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2010年3月28日 (日)

「氏より育ち」か「育ちより氏」か

 身の回りにはいろいろなタイプの人がいる。他人の言うことを素直に受け取らず、何かにつけ否定語を発し、決して受け入れないタイプの人がいる。程度の差はあれ、このような行動をとる人は決して珍しくない。あなたの周りにも、一人や二人は思い当たるだろう。こういう人を見ると、なぜそのように反応するのか考えてしまう。それは、こちらの言うことを分かってほしいと願うからに他ならないが、経験的にそう易々と解決しないことも知っている。
 脳科学、心理学、精神分析学、教育学などの専門的分野を学ぶことによってこのような疑問に一定の答えは可能だと思うが、生来の無精である私はその手の本に手を伸ばす熱情はなく、伝家の宝刀である経験的推測によって少しばかり語ってみたい。
 心の動き方のパターン、傾向を性格と呼ぶのだろうが、これは生来のもの(遺伝的要素)、外的(環境)要因によるもの、そして意思的(主体的)要素によって影響を受けている。このなかで私は従来、一番強い要因として「環境」を上げていたし、今でもそう思っている。先ほど例に挙げた特徴を持つ人は、そうなるような環境で育ったに違いないと思ってきた。例えば、子供のころに自分の感情や主張を容易に受け入れてもらえない境遇にあった。その「壁」となるものは親である場合が多いだろう。たまには受け入れられることもあるには違いないが、否定されるパターンが支配的になるとそれが自分自身の反応の仕方としても脳に取り込まれてしまうのではないか。消極的ではあるが、これも学習に違いない。そしていったん定着したものは、それ以降無意識に繰り返されるのである。
 これとは別に、このような傾向は生まれつきだという見方もある。これにも一定の説得力がある。子は親に似る。体型は明らかに遺伝的要素によって決定付けられているが、心の動き方もまた、遺伝子に組み込まれているという説がある。ただ、現象的にみると、先ほどの環境が影響を与えるという説との混同が生じる。子のほとんどが実の親とともに生長するからである。最近では、脳科学が進み、遺伝子の解明も飛躍的に進んでいる。その研究内容はよく知らないのだが、推測するに、心の動きもある種のプログラムとして遺伝子に組み込まれているということなのだろう。細かいことは別にして、考え方はそうに違いない。すなわち、今までは生まれつきとしか言えなかった現象が、科学的に説明ができつつあると言うことだ。このことにより、「氏より育ち」という考え方が、「育ちより氏」という考え方にやや傾くのではないかと思われる。私は、「氏より育ち」という言葉は積極的な意味をもっており、よい言葉だと思っている。それは、これから変わりうるという可能性の思想を含んでいるからだ。三つ目の要素として上げた意思的(主体的)要素を重んじる立場である。
 科学は客観的に事実を解明してくれる。人間の意思が思考や行動をどこまで制御できるかについても、さまざまな分析や実験によって明らかになるだろう。しかし、そこから先は人間がその事実を踏まえたうえでどのように行動するかである。それは最早科学ではない。ただ実践の哲学があるのみである。われわれは、意思によって脳の構造を変えることはできない。環境を変えることしかできない。それは自分自身を変える壮大な事業なのだ。人は、それを「人生」と呼ぶ。

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