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2010年4月21日 (水)

何を優先するか それぞれの価値

 人間は人生において選択を迫られた時に、何を優先して判断を行うだろうか。自己保身か、組織の利益か、正しいと思う理念か。
 どうしても自己保身に走ってしまうことは避けられない傾向だろう。それぞれ個体として独立して生きているのだから自分が生きていくことを基本的に優先する。それは命あるものの本能と言える。しかし、それだけであれば、ただの生物である。そこを超えた論理が生れるところに人間らしさがある。
 組織・集団の利益が生れる。組織に属することによって、全体の利益のために自己を抑制せざるを得ない時が発生する。それに徹することのできる人間を組織人と呼ぶ。一般的に組織での地位が上がるほど、組織人としての自覚が高まる。勤め先で人を評価するときには、彼は自分を組織の上に置いていないかという問いかけを行う。そしてその判断のできるものであれば上に上げても大丈夫だと見るのである。
 しかし、人間の判断の基準はそれだけではない。自分の信じる信念であったり、信仰であったり、神や仏であったりする。組織の判断であっても、それが神の示すところに抵触するものであれば拒否する場合があるだろう。もっとも、最近は企業もCSRを意識するようになったので、業務において道義に反することを実行しなければならない場面は普通はなくなっていると思う。とは言っても、先日新聞で報道されたように田辺三菱製薬の旧ミドリ十字系の子会社でデータ改ざんがあったが、こういうケースで指示を拒否できるかどうかは、最終的に何に価値を置いているかにかかっている。残念ながら日本では長いものに巻かれろ式の自己保身が優先される場合が多いのではないかと思われる。であればこそ、組織のトップが自ら社会正義の遵奉者である必要がある。
 長いものに巻かれると言ったが、昔、特に戦前は個人と組織の間に「家」というものがあった。自分で信じる信念や思想・信仰があっても家からの圧力があると容易にそれが崩れさるケースが見られた。いわゆる「転向」は、単に警察権力の弾圧だけによって生れたのではなく、封建的な家制度が背景にあると言われている。ある評論家に言わせれば、そういった封建的な性格も含めて社会認識が不十分で、同時にそれは自己認識の不足でもあり、そういう人間の「信念」は潰れやすいということだ。
 日本人は確固たる信念を持たず、意見の違いや利害関係を抜群のバランス感覚(最近の言い方では「空気を読む」というのだろうか。)でもって生き抜くことをよしとするタイプが多いように思う。私としては、もっと信念を持つ人が増え、信念に従った判断、生き方を貫いてほしいと思う。職場においては、企業にとっての理念と自分の生き方を統一させて、自己保身よりも企業価値の実現に向けて自分を活かす道を尊びたい。そこでは理念の実現に不熱心な社員との軋轢も考えられるが、安易に譲ってはいけないし、自分の側に大義があることに確信を持つべきである。

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