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2010年4月11日 (日)

政治と経済との関係 

 経済(経済活動、経済社会)にどの程度政治が関与すべきか。その程度によって、政治的な立場の違いが現れる。市場の自律性を認める者は政治の介入を嫌うし、市場が不完全だと考えるものは政治(政府)の役割を重視する。

 理想は、経済活動・経済社会が文字通りに自律していて、何ら政治的な介入を必要とせず、矛盾なく発展する状態である。歴史上にこの様な社会があったかというと、極めて例外的に限られた時代の限られた地域で見られるだけである。この逆は、政治が経済を丸のみする体制で、社会主義国家による計画経済があるし、戦時の統制経済もこの例にあたるだろう。いずれにしても国家権力が絶大であり、その権力の性格も考慮にいれる必要はあるけれども、そのままでは理想とは正反対の状態だと言わねばならない。ちなみに、マルクス主義の理論では真に自由で自律した社会への過渡的な段階として社会主義国家が規定されており、その意味において正統性が与えられている。

 自律した純粋に経済的な社会が理想だとはいうものの、現実の世界には政治という現象が現れざるをえない。自由放任という言葉があるけれども、どんなに自由な経済活動と言えども、一定のルールに従わなければ成り立ちえないのであるが、それが普遍的なルールになるためには政治的な正統性を付与される必要がある。ルールの設定は、市場の弱点を補正するための技術的な問題のようにも見えるが、実はその線の引き方自体に政治性を帯びている。制度の設計の仕方によって特定の階層あるいは階級を利することになるからである。よりラディカルな見方をすれば、そもそも、階層(階級)が存在していることが政治の根源であると言えるだろう。そのような社会においては、経済的ルールの設定が公平に行われることが不可能である。

 真に自由で自律した社会とは、政治のない社会であり、階層や階級に分化しない社会である。そこでは、生産のための手段が市民に広く共有され、共通の利益のために活用される社会である。しかし、原理的にそういう社会を想定することはた易いが、手段の共有とはどういう状態を指すのか、共通の利益とは何を指すのか、具体的なイメージとして想定するのは容易なことではない。現実には、そういう要素を実験的に順次社会に取り入れながら、個々人は、経済運営に参加できる主体として成長し成熟することしかないと考える。これをもっと分かりやすく言うならば、労働者が経営に参加することで組織を運営する能力を身につけることであり、経営の側も労働者の積極的な役割を認めて積極的な経営参加を促すことなのである。

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