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2010年2月 7日 (日)

「変化」にこそ生きる証しがある

 今年も大過なく終ってよかった、などと過去を振り返って安堵することがある。また、一日一日そう思って生きている人も多いのではないだろうか。人間は基本的に保守的であり、変わることを好まないように見えるが、これは今の時代の、日本という国に限ったことであろうか。
 社会はいつも変化している。ただし、時代によって変化のスピードは違う。封建時代のように停滞する時期もあるが、戦国時代、明治維新後、戦後の高度成長期は社会発展のスピードが著しく速かった。これは書物を読むと、外国からの技術や制度などの導入が力になっている。もちろん、受け入れる日本の側にも、それと結びつき得る自然と文化の潜在力があったことも発展の条件になっている。
 このように歴史には特別な時期が存在しているが、どんな時でも静止していることはない。当たり前のことだが、それは人間が生きているからである。ただ個々人が生きているというだけではなく、結婚し、子を生み、家族を形成し、そしてまた子が結婚し、子を生みと、生の再生産が繰り返されるからなのだ。人間の生・・・生れ、生長し、充実し、衰退し、死を迎えるというプロセスは変化そのものである。しかし、現実がそうであっても、何の問題もない今の状態が続いてほしいと願うのが人間の性なのか。
 子が成長すれば、新しい問題が次々と生まれる。会社が成長すれば、新たな課題が生じる。問題が発生しないということは、他者との関係を拒むことであり、外部との接触を断つということに他ならない。前向きに考えれば(実際、そうするしかないのだが)問題の発生は、事態が前に進んでいく前兆であって、歓迎すべきことなのである。
 旧態依然とした考え、制度、活動にしがみついてはいけない。これは生き方の基本である。もちろん守るべきものはある。守るべきものは、旧態依然とは言わない。有益な考え、制度、活動を阻害しようとする動きに対しては、旧いという中傷を退けたい。
 だが、生きる姿勢として、俺の流儀はこれなんだと言って居直るのはやめたい。ここで言う流儀とは、信念とは違う。中身のない形式論だ。起こっていることには目を向け、人の言うことには、まず耳を傾けたい。自分は変わっていないと考えるのは幻想である。昨日の私と今日の私は別人である。

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