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2010年2月 2日 (火)

技術力の土台には文化(風土)がある

トヨタおよびその周辺がリコール問題に揺れている。品質第一、そしてそれを保証する飽くなき改善活動がトヨタの真髄であった。そこにほころびが出てきたというのが世間の見方である。

 海外へ工場が進出した場合の現地での品質確保は容易ならぬものがあるだろう。国内で品質保証体制を築き上げても、それをそのまま持ち込むことはできない。基本的に現場労働者は現地で採用せざるを得ないし、すべての部品を日本から供給するわけにもいかない。現場作業はいくら標準化されているとはいえ、作業するのは人間だから想定したとおりに動くとはかぎらないのである。当たり前のことを当たり前にできればいいと考えるが、「当たり前」の背景にはその土地や国の文化がある。だから、標準と文化の親和性が問われるのである。さらに「当たり前」の一歩向こうには、現場の改善力が期待される。改善のためには、事実を探求する姿勢と科学的精神がなければならない。これも文化の問題である。

 私の勤務先でも、工場で改善活動に努め、大きな成果を上げているが、その活動の先頭に立った社員が言った言葉を思い出す。「われわれは改善活動で成果を上げたが、残念なことに大事には至らなかったものの品質上の不具合を出し、時間の損失を出した。これは当たり前のこと、決められたことが順守できなかったことに原因がある。当たり前のことを実行することが仕事の根っこである。風土改革に取り組んできたが、この根っこ作りがその目的であると思う。ここに焦点を当て、さらに取組を強化したい。」

 海外のみならず、国内でも品質確保は容易ではない。成長期には多くの従業員が改善に参加し、そのプロセスを経験した。しかし現在は技術も標準も一定のレベルに達し、過去の成果に依存して仕事を行っている。進歩が止まっていると言ってよいだろう。コストへの要求と品質の確保を両立させることは厳しい課題であるが、もう一度進歩の方向に足を踏み出すには、いかに改善運動に従業員を参加させ、意識改革を進め、風土に新しい息吹を吹き込むのか、経営陣を中心に真剣に考えなければならない。

 大そうな話になるが、長期停滞と言われる今日の日本を再び成長の方向に向かわせるのは、生産活動に関わる人間の改革の精神であり、また当たり前のことを当たり前に実行する愚直な精神である。

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