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2010年4月22日 (木)

国を富ませるとはどういうことか 

 近年、日本の経済が元気を失くしている。デフレが続き、成長率が落ち、国民も将来への展望をなくしている。総じて「需要」が不足しており、生産の拡大が見られず、労働の成果物としての富は減衰している。
 富の源泉は、材料としての自然とそれを加工する労働という行為である。自然と労働の結びつき方にはいろいろな形がありうる。問題は、自然が有効に活用されているかどうか、人間の生活(生命の再生産)の場としてそれを不可能とするような毀損が行われていないか、労働はその再生産を不可能にするほどの過重な負荷を強いられていないか、労働の一部が活用されず放置されていないかということである。特に、労働の置かれている状況と労働の成果物の行方に重要性がある。
 国を富ませるとは、国民がそれぞれの能力を活かして働ける場を持つことであり、逆にそのことによりそれぞれの能力が高まっていくことでもある。また、そのことは豊かな生産力を生みだし、消費財を通じて生活をゆとりあるものにし、生産財を通じて持続的な発展を実現することであり、生活に必要な国民共有の社会的財を蓄積していくことでもある。しかしながら、その理想と現実とのギャップは大きい。将来ある若者の一部にはまともに職に就けない状況がある。リストラされて、そのまま再就職できない働き盛りの人もいる。逆に、人手が欲しいのに確保できない分野もある。一方、放置された農地や手入れの行き届かない山林があったりする。このようなアンバランスを解消するには経済の原理に一定の修正を加えなければならないだろう。他方で、精神的な病に苦しむ労働者も多数いる。人と人の関係の結び方の変化が何らかの形で脳に障害をもたらしたのだと考えられる。人を育てるのが社会の構造なら、人を毀損するのも社会の構造である。いずれにしても社会が持続的に発展するためには、人間そのものが健康に生き続けられる仕組みが必要なのである。
 

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