ番組でスポーツの話題が取り上げられていた。NHKのスポーツアナウンサーがサッカーの試合を観戦した感想を述べている。アウェーで行われた日本対オランダの親善試合であるが、その話のなかで印象に残ったのは、オランダの観衆の応援の仕方である。オランダの選手がゴールを狙ってシュートを放ち、それが失敗に終わっても拍手が沸き起こる。何度失敗してもそれは変わらない。果敢にチャレンジすることを讃えて、選手に対してさらなくチャレンジを促すのである。そのアナウンサーは、こうやって皆で選手を育てていくんですねと話していた。逆に、日本だったら失敗が続くとため息が漏れたり、厳しい言葉が出るだろうという意味のことも言っていた。
 人を育てるという(「作業」というと機械的だし、「事業」というと大げさだし、「行為」というと系統性がなくなるし・・・。「プロセス」あるいは「一連の行為」と言えばいいだろうか。)プロセスにはいろいろな形がある。親が子を育てる場合。教師が生徒を育てる場合。前者は少数が少数を育てるケース。後者は少数が多数を育てるケースである。いずれも教育としては一般的な形で、日本でも熱心に行われており、歴史の一時期においては成功を収めてきた。では、それとは別に、先ほどサッカーの例で示したような多数が少数を育てるという形はどうだろうか。
 日本では、そのような形はあまり見られないのではないか。教育と言えば、非常に私的なものという捉え方が強固である。親が子を、将来食べていけるように学校へやるとか、笑われないように迷惑をかけないように躾けるとかいう要素が強い。あるいはその正反対で、国家が国家として必要な人材を育成するために行われる「公」教育がイメージされる。
 かつては、ひとまずその善悪の判断は置くにしても、地域で人を育てようとする文化があったし、広く大衆が人を育てるという空気もあった。育てられる側はエリートになっていくのだが、今と違って彼らには地域や国家のためにいい仕事をしてほしいという強い期待がかけられていた。歴史を振り返ると、ある特定の地域が多くの偉人を排出している。ここには歴史的、文化的なファクターがあるに違いない。そのなかに、わが村から(郡から、県から)人を出したいという集団的な欲求も含まれるのだと思う。封建的な遺物として捉えられなくもないが、そこに否定的な要素だけ認めるのは適切ではない。いわゆる公(パブリック)が不完全ではあっても封建的な遺制として生き残っていたのであり、逆に近代的な市民社会のなかでは新たに形成されなかったということだろうと解釈できる。
 さて、話は逸れるが、前述のような事例が今でも残っているのだと驚いた経験がある。それは長男が私立中学に入学した時の話だ。入学式で祝電が披露されたのだが、その中に、ある生徒にむけて出身地の子ども会から届いたものがあった。私立中学への進学は今の社会では極めて私的な事柄であるにも拘わらず電報を打ったのは、少なからずそういう生徒を出したことを名誉と感じる精神の在りようのせいだろう。あるいは、その生徒の親が子ども会活動で大いに貢献したのかもしれないが、その場合でもそういう活動自体が存在していることや、それに対して祝電という形で応ずること自体が公的な要素を持った地域性を感じさせるものである。

 サッカーの話に戻るが、集団で人を育てるという件に関連して、身近な例で会社における人材育成を考えた。上司が部下を育てるのは、その責任において当然であるが、部門部署に拘わらず、全体で人を育てるという発想が必要である。互いに無関心であったり、足の引っ張り合いをしていたのであれば人は育たず、ひいては組織力の低下に結びついてしまう。特に新人には声をかけたり、アドバイスしたりする必要があるし、中堅やベテランでも張り切って仕事をしている人には賞賛の声が寄せられてよいだろう。そういう風土ができてくれば、「動的な」組織に変わっていく。まずは、集団が人を育てるという機能を持ちえるということを認識してもらわねばならない。それには、オランダの観衆の例は非常に分かりやすい。

2010年5月 8日 (土)

マークスの山 高村薫

 連休中、足掛け4日かかって高村薫著「マークスの山」上下巻を読みとおした。合わせて700ページを超える長編で、正直言って疲れた。読もうと思ったきかけは、もともとこの小説を知っていたのもあるけれど、古本屋で目にとまったからである。正価の半額以下で上下揃っていたので休み中に読む気になって買ったのである。
 さて、内容であるが、基本的には面白かったと言ってよいだろう。いい作品の特長は、とにかく先を読み進めたいと思わせる力にある。次の事件はどこで発生するのか、真の動機は何なのか、AとBはどこでつながってくるのかなど、興味を引き出す仕掛けに富んでいる。そういう意味で、この作品は長編であることもあり、非常に手が込んでいる。精神障害をもつ連続殺人犯水沢と飯場で殺人を犯す岩田の生い立ちとつながり。そして岩田の捜査を手掛ける山梨県警の佐野と水沢を追う警視庁の合田を加えた互いの因縁が、「MARKS」と呼ばれる暁成大学出身のエリート5名の隠ぺいされた過去の犯罪を掘り起こしていく。
 細かい内容を追っていく余裕はないので、これ以上触れずにおく。その代わりにいくつか感想を述べたい。感想と言うよりも疑問と言った方がいいかもしれない。まず、水沢がMARKSの5人をあのように執拗に追い詰め、想像を絶する残虐なやり方で命を奪った動機は何なのか。直接は、水沢が浅野邸に侵入した際に入手した彼の遺書であり、そこにMARKSの過去が暴かれていたことに始まる。しかし、彼らに対する憎悪(それが何らかの形で生れていなければ水沢の行動は説明しがたい)はどこから来ているのだろうか。極度の精神障害は合理的な説明を拒絶するという解釈もありうるが、読者の疑問は残る。次に、警察内部の人物を多く登場させて、彼らのやり取りを過剰なぐらい描いているが、そもそも警察内部の人間模様などストーリーを厚くする役割を持つとはいえ、本線に濃密にかかわってくるとは思えない。結局、多くのやり取りにも拘わらず事件に対して多くの影響力を持ちえないのだが、それは警察組織の限界を描きたいという作者の願望だったのだろうか。結果は、水沢が好き放題やって、好きなように死んでいったという結末を生んでしまうことにもなっている。最後に、偶然に偶然が重なって想定しない展開を生むのがサスペンスの醍醐味だが、あまりそれが頻発すると創作とはいえ、不自然さを必要以上に感じてしまうのではないか。ほんの一つ二つのちょっとした偶然が人間の行動、ひいては人生に影を落として破滅・破綻に導くような筋の推理小説もあり、そういうものに逆に恐ろしさを感じることもある。それも書き手の力量によるのだが、一方でそんなことを思ってしまうこの小説の展開であった。
 最後に思ったこと。水沢に死なれた、看護婦の高木真知子はこれからどうやって生きていくだろうか。映画では、真知子を名取裕子が演じたらしいが、あまりに私のイメージと違っている・・・。

2010年5月 7日 (金)

勝間和代氏 「だめだこれ」発言で叩かれる

 今や飛ぶ鳥を落とす勢いの勝間和代氏が「だめだこれ」発言で叩かれ、謝罪文を発表している。
 彼女は非常に有能な女性で、努力も重ねて社会的な評価を勝ち得てきた。そのことは素直に評価しているのだが、人間有名になって周囲から持ち上げられると、(周りは、先生先生と言うのだろう。確かに、私も講演を催すときに講師に対して思わず先生と言ってしまう。)ついつい自分が現実以上に偉い人間だと思い込んでしまうのである。
 本当の知性とは、名もなき大衆や弱者も含めて社会認識をしっかり持ち、そのなかで自分の立場を心得るところに土台を持たなければならない。そういう意味で、彼女もこれを機会に自分の知性のあり方を考え直すべきだと思う。

鹿に衝突 JR紀勢線の普通列車での出来事

 5月1日の午後8時ごろ、JR紀勢線新宮行き普通列車に乗車していたら、何かにぶつかった様な衝撃があり、しばらくして警笛がなり、急ブレーキがかかった。それほど大きな衝撃ではなかったので、線路上に何か物が置かれていて、それとぶつかったのかと思った。乗客は皆落ち着いたもので、静かに案内の放送を待っている雰囲気であった。数分後車掌から、鹿と衝突したので車両の点検をするとの説明があった。そして20分余り経過して運転を再開した。
 このような事故はしばしばあることなのかネットで検索すると、頻繁に起こっていることが分かった。同じ紀勢線だけでも年間数百件もあるという。たしかに、以前にも山あいの駅近くで鹿の群れを目撃したことがあったが、線路の周辺を群れで徘徊されたなら事故も起こるというものだ。ネットを張っている場所も見かけたので対策は打っているのだと思うが、有効な手を打つには至っていないということだ。子どものころから乗っているが、昔はこんなことはなかったと思う。鹿の頭数が増えたのか、生息域に変化があったのか、過疎や無人駅の増加が影響しているのか。本当の原因は分からないが、地方の交通機関にはこういった問題も存在していることを知った。

2010年5月 6日 (木)

GW中の最大のニュース 石川遼の逆転優勝

 5月2日の午後、あまりテレビを見ない私だが、プロゴルフの男子ツアー中日クラウンズの中継にスイッチを合わせた。その瞬間、石川遼が-13で上がった映像が流れ、これで逆転優勝間違いなしとのアナウンスが流れた。そしてコマーシャルに切り替わったのだが、私はこれは過去の映像を流したものだと理解した。それは前日のスコアからあまりにも離れており、3日目を終った時点ではとても優勝に手の届く位置にはいなかったからである。私はゴルフは素人であるが、プロであっても和合のコースではそう簡単にいいスコアが出ないことは知っているので(過去の中継などから)そう考えたわけである。
 しかし、コマーシャルが終って再び中継に戻ると、今日の石川遼のプレーが流れる。アプローチが直接入ったり、ロングパットが決まったりで、見ていて鳥肌が立ってしまった。すごいの一言である。以前にも、石川はタイガーウッズと並び称するのは憚るにしても、普通の選手ではないと書いた。それはショットの精度が他の選手とは次元が違うという意味である。平均ストローク数などを比べれば大きな差はないが、いいプレー、思い通りのプレーをした時の質が違うのである。他の選手は、いいショットをすればピンに絡んでいくが、石川は直接入ってしまうのである。これはタイガーに似ている。いくら技術を磨いても、ピンに近寄る確率は高まるものの、プレー中に直接入る確率は、しばしば目撃できる程度まで高まらない。それを石川は一つのラウンドのなかで集中的に実現してしまうなにかを持っているのだ。これは、神業と言えば分かりやすいだろうか。しかし、神様が付いているはずはない。これは、あくまでプレーの実力の問題である。決め手は、気合いが乗って行った時の集中力のレベルの違いなのだ。全神経、全肉体が、ワンショットのために総動員されるのだ。もちろん、風などの情報もインプットされた上で。それが機械で測ったような弾道を生むのである。

 ワンラウンド-12は倉本と並んでツアータイ記録だそうだ。倉本と違うのは、間違いなく石川はこれからも同じようなプレーを再び見せてくれるということだ。
 最後にもうひとつ、今回のことで付け加えると、イーグルがないということだ。バーディーが12。これは、プレーの質の高さを改めて物語っている。

2010年5月 5日 (水)

休みばかり多くても・・・ 少々愚痴を

 休みが多いことは有難いことであり、これが少なければ休みを増やせという要求も出てくるのだが、あればあったで持てあますことにもなりかねない。
 労働で疲れた体や精神には休息を与えることが必要だ。また働こうという意欲やエネルギーを生むには疲労を癒す時間が必要あり、そのための「場」も必要になる。それは大抵の場合、「家庭」ということになる。今は週休2日制をとっている企業が多くなり、制度通りに休めれば休息には十分かと思う。なかには2日取れなかったり、不定期だったりして十分に休息できない勤労者もいるので、そういう方々は大変だと思う。
 普段はそういうわけで、2日の休みを1日は読書などに使い、1日は外出も含めゆっくり過ごすようにしてペースが出来上がっている。しかし3日以上の長期休暇となると、場合によっては時間をもてあますことになる。もともと長期休暇は、まとまった時間を使って旅行に行ったり、遠出したりと、家族で時間を過ごすことを想定しているように思われる。しかし、当家ではどうかというと長男次男は大学生で、サークル活動とバイトでスケジュールが埋まっており、三男もクラブ活動で忙しい。全員で動くという機会は、年に一度あるかないかである。そしてお気づきのように三人も子がいると経済的にも余裕がない。先立つものがないから旅行なんて夢の夢である。
 そういう事情なので、とにかくじっとしているしかない。こうやってパソコンに向かうか、本を広げるか。しかし、そればかりだと逆にストレスもたまる。せいぜい、野球の試合を観に行くぐらいのことで、行き場がないのが現実なのだ。スポーツをやればいいという指摘もあろうが、腰を痛めているので激しい動きは禁物だ。痛みが来ると生活にも支障をきたす。

 とか言ってると、後ろ向きになってますます憂欝になってくる。前向きになりましょう。近場でいいから外へ出ましょう。近いところにも意外にいい場所がありますよ。芝生に座ってじっとしているだけでも気が晴れるでしょう。入場料の要らないスポーツの試合だってあるかもしれない。同じように退屈している人達が集まって何かをやろうというネットワークだってあるかもしれない。要は、動いてみることですね。分かっているんだったら、愚痴を言わずに先に動けって?その通りですな。

2010年5月 4日 (火)

東洋対西洋という図式について考える

 「われわれは東洋人であり、西洋人とは人種が違い、考え方や歴史・文化にも大きな違いがある。」
 世界に住む人間を、このような大きな二つのカテゴリーに分けて図式化し、それを枠組みとして歴史や現実を解釈したり、行動の方向を判断したりすることにどれほどの正当性もしくは有効性がありうるのだろうか。(このカテゴリーに属さない人種・民族がいることも断っておく。)
 日本人に、東洋人との自己認識があるのだろうか。アジア諸国の人達からは日本は欧米の国のように見えるらしい。日本人もまた、明治以来一貫して西欧に追いつけ追い越せを合言葉に働いてきたように思う。ただし、戦争前と戦時中だけは、一部の人達は東洋の論理を持ち出してきた。「西欧の列強によってアジア地域が植民地化している。東洋の歴史と文化が蹂躙されている現在、われわれは同胞を守るべく手を差し伸べなければならない。」という思想を掲げ、中国をはじめとする国家への進出を開始した軍部を後押しした。しかし、これはあくまで思想的後方支援であり、進出の客観的根拠は、経済的な矛盾の解決を海外に求めたからに他ならない。西欧化(市場経済の拡大)を目標に走り続けた結果の矛盾を、東洋の同胞に押し付けるとは、明らかに論理のすり替えであって、冒頭に示した図式はペテンのための道具にすぎないのだ。
 最近、また、東アジア共同体という理念を掲げる政治家が出てきた。地理的条件の面から相互依存を強めることには一定の合理性があり、反対はしないが、お互い平等互恵の原則を守ってやってほしい。西欧だ、東洋だと、都合のよい使い分けをしないで、どういう道を選択するのか理性的に考えることが必要だ。ともかく、小さくまとまってしまわないことだ。

2010年5月 3日 (月)

ゴミをポイ捨てすると不幸になる

 会社の周りを掃除するようになってから十数年たつ。それまでもゴミをポイ捨てするような人間ではなかったが、掃除するようになってからは余計に道路にゴミが落ちていることに注意深くなった。
 徒歩通勤の途中に、道幅は広いが通行量の少ない道があるが、そこでは駐車して休憩するドライバーが結構いる。朝早く歩くと、道端に弁当のパックなどがまとまって落ちている時がある。食事をとった後、まとめて捨てて立ち去ったのであろう。そんなゴミの山を見た時には、捨てた人はきっと良い人生を歩まないだろうと思ってしまう。不幸になったらいいというような懲罰的な気持ちではない。そういうことをして平気でいられる人は、ほかのことでも配慮に欠け、人からは信用されず、結果として周りから見たら不幸と思える人生を歩むのではなかろうかという予感である。
 ゴミは、小さいものはポケットに入れ、大きいものは鞄に入れて持ち帰ってほしい。旅の途中で出たゴミまで家に持ち帰ることはないだろう。ただし、家のゴミをサービスエリアで捨てるのはやめてほしい。あり得ない話だが、実際にいるというから驚きだ。

 通勤途中で、歩道に犬の糞が落ちている。人が見ていると、糞をすくって袋に入れているが、見ていないときは飼い主はそのまま立ち去ってしまうのだろうか。その人には、神も仏も、道義心もないわけだ。

2010年5月 2日 (日)

最近の経済情勢についての基本認識

 月に一度、勤務先の社員向けに「当社を取り巻く状況」というタイトルの文書を作成している。経済分野に限った内容で、主にネットの経済ニュースから拾い、出所を明らかにしたうえで掲載する。
 月に一度でも情勢は大きく動くことは少ない。リーマンショックの時はさすがに衝撃的であったが、通常は半期、通期で見てみると変化がよく分かることになる。記事の内容は、おおよそ決まってしまう。月例報告と短観は基本情報として欠かせないし、その他追っていくデータとしては鉱工業生産指数、完全失業率、完全失業者数、所定内給与、所定外給与、外食産業売上高(前年比)、外食産業客単価(前年比)などである。外食産業の数字を見るのは、個人消費の動向を知るための参考になるからである。
 現状は、鉱工業生産は徐々に回復してきているが、それはまだ一部の分野に留まっており、幅広い景気回復までにはなお時間を要するという見方が妥当であろう。数字を押し上げているのは新興国への輸出の堅調さであり、政府の財政支出に依る自動車産業や家電産業分野での需要創造であって、この二点が際立っている。もちろん、これが他の産業分野へも波及効果は持つのであるが、それはまだ目立って表に出てきていない。雇用の分野で言えば、失業者が長期にわたり増加し続けているし、給与所得の変化で言えば、所定外は増加したものの所定内給与は減り続けている。また、個人消費の状況を外食で見てみると、来店者数は増えたものの客単価が低下し、売上高は減少している。
 一部大企業では、先ほど上げた二点の要因に依る売上高の増加やリストラ・コスト削減効果によって増益の傾向が見えているが、中小企業は依然厳しいし、リストラ・コスト削減によってはじき出された労働者の存在も重たい。個々の企業においては、経営努力を続けるほかはないのであるが、政府の経済政策においては本当に有効な対策となっているのか議論が分かれるだろう。少なくとも特定の分野には効果が出ているのだから、恩恵を受けた企業はそれを利益に持っていくのではなく、雇用の創出や労働者の待遇改善に持って行ってもらいたい。それによってお金が循環する動きが生れるのである。もともとは、国民の税金が元になった政策ではないか。

2010年5月 1日 (土)

三交替制 深夜勤務の負荷について

 先日、ある電機メーカー系の人材派遣会社の方とお話をした。その電機メーカーでは3交替で24時間工場を動かし、コストダウンに努めているという。あなたの会社でも交替制をとっているのですかと聞かれたが、うちは普通に9時から5時まで動かしているだけですと返事した。もともと業種が違うので、電機のように大量生産でコストを下げないと勝負できないような市場で生きていない。深夜労働の請負なら任せてくださいという勧めだったが、特に必要とはしていない。深夜の労働など、しないに越したことはないのだ。
 とは言っても、世間にはそういう労働に就いている人はたくさんいるわけで、肉体的にも精神的にも大変だろうと思う。近代的な工業生産が発展するまで、人間は夜間に労働することはなかった。日の出とともに活動を始め、日の入りとともに休息に入るのが体に染みついた生活のサイクルであった。それが、産業の発展、社会の発達とともに徐々に崩れていく。深夜労働は、先の例で上げたように経営からの要請である場合もあるし、インフラ関連の作業の様に社会からの要請である場合もある。
 今となっては避けられない仕事もあるのだが、先ほど言ったように肉体への負荷が大きい。その点は、休息、休日を多くするなどの配慮が必要だし、待遇も考慮されるべきだ。これは統計資料に基づかない推測だが、深夜労働を長期間続けた人は短命なのではないかと思う。同じ肉体労働でも農家の場合は今まで見てきた範囲では比較的長寿のようだ。雨の日は休息し、農閑期もある。寒い時期は仕事をせず、暑い時期は早朝と夕方に労働を集中させて消耗を防いできた。ある意味個人経営だから調整が利く面があったのだ。それに対して工場での労働は決められたスピードで作業が流れており、個々の事情は考慮されない。
 考えてみれば、そういう労働を担ってくれる人達に支えられて生活が成り立っているのだから感謝しなければならない。眠っている間に世間がどのように動いているのか、あまり考えないものだ。滅多に考えないことを人材派遣会社との面談のなかで考えさせられた。

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