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2010年4月 4日 (日)

監視する人、される人 新しい分化の危機

 ルールを守る人と守らない人がいる。順法精神の旺盛な人とそうでない人との違いはどこから生まれるのかということも関心事であるが、社会に秩序ある人々を求める人とそうでない人との違いにも興味がある。
 今現在、この社会において一定の利益を享受している人間は秩序の維持を歓迎するに違いない。逆に不利益を被っている人間は、今の秩序に拘泥しないであろう。これが存在を正しく反映した意識である。しかしながら必ずしもそうとは言えない現実もある。貧しいけれども保守的な人は多い。それは過去の親からのものも含めた教育に因るものか、宗教的な感化に因るものか、政治的な宣伝によるものか、いくつかの要因が考えられる。このようなねじれはあるものの、前者の利益を享受している層が秩序を重んじる傾向については大きなズレはないに違いない。 

 近年所得格差が広がっているという。またその格差がより固定化しつつあるという。それは生活面でかなり厳しい状況に追い込まれている人間の増加を意味しているが、幸か不幸か今のところ社会に大きな混乱は生じていない。これは日本人の文化に因るものかもしれない。普通であれば、治安の悪化が心配されるが、確かに変化は見られるものの、外国人は日本はまだ安全な国家であると評価している。しかし、この先は予断を許さない。
 私は混乱を期待しているのではなく、按じているのである。利益を享受している人々が、秩序の不安定化を恐れ、秩序のかく乱者予備軍に対し警戒意識を過剰に持ち出すのではないかと思われる。それは例えば、町中に監視カメラの設置が進むことであり、警備会社の繁盛であり、もっと進めば、高所得の人々が集中して居住するエリアの増加であり、逆の貧民街の増加である。これまで、高度成長期に登場した多くの中間層がどのエリアにおいても中心的存在だったから、特定の層が隔離されるようなことはなかった。しかし、これからは、アメリカで顕著であるといわれるような居住地の分離が進むかもしれない。

 このような事態は決して歓迎されるべきではないと思う。アメリカの自由主義の考え方がよいという人もいる。平等よりも自由を重んじる社会がある。機会の平等は重視されるが、その結果は自己の責任において受けとめるべきという考えだ。その結果に政治が関与すべきでない。救済は慈善団体がすべきであるという発想だ。しかし、機会の均等は怪しい。人間は同じスタート位置に立てるわけではない。だれもが知っている事実であろう。
 前から言っているように、中間層の厚い社会が安定感のある社会であり好ましいというのが私の持論である。それは社会の活力を削ぐという批判を受けるかもしれない。しかし考え方によっては、真に活力ある社会は中間層を創造するという考えも成り立つ。今、格差が広がっているのは社会に成長性が乏しいからだ。格差の広がりがさらに活力を奪っていると見ることができないか。先進国においては、ジニ係数の小さい国ほど成長率が高いという研究発表を見たことがある。学術的に上手く説明はできないけれども、兎に角、私としては監視したりされたりする社会は真っ平ごめんだということだけは言っておきたい。

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