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2010年2月14日 (日)

人を育てる

 中国のことわざにいいのがある。「ある人に魚を一匹与えれば、その人は一日食える。魚の捕り方を教えれば、その人は一生を通して食える。」

 学生の学力低下が叫ばれて久しいが、それは年々ひどくなっているらしい。私の勤務先でも毎年数人採用を行うが、製品開発に携わる担当者の場合は院卒が大半である。修士でやっと昔の学卒のレベルだという。営業や事務系は学卒だが、文章が書けないとか、論理的に思考できないとか、打たれ弱く精神的にもろいとかの弱点を持っている。もっとも、これらは今に始まったことではないようにも思うが。
 教育イコール職業訓練ではないので、直接「食べていく技能」を教えるわけではないが、生きていくために必要な思考力や行動力は身につけさせなければならない。論理的にものを考える、現象に対して原因を追求する、目標を達成するための段取りを考え実行するなどの訓練は、学校教育のプロセスのなかでは十分行われていないように思う。どちらかといえば、クラブ活動の方がそういう訓練を受ける機会が多いのではないか。いずれにしても天才は別にして、一般の人間は訓練されないと考える能力は身に着かない。
 職場でなぜなぜを5回繰り返せと言われるが、意識しないとそんなことはできない。日常生活では「なんでやろう」と思うことが少ないし、考えても「きっとこうに違いない」と即断してしまうことが多い。プライベートはそれでよいかもしれないが、仕事となるとそれでは前に進まない。結構なベテランでも思考パターンが固定化しており、なかなか進歩しないのである。
 学問の場に、職業的な要素を持ち込むことはあまりよくないと思うが、よく考えてみると、特別な訓練をしなくても、学問のレベルを上げることで結果的には将来どんな職業に就こうとも有効な要素を育むことになるのである。先人の学説は論理的に考えなければ十分に理解することができないだろう。過去にない現象は徹底してその要因を追い求めない限り説明を付けることができないだろう。一定の学問的成果を得ようとすれば、研究の段取りが重要になるだろう。これは非常に高い要求かもしれないが、求めなければやろうとしないのが人間である。遠慮していると、知らぬ間にどんどんレベルダウンしてしまう。

 人を育てるということは、見せかけの知識を与えることではなくて、自分の頭で考え行動できるように意識的に訓練することである。それには何年もかかることを覚悟しなければならない。国がそういう教育に予算を掛けてくれないなら企業が背負うしかないのである。

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