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2010年3月 6日 (土)

ブログの弊害?

 ある本にブログの弊害なるものについて書かれてあった。ブログを書くことによって、その人間の考え方や行動が規制を受けてしまうと言うのだ。
 たとえば、日記なら他人の目を気にせずに好きなことが書けるのだが、ブログだと不特定多数の目を気にして、場合によっては攻撃を想定しながら防衛的に書くことになる。ブログを書くという行為は自由を制限された行為だと言うのだ。これには一理ある。自分に限ってみても、すべてではないが、一部の記事には自己規制が働いていることは事実だ。かつて、中川昭一議員の死と自民党の敗北を関係づけた記事を書いたときに、不愉快だとのコメントをいただいた。私としては、中川氏が自分の失態によって自らを追い込んだ面もあるが、自民党が大敗北を喫するような情勢を招かなければ落選は免れたかもしれないのであって、そうなっていれば彼は死なずに済んだかもしれず、彼に同情的な見解を示そうと思っていた。それは伝わらず、不謹慎だと捉えられてしまった。政治のことが分からない人間は公然とブログなど書くものではないとまで書いてあった。しかし、政治が分かる人間がどれほどいるものか。また、政治の分からぬ者が政治を語ってはいけない法もない。確かに、書くからには反論や攻撃も覚悟して書くべきであると私も思う。とはいえ、このような内容のコメントにはあえて反論の意欲も湧かなかったのである。しかし、それ以降は特定の政治家を取り上げることは控えるようになってしまった。
 話を元に戻すが、弊害の二つ目は、生活の中で常にブログのネタを探すことになるので、ブログで書けそうな行動をあえてとるようになるという主張だ。それが原因で、すべてこじんまりとまとまった行為になってしまう。これについては、こと自分に限っては当てはまらない。基本的に日々の身の回りのことを書いたり、自分の行動についても書いたりはしないからだ。主には、見たり聞いたりしたことへの自分の考え、評価を書いている。また、社会現象を自分なりにとらえ、繰り返しまとめなおすことで、少しずつ進化させているつもりだ。だから、ブログのために生きているのではなく、生きた結果をブログに書くのである。ブログを書くことで変わったことと言えば、あえて意見や評価を言葉にしようと意識するようになったことである。それは私にとって、大いにプラスになっている。
 

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