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2010年2月の投稿

2010年2月28日 (日)

隠し砦の三悪人

 たまに黒沢映画をDVDで観る。今日は韓国からの逆輸入商品で安く買った「隠し砦の三悪人」だ。この作品は私が生れた1958年の制作である。黒沢作品は期待を裏切らない。今まで観た作品で、つまらないと思ったものはない。ただし、面白さの程度には差がある。最初に「七人の侍」から入ったので、それと比べると他の作品は劣ってしまうのである。その内容の豊かさからして「七人の侍」に勝るものはない。スケールの大きさ、登場人物のキャラクターの豊富さ、組織論的観点からの興味など、娯楽映画には違いないが娯楽映画を超える要素を持っている。
 「隠し砦の三悪人」も娯楽映画としてよくできているのではないかと思う。敵に捕まりそうになりながらも逃げ切るシーンが見せ場であり、スリル満点である。他に、主人と家臣との関係であるとか、敵の武将との関係であるとか、欲を出して仲間割れしそうになりながらも元の関係に戻る百姓同士の関係などが上手く描かれている。娯楽映画だから、面白いことが第一の要件であるが、観客にとってお土産となるプラスアルファの要素があればなお厚みのある作品になる。それは、大そうなものではなくても、生きる教訓としてありうる道徳的な要素であろう。
 ところで、あまり細かいことに拘ってはいけないが、中に金を隠した薪を探す場面では入っているかどうかは持ってみればその重さで分かるだろうに、一つひとつ割って確かめていた。また、運ぶ時もあれだけの量(金200貫と言っていたから、相当な重量)なので、人が運ぶには重すぎるのではないかと疑問に思った。そんなことを言ってしまえば、映画にならないか。合理的な説明がつかないところに、映画の面白さがあるのかもしれない。

2010年2月27日 (土)

オープン戦開幕 ラッパの応援は必要か

 プロ野球のシーズンが始まった。オープン戦が始まっていて、特に新人や新たにレギュラーを狙う選手にとっては公式戦と区別の付けられない真剣な試合になっている。
 さて、息子がテレビでオープン戦の中継を見ている。ここからは音声だけが聞こえてくる。そこで目立つのは、あの聞きなれた応援のトランペットの音である。私はあのラッパの応援が好きではない。私にもひいきのチームがあり(ちなみに中日ドラゴンズ)、球場に足を運んで応援することもあるが、その前にプロ野球のファンである。水準の高い、真剣なプレーの一つひとつを固唾をのんで見守っている。そこに緊張感が生れ、球場の雰囲気を作り出し、それを背景にして選手の集中力も高まるのである。そんなところにあの代わり映えしないラッパの音が襲ってくる。興ざめである。
 もう少し、応援の仕方を考えたらどうだろうか。プロ野球には、学生野球や社会人野球とは違った、プレーそのものに価値を置く文化が必要だと思うのだ。さすがプロだと言えるレベルの高いプレーには間髪を入れず拍手や声援が湧きあがる大人の球場を期待したいものだ。

風土改革は何のため

 組織風土の改革は多くの企業において重要な課題と認識されている。とはいえ、経営の認識と従業員の認識とには多かれ少なかれ必ずギャップがあり、その溝を埋めることが改革の中身だと言ってもよい。
 私の勤務先でも風土改革に取り組んでいるが、いまだに風土改革は何のためにやっているか分からないという人がいる。その人が仕事に消極的だというのでもない。職場の人間関係は悪くないし、皆まじめに働いているのでこのうえ何が必要なのか、と言うのである。この質問に答えることは結構難しい。人間関係がぎくしゃくしていたり、問題が多発していれば、こういう状態ではいい仕事ができないし、士気も上がりませんねと言えるのだが、そうでなければ改革の目的が明示しにくい。

 そこで、以下の様な説明をすることにした。

 経済環境の激しい変化
   ↓
 新しい戦略の立案と実行
   ↓
 戦略と組織風土とのずれ
   ↓
 組織風土の変革の推進

 現在、経済環境の著しい変化が進んでいることは誰も否定しないだろう。それに対して企業は(あるいは個人は)今までと同じ戦略を固持していたのでは、競争に勝ち抜くことができない。急ぎ、新たな戦略設定を強いられる。だが、戦略を進めるのは組織であり、人である。したがって、新しい戦略に適合する風土に変えていかねばならないのである。たとえば、新製品をタイムリーにスピーディーに投入し続けることが戦略ならば、当然仕事にスピードが求められる。しかし、ゆったりした風土があるならば、その戦略は遂行できない。情報の伝達においても、その検討においても、意思決定においても、その決定の遂行においても過去とは違ったダイナミックな動きが求められるのだ。
 従業員の、意識や行動において、どうやってスピード感を求めていくのか。この変化は短期間で実現できない。戦略の設定とその実践に比べれば、後追いになって一定の期間を要するのである。それが成就するまでは、組織における一部の自覚的な部分が戦略を担わざるをえないのである。

 以上の論理は、経営の立場からの考え方であり、従業員にしてみれば、自分に必須の要件とは受け取られないかもしれない。そこには説得が必要だ。説得とは言っても、誤魔化しではない。事業の発展、組織の成長の過程が個人の成長と重なりうること、また働きがいの獲得と報酬の確保も連動していることを理解してもらう必要があるのだ。

 風土改革とは、大げさな言い方をすれば、一人ひとりの生き方の改善である。

地球温暖化について

 冬になっても昔より寒さを感じなくなった。地球が暖かくなったからだと言うと、同じことの反復で説明にはなっていない。気象現象の変化はあとに置き、自らの感覚の変化を検討してみると様々な要素が見えてくる。
 「昔」と言うと、それはこどものころの記憶を指している。私は、温暖な地域に生れているが、住居は築何十年と言う古い木造住宅であった。暖房器具と言えば火鉢であり、着るものの保温性もよくなかった。加えて言えば、食生活も豊かではなかった。そういうわけで、部屋の中でも寒く、しもやけやあかぎれができた。冬のあさには氷が張るのが普通だった。それに比べると、今は気密性の良いマンション暮らしで、温かい服装をし、カロリー豊富な食事をしている。昔のように寒さを感じないのも、このような条件下に暮らしていることが大きい。確かに、気象データを見ると、各地で平均気温が上昇傾向を示しており、寒く感じなくなったのは文化的な条件等によるものだけではないことは事実だが、このような条件に影響されていることも合わせて考えなければならない。

 さて、データから見る限り、地球温暖化現象を否定することができない。ただし、大気中の二酸化炭素の増加と温暖化の関係という点でみると、その強さについては様々な見解があるようで、よくわからない。温暖化の要因であることは、かなりの確かさで言えるらしいが、因果関係の説明が難しいのだ。温暖化には他にもいろいろな要因があるようで、地球には寒冷期と温暖期との比較的長い周期があってそれが影響しているという話や、公転の軌道の変化や太陽の活動の変化なども聞いたことがある。それぞれの真偽は分からないが、いくつかの要素が複合的に関係していることは常識的な見方である。そのなかでの二酸化炭素の影響の程度の問題である。
 私は、発表されている二酸化炭素が持つ影響力の大きさに関する確かさから考えると、その削減に取り組むことが危急の課題であることを認める。キーワードは「低炭素社会」である。焦点を絞って考えると、大事なのは、化石燃料の消費の抑制ではないかと考える。代わるエネルギー源を研究・開発しながらも、有限な化石燃料を大事に使うことが望まれる。単に二酸化炭素の大気中への放出を防ぐというのであれば、二酸化炭素を回収して地中に埋め込むなどの技術を持てばよいのであるが、それだけでは資源の有限性の問題は解決しない。
 この考え方が、今急激に経済発展している国家への制約となり、政治問題化することは避けられないが、それにしても、そのような国家的、政治的利害を超えたところに問題が所在していることも事実で、調整の道を模索することが避けられない国際的課題となっている。

2010年2月23日 (火)

腰痛に苦しむ

 腰痛があまりにひどいので、昨日は定時で会社を上がり、近くのK病院へ行ってきた。ここの先生はほとんど診察をしない。腰が痛いと申し出たら、あっさり「リハビリしょうか。電気当てよう。」と言う。そしてリハビリ室へ案内され、ベッドにうつ伏せになり電気を当てられる。初めてだったので、これも効くのかなとかすかな期待はあった。しかし結果から見ると、効かなかった。
 数年前に同じ症状で診てもらった時は、針治療を受けた。これは少し効いた。いくらか痛みは引いたのである。前回が針治療で、今回が電気治療。何を根拠に治療法の選択が行われるのか。診断していないのだから合理的な説明はできないだろう。恐らく、針治療用のベッドが空いていないからだ。施設の都合でどちらかが選ばれるということは、どちらでも効果があるか、どちらも効果がないか、いずれかであるが、後者であろう。患者にしてみれば、痛みがひどい時には多少なりとも効けばいいと思って医者の言いなりになる。気休めのような治療である。痛み止めももらってきたが、腰痛は治まらない。痛みが引いてしまうような強烈な薬であれば逆に体には毒に違いない。
 一週間もすれば快方に向かうだろう。根本的な治癒ではないが、いくらか回復力はある。手術をすれば別だが、次の発生を延ばすように気をつけるしかないのである。

2010年2月21日 (日)

日本ジャンプ陣上位に食い込めず

 今回のオリンピックは、現地との時差があって生で中継を見れないことが影響してか私の興味をひかない。結果についてはニュースで見ておおよそ分かっているが、日本選手の成績は決して芳しくないのである。選手団の目標はメダル10個。ある新聞の予想では7個であった。そこにはかなりの期待が含まれていて、実際は難しそうだ。上村愛子選手が4位に終わったことでスタートダッシュが利かなかった。
 見ていて面白いのがジャンプだが、今回は映像では見ていない。日本選手はノーマルヒルは振るわず、ラージヒルでも葛西選手が8位に入賞したのが最高である。解説者が言っていたが、今シーズンのランキングトップ10に一人も入っていない状況では苦しいのは当たり前である。何とか一発大きなジャンプが出ないかと期待したが、葛西選手の2本目がよかっただけで他は平凡な記録に終わった。これも解説者の言だが、トップ10に入っていない選手が2本揃えることは難しいのだそうだ。
 結局は、実力通り、調子通りの結果に終わってしまったということか。フィギュアの高橋選手、スピードスケートの長島、加藤選手はよく健闘した。特に高橋選手は怪我からの復活であり、讃えたい。とはいえ、力的にはメダルの取れる位置にいたことは事実なので、力通りの結果を出したという表現も可能である。

腰痛は辛い

 腰痛が再発した。このような激痛は3度目。軽い慢性的な腰痛はあったが、しばらく落ち着いていた。やはり油断をして筋トレを復活したのが悪かったようだ。最初は一番軽いダンベルに限定してトレーニングを行うことにしていたのだが、筋力が復活するにつれ物足りなくなり重量が増していった。
 激痛に兆候はない。体をひねったりしたわけでもないのに、いきなり痛みが襲う。それからはもう身動きができない。朝からずっと、立っているか横になるかどちらかの体勢を保っている。立っているのが一番楽であるが、さすがに疲れる。横になってじっとしていれば痛みは弱いが、これもじっとしていると疲れるのである。
 無理して風呂に入ったが、体を温めると少し体が動かせるようになった。脱衣するときに家内に手伝ってもらったが、まるで介護状態だと笑われた。今回はまだ、安静にしていれば治まるだろうからよいが、もう少し年齢が行っていたら笑いごとではないだろう。気をつけないと再発は必至で、根本的には手術でもしないと治ることはないのだ。実際はしばらく、だましだまし生きていくしかない。治療費だって馬鹿にならないのだ。

2010年2月20日 (土)

藤田まことさんの死

 藤田まことさんが76年に亘る人生に幕を下ろした。たまたま藤田さんの娘である藤田絵美子さんの歌についてブログを書いたことがあったのだが、藤田さんの死を受けて、その記事にアクセスが急増した。絵美子さんが中学生の時に、必殺シリーズの主題歌を歌っている。「さよならさざんか」という歌で、「振り向くな振り向くなと言う人が、何度も振り向く振り返る」という歌詞がいいのと、絵美子さんの初々しい歌声が印象的だった。

 藤田まことと言えば中村主水が当たり役だが、他に「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事役もよかった。特に派手なアクションもない地味なドラマだったが、藤田さんの力の抜けた自然な演技が、見る側との距離を短くしていたと思う。
 随分昔の話だが、取引先の催しで藤田まことショーに招待されたが、他に用があったこともあってお断りした。藤田さんは歌手でもあった。「十三のねえちゃん」は十三が地元であり、阪急の駅名が出てくるので親しみのある歌だった。他に、ディック・ミネや水原弘の歌を上手に歌っていた。芸の幅が広く、息の長い芸人さんで、戦後の大衆社会を大衆とともに生きた人だったと思う。

2010年2月18日 (木)

アクセス数1万件突破

 昨日で、ブログへのアクセス件数が1万件(自分が見た回数は除外)を突破した。今月25日で、書き始めてから3年になるのだが、予想ではその直前に大台にのるであろうと思っていたが、少し早めに到達した。自分の受験の体験を綴ったシリーズへのアクセスが急に増えたからである。これは季節的な要因であろう。
 過去3年間の1日平均アクセス数は9.2回。ここ4ヶ月では19回。1ヶ月では23回。1週間では34回である。基本的には記事数(現在500余り)の増加とともに増えていっている。
 アクセス数の多いジャンルは、筆頭が「ボディビル」である。次が「芸能関係」。マニアックな記事がひっかかる確率が高い。一般的な記事だと世間に溢れているので、こちらまでたどり着いてくれないわけだ。とはいえ、アクセス数を増やすのが目的ではないので、意識的なネタ振りはしない。やろうと思えばできるが、それは下品というものだろう。
 目的は、①自己表現の欲求充足 ②文章作成能力の養成 ③遺言の作成である。③は、万が一急に逝くことになっても、私が何を考えていたか家族や友人に伝えることができるからである。

 

2010年2月14日 (日)

人を育てる

 中国のことわざにいいのがある。「ある人に魚を一匹与えれば、その人は一日食える。魚の捕り方を教えれば、その人は一生を通して食える。」

 学生の学力低下が叫ばれて久しいが、それは年々ひどくなっているらしい。私の勤務先でも毎年数人採用を行うが、製品開発に携わる担当者の場合は院卒が大半である。修士でやっと昔の学卒のレベルだという。営業や事務系は学卒だが、文章が書けないとか、論理的に思考できないとか、打たれ弱く精神的にもろいとかの弱点を持っている。もっとも、これらは今に始まったことではないようにも思うが。
 教育イコール職業訓練ではないので、直接「食べていく技能」を教えるわけではないが、生きていくために必要な思考力や行動力は身につけさせなければならない。論理的にものを考える、現象に対して原因を追求する、目標を達成するための段取りを考え実行するなどの訓練は、学校教育のプロセスのなかでは十分行われていないように思う。どちらかといえば、クラブ活動の方がそういう訓練を受ける機会が多いのではないか。いずれにしても天才は別にして、一般の人間は訓練されないと考える能力は身に着かない。
 職場でなぜなぜを5回繰り返せと言われるが、意識しないとそんなことはできない。日常生活では「なんでやろう」と思うことが少ないし、考えても「きっとこうに違いない」と即断してしまうことが多い。プライベートはそれでよいかもしれないが、仕事となるとそれでは前に進まない。結構なベテランでも思考パターンが固定化しており、なかなか進歩しないのである。
 学問の場に、職業的な要素を持ち込むことはあまりよくないと思うが、よく考えてみると、特別な訓練をしなくても、学問のレベルを上げることで結果的には将来どんな職業に就こうとも有効な要素を育むことになるのである。先人の学説は論理的に考えなければ十分に理解することができないだろう。過去にない現象は徹底してその要因を追い求めない限り説明を付けることができないだろう。一定の学問的成果を得ようとすれば、研究の段取りが重要になるだろう。これは非常に高い要求かもしれないが、求めなければやろうとしないのが人間である。遠慮していると、知らぬ間にどんどんレベルダウンしてしまう。

 人を育てるということは、見せかけの知識を与えることではなくて、自分の頭で考え行動できるように意識的に訓練することである。それには何年もかかることを覚悟しなければならない。国がそういう教育に予算を掛けてくれないなら企業が背負うしかないのである。

2010年2月13日 (土)

今はありえない歌

 わたしも年をとったのだろうか、昔の歌を聴いては懐かしいという思いに満たされる。いい歌はたくさんあるが、そのなかでもこういう歌は絶対に今の世からは出てこないだろうという歌が二曲ある。三橋美智也の「夕焼けとんび」と春日八郎の「山の吊橋」である。
 いずれも、じつにゆっくり時間が流れている。こんな、のどかでゆったりした歌は現代からは生まれえないものである。作詞は別々の人だが、曲は同じ吉田矢健治さんである。吉田さんの持つテンポだったのかもしれないが、詞の中身がゆったりしているから、自ずと曲もそうなるのであろう。
 夕焼けとんびを聴くと故郷を思い出す。海岸がすぐそばなのでとんびはカラスよりも馴染みの鳥だ。ピーヒョロという鳴き声が懐かしい。
 山の吊橋は春日八郎の歌の中でも一番好きな歌だ。特に一番の詞が良い。せがれをなくした鉄砲うちが犬を話し相手にしているところが、なぜだか分らないがジンとくる。おそらく戦争で息子を亡くしたという設定だろう。この時代ならば、皆そう受け取ることが前提になっている。二番は恋人が都会に就職してしまった娘が描かれている。これも時代の象徴的な出来事。戦後から高度成長期へとちょうど移り変わる時代であることが分かる。三番はどう解釈してよいのか分からない。おまけみたいなものか。

   山の吊橋

 横井 弘 作詞
 吉田矢健治 作曲

山の吊橋ゃ どなたが通る
せがれなくした 鉄砲うちが
話相手の 犬つれて
熊の親父を みやげにすると
鉄砲ひとなで して通る
ホレ ユーラユラ

山の吊橋ゃ どなたが通る
遠い都へ はなれた人を
そっとしのぴに 村むすめ
谷の瀬音が 心にしむか
涙ひとふき して通る
ホレ ユーラユラ

山の吊橋ゃ どなたが通る
酒が切れたか 背中を丸め
呑んペェ炭やき いそぎ足
月をたよりに 枯葉のように
くしゃみつづけて して通る
ホレ ユーラユラ

   夕焼けとんび

 矢野 亮 作詞
 吉田矢健治 作曲

夕焼け空が まっかっか
とんびがぐるりと 輪をかいた
ホーイノホイ
そこから東京が 見えるかい
見えたらここまで 降りて来な
火傷をせぬうち
早ッコヨ ホーイホイ

上りの汽車が ピーポッポ
とんびもつられて 笛吹いた
ホーイノホイ
兄ちゃんはどうして いるんだい
ちょっぴり教えて くんないか
油揚一丁 進上ヨ ホーイホイ

一番星が チーカチカ
とんびはいじ悪 知らぬ顔
ホーイホイ
祭りにゃ かならず帰るって
おいらをだまして 置いてった
兄ちゃも お前も
馬鹿っちょヨ ホーイホイ

応急処置か是正処置か

 会社で業務上の不具合を解決するときの対応として、応急処置と是正処置の二つが考えられる。応急処置は当座の処置のことであり、これ以上被害を広げないための対応である。是正処置とは再発を防止するために、発生の原因となった要素を根本的に取り除くことである。現実には、応急処置はとられても、是正処置までは行きつかないことが多い。真の原因が明確になるまで、掘り下げることができないからである。
 仕事にかぎらず、社会的な問題にあっても同じことが言える。新聞の報道によると、多重債務者を出さないために、消費者金融の一消費者への貸し出しの総量規制をする貸金業法の改正が行われる。年収の3分の1以上を貸し出してはならないとするのである。この改正が実施されると、年収300万円以下の利用者のうち3分の2は追加で借り入れができなくなる。これは応急処置にあたる。しかも不十分な応急処置だ。確かに、一部には効果が表れるだろう。借金を返済するために借金を重ねるという行為に制限がかかるため、雪だるま式に膨らんでにっちもさっちもいかなくなる事態は回避できるかもしれない。利用目的がギャンブルや遊興に充てられているなら、そんな生活を見直すきっかけになるかもしれない。しかし、そうではなく、まともな生活の維持のために必要なお金だったとしたらどうだろうか。
 なぜ、お金を借りなければならないのか。そこを突き詰めないと是正処置にはならない。これが社会問題であり、追求すれば政治問題化する内容であるから、勢いラディカルな答えを求めることになるが、最終的にそうするかどうかは別にしても、曖昧にせず思考する必要がある。世の中にはいろいろな境遇の人がいる。加えて、セイフティーネットが万弱である社会でもない。肉親の死、失業、病気などなどの予期せぬ事態が起こりうる。貯えが十分あるとか、勤め先に依存できるなどの条件があればよいが、そうでなければ路頭に迷うことにもなろう。その時に、相談できる人がいれば幸運だが、それにしてもすぐにお金を貸そうと言えるだけ余裕のある人は多くはいるまい。お金がないというのは本当に辛いものだ。自分のことならまだしも子どものことなら借金してでも並みのことはしてやろうと思う。そんなことで消費者金融にすがる人もいるのではないだろうか。
 根本は、本当に困っている人・・・最低限の文化的な生活を維持できない人には、救済のネットワークを張ることだ。そのネットワークは法人も含めて国民全体が支えなければならない。そこに国民的な合意を得ることを政治の目標としてもらいたいものだ。私には、それが経済の活性化と相矛盾することとは思えない。社会から救済された人はそのことに感謝し、働ける人は一所懸命働いて恩返しすればよいのである。まさに贈与に対する返礼である。

2010年2月 7日 (日)

落合博満の打撃について

 先日これぞプロと言えるプロ野球選手として王貞治とイチローを上げたが、それは高い技術に加えて、その「姿勢」を評価したからだ。他に名前を上げていくと限がないのだが、今回は落合博満を追加して、少しだけ彼らしいエピソードに触れたい。 

 これは有名な話なので、知っている方も多いはずだ。西武の東尾修から頭部に死球を受けたことがあった。東尾は死球の多い投手として有名で、それは内角をシュートボールで攻めることなしに彼の投球の組み立てが成り立ちえなかったからなのだが、多くの選手との間に遺恨を残すことになった。故意にぶつけたとか、故意ではないとかいう議論は幾たびも聞いている。この時は、落合に怪我はなく、続けて出場したが、お返しをバットでしている。実際、それがお返しかどうかは本人にしか分からないことだが、状況から考えてそうとしか考えられないのだ。落合は後の打席で東尾の投球を打ち返し、東尾の体に当てている。胸部を直撃し、東尾もたいそう痛がっている。
 ここで言いたいのは、やられたらやり返すという精神を褒めたたえたいからではない。それは決して褒められたことではないだろう。ただし、時と場合によっては許されることもあるということは言っておきたい。
 投手が故意に投球をぶつけることは、やろうと思って出来ないことではない。プロの投手ならかなりの確率で可能だろう。だから、故意かどうかに関わらず危険球に罰則を設けている。これに対し、故意に打球をぶつけることには罰則はない。そんなルールを設けることは現実的でないからだ。すなわち、狙ってできる技ではない。ピッチャー返しまではできても命中の確率は低い。加えて、投手はグラブを付けているから、受けることもできる。
 そんな極めて難しい技をその場でやってみせてしまうところにプロの技を見るのである。最後にもう一度断っておくが、その精神にではなく、技に対してである。

入試は世相を映す

 ある塾を経営している先生のブログに、立命館大学への志願者数が大幅に減少したと書かれてあった。そこで、他の同クラスの私大を調べてみると、立命館ほどまではいかないが、それぞれ志願者は減っていた。
 報道を見ると、国公立大学の志願者数は増加したとのこと。私大との差が縮まったとはいえ、授業料は国公立が安い。より負担のない道を優先しているわけだ。国民の所得が減少するなかで、受験生とその親の考え方が変化している。先の先生の話によれば、自宅から通える大学が優先され、浪人もできるだけ避けようとする傾向が出ているらしい。振り返ってみれば自分の子どもの時もそうだった。東京の大学へ行けば仕送りのお金を捻出するのは困難で、京阪神の大学を希望していた。そしてできれば現役での合格を期待した。自分が東京の私大に一浪して入ったにも関わらずだ。幸いにも期待した通りに結果が出たのでよかった。
 志願者数の話に戻るが、5校ほどしか見ていないので、全般的傾向とは言えないかもしれないが、見たところ理系はそれほど減っていないようだし、文系でも学部で差があるようだ。最近できた馴染みのない学部は減らしている。これは、就職にやや不利だと言う判断が働くためだろうか。また、例えば法学部でも法律学科は減っていないのに、政治学科は減っていた。これも就職に役立たない、すなわち実用性に乏しい学問を扱うからだろうか。政治学科を出た私としても、政治学が仕事に直接役立たないことは認める。しかし、政治的なものの見方は経営の戦略を考える場合に使えることもあるのだ。
 話はとんだが、そのほか神学部の志願者が増えていた。これは時代の混沌を表しているのだろうか。最後に、人気の慶應大学を見てみると大きな変化はなかった。トップクラスの大学は無理をしてでも行く価値があると考えるからなのか、もともと慶應大学はゆとりのある家庭の子弟が受験する大学だからなのか。いずれにしても、二番手以降の大学は厳しいということだ。これは企業の生存競争にも当てはまる現実である。

「変化」にこそ生きる証しがある

 今年も大過なく終ってよかった、などと過去を振り返って安堵することがある。また、一日一日そう思って生きている人も多いのではないだろうか。人間は基本的に保守的であり、変わることを好まないように見えるが、これは今の時代の、日本という国に限ったことであろうか。
 社会はいつも変化している。ただし、時代によって変化のスピードは違う。封建時代のように停滞する時期もあるが、戦国時代、明治維新後、戦後の高度成長期は社会発展のスピードが著しく速かった。これは書物を読むと、外国からの技術や制度などの導入が力になっている。もちろん、受け入れる日本の側にも、それと結びつき得る自然と文化の潜在力があったことも発展の条件になっている。
 このように歴史には特別な時期が存在しているが、どんな時でも静止していることはない。当たり前のことだが、それは人間が生きているからである。ただ個々人が生きているというだけではなく、結婚し、子を生み、家族を形成し、そしてまた子が結婚し、子を生みと、生の再生産が繰り返されるからなのだ。人間の生・・・生れ、生長し、充実し、衰退し、死を迎えるというプロセスは変化そのものである。しかし、現実がそうであっても、何の問題もない今の状態が続いてほしいと願うのが人間の性なのか。
 子が成長すれば、新しい問題が次々と生まれる。会社が成長すれば、新たな課題が生じる。問題が発生しないということは、他者との関係を拒むことであり、外部との接触を断つということに他ならない。前向きに考えれば(実際、そうするしかないのだが)問題の発生は、事態が前に進んでいく前兆であって、歓迎すべきことなのである。
 旧態依然とした考え、制度、活動にしがみついてはいけない。これは生き方の基本である。もちろん守るべきものはある。守るべきものは、旧態依然とは言わない。有益な考え、制度、活動を阻害しようとする動きに対しては、旧いという中傷を退けたい。
 だが、生きる姿勢として、俺の流儀はこれなんだと言って居直るのはやめたい。ここで言う流儀とは、信念とは違う。中身のない形式論だ。起こっていることには目を向け、人の言うことには、まず耳を傾けたい。自分は変わっていないと考えるのは幻想である。昨日の私と今日の私は別人である。

2010年2月 6日 (土)

学ぶ順番、学ぶ時期

 小学校、中学校、高校、大学と連続的に学び、そのあとは就職して働き続けるのが一般的な人生の形である。基本的な形はあるにしても、学びたいときに学び、働きたいときに働ける柔軟性を社会が持つことができれば理想的だ。
 いったん社会に出てから、再び大学に入りなおして勉強する人が少数ではあるがいる。とは言っても、MBAを取得するためであったり、医者や弁護士になるという限られた目的のためである場合が多い。それはそれで否定すべきものではないが、もっと広く知的な好奇心、向学心に基づいた学び舎への復帰があってもいいのではなかろうか。
 若い時には、若い時なりの好奇心もあるが、経験の少なさ、視野の狭さがあって学問の面白さを判らずに学校を出てしまうことが多いのではないかと思う。現象の捉え方や解釈の仕方を学んでも、実際の社会に適応してみるという作業は、ケーススタディとしていくらかは経験するが絶対量が不足している。それが、学問的な興味を失わなければ、仕事についてからいろいろなことを経験して理論の正しさあるいは有効性を知ることもあろうし、逆にその間違いや無効性に気がつくこともある。
 だから生き方として、学問→仕事→学問というコースがあってもいいと思うのだ。確かに、結婚し子どもができれば家庭を守らなければならないので学問どころではない。そんなことを言い出したら、あなたは馬鹿ではないかと言われるのが落ちであろう。しかし、社会人の知的好奇心が場合によっては社会に富を生み出す力になることもある。学問は、仕事のように直接利益を生み出さないので評価は難しいが、例えば学問の企画書を研究機関に提出して有益と認められた場合には、政府から研究費全額と生活費の一部が補助として支給されるようにしたらどうだろうか。それが、企業と研究機関とでの人材の循環につながるように思う。

 私は聴講生として特定の講義に出てみたい気はあるものの学生に戻ろうとは思わない。50歳も過ぎるとさすがにきついし、会社での責任も重い。しかし、学問に対する興味は学生時代以上のものがある。それは少しずつでも本を読んできたからであり、社会のいろいろな現象に触れて、現実を理解し、理解するときに学問の成果を少しばかり使ったからである。人生の残りが少なくなった。今更勉強して何になるかと思う人もいるだろうが、今まで分からなかったことが分かるようになって死んでいければ、よりよい人生であったと納得ができる。

体験的ボディビル論

 自分のことをボディビルダーと呼ぶのは体の出来からして憚られるので、一筋トレ愛好家と言っておきたい。
 私が最初にボディビルに興味を持ったのは高校生のときである。今から35年も前の話だ。祖母にバーベル・ダンベルセットを買ってもらい、週に3回ぐらいトレーニングしていた。そのころはまだ知識も不十分であったので、質量ともに練習不足であったと思う。月刊ボディビル誌を愛読し、そこから少しずつトレーニング技術を身につけて行った。効果は少しずつではあったが現れ、ソフトボールの打撃でも飛距離が伸びるようになった。とはいえ、まだまだひ弱な若者のことゆえ、「やっている人」の体ではなかった。そして、大学に入るといつしか興味は消え去り、シャフトを握ることはなくなってしまった。ちなみに、当時のボディビル界で輝きを放っていたのは須藤孝三氏であった。
 つぎにトレーニングを始めたのは30代後半の時期だった。もう忘れてしまったが、きっかけは体力に衰えを感じ始めたことではなかったかと思う。近くのボディビルジムへ通い、基礎から始めた。そこは今流のフィットネスクラブなどとは違い昔ながらのジムで、女性は滅多に見かけることがなく、中年の男性会員が圧倒的に多かった。それでも会員のなかにはデカイ人が多く、自分がひ弱に見えた。ジムの会長は還暦を迎えていたが、スクワットでまだ200kgを上げるだけの筋力を維持していた。恐るべきおっさんである。
 4年ほど通ったと思う。体重は5kg増えた。瞬間的には7kg増加したが、その時は脂肪も付いていたので、筋肉の純増は4kgぐらいだと思う。169cmの身長で、4kgの筋肉が付けば体型は変わる。特に背中と肩の張りが目立ち、上着も窮屈になる。トレーニングしていて困るのはその点だけだ。社員旅行で温泉に入ったりすると、いい体しているねと言われたりして、ちょっといい気分であった。ベンチプレスではMAX100kg上がったし、握力は機械が正しかったとすれば60kgを超えた。
 そうこうしているうちに公私ともに忙しくなり、いつの間にかジムから足が遠のいてしまった。また、その後腰を痛めたこともあって重たいバーベルを握ろうという気力も起こらなかったのである。それから6年経過し、家で軽く運動するようになった。そのころは体も次第に元に戻っていたので、筋量が落ち、体重も3kg程度減っていた。それでも少しずつ筋肉に負荷をかけていると戻り始める。これは体が筋肉を増やしていくプロセスを覚えているからだろう。しかし、再び腰痛を生じ、再度休止した。そして、痛みが緩んだので昨年9月から三たび再開することになった次第である。

 現在の練習は家の中での簡単なものだが、それでもジムの練習に近い効果を上げることが可能だ。やり方に工夫すれば、ぐんぐん伸びる。土日が中心になるが、簡単にできる肩、腕、腹の種目は平日でも可能だ。器具は3種類のダンベルとベンチを使う。マンションの一室ではバーベルは使えない。ダンベルは1種類でも可能だが、プレートを変える手間を考えると3種類あると便利だ。ベンチは胸の強化に必須である。通販で1万円ぐらいで買える。それほど頑丈でなくても家の練習なら十分だ。
 土日は、胸と背中を鍛える。ダンベルベンチプレスとダンベルフライ。背中はダンベルローイングで十分。公園の鉄棒などでチンニングを加えるとよい。重さを変えながら同じ部位を10レップ×10セットやるのを基本としている。それより少ないと筋疲労が不十分で、大きくならない。これに耐えれば、50歳を過ぎた私でも目立って筋肉が付いてくる。平日の肩は、ダンベルプレスとサイドレイズ。腕はダンベルカール、ハンマーカール、アームエクステンションなど。腹はタンスの引き出しに足を引っ掛けてシットアップ。
 以上のトレーニングでホントに十分である。鍛える部位に精神を集中してやれば効率が上がる。小遣いが少ない身にはサプリメントの購入は厳しいが、できれば練習後にプロテインはたっぷり摂りたい。(足の練習に触れなかったが、腰痛持ちなので避けている。子どもか嫁さんに協力してもらい、肩車してスクワットするのが効果的である。私は、自分の体重だけを負荷にしてスクワットしている。カーフレイズもよい。)

 以上私のトレーニングの歴史を紹介した。延べで10年にも足りない。おまけにとぎれとぎれになっているのでロスがある。続けていればもっと成果は大きかっただろう。ジムのオーナーが言っていたが、体を作るには10年かかるのである。

2010年2月 2日 (火)

「神の手」の不思議

 

 かつて神の手を持つといわれた考古学者がいた。彼の手にかかると、いとも簡単に石器が発見される。私が、こんな奇跡もあるのかと驚き、遠い過去の人々の暮らしに思いを巡らせたのは、同じ石材から切り取った一対の石器が数十キロ離れた別々の場所で発見されたというニュースを聞いたときだ。合わせてみるとぴったり接合したらしい。

 これがのちに、インチキだったことが分かる。比較的新しい石器を古い地層から掘り出したように見せかけたり、古い地層に自分で埋めて人に掘らせたりしていたのである。「あそこら辺りを掘ってみると出るんじゃないかな。」とか言って、実際に出てきたら預言者のようにもてはやされる。掘り当てた人もお手柄だから敢えて疑問を持とうとしない。
 よくよく考えればおかしな話なのだ。数十キロ離れた場所の石器がぴったり合うことなど確率的にありえない。確かに数十キロの範囲は一つの生活圏に入るだろうから、一対のものが離れ離れになり、土中で何万年もの時を過ごすことはありうる。しかし、人の手で、これだけの広い空間のなかで、時を同じくして掘り起こされて、発見され、接合する確率はゼロだと言ってよい。また、そんなことは想起もしないであろうから、それを合わせて見ようなどとは考えないはずだ。この流れを逆に辿れば、実にすっきりする。一対のものを同一人物が、別々の場所に埋めたのだ。明快である。
 こんなインチキがまかり通ってしまったのは、欲があるからだろう。研究者の欲、学会の欲、地域社会の欲、報道関係者の欲・・・。欲に固まった者が大勢集まったことによって、堂々と虚構が構築されたのだ。孤軍奮闘して批判に回った学者もいたようだが、容易に崩れなかった。
 学問は良心の上に築かれなければならない。考古学の世界が、発見された資料を証明するプロセスを定式化できていなかったことにも問題があるが、なかには本人の証言に頼らざるをえない事実もあるだろう。学問をするものは事実に対して謙虚であらねばならず、改ざんほど恥ずかしい行為はないという信念が必要だ。

 インチキ考古学者は、学問を辱めたのみならず、日本の歴史にも傷を残したのである。

技術力の土台には文化(風土)がある

トヨタおよびその周辺がリコール問題に揺れている。品質第一、そしてそれを保証する飽くなき改善活動がトヨタの真髄であった。そこにほころびが出てきたというのが世間の見方である。

 海外へ工場が進出した場合の現地での品質確保は容易ならぬものがあるだろう。国内で品質保証体制を築き上げても、それをそのまま持ち込むことはできない。基本的に現場労働者は現地で採用せざるを得ないし、すべての部品を日本から供給するわけにもいかない。現場作業はいくら標準化されているとはいえ、作業するのは人間だから想定したとおりに動くとはかぎらないのである。当たり前のことを当たり前にできればいいと考えるが、「当たり前」の背景にはその土地や国の文化がある。だから、標準と文化の親和性が問われるのである。さらに「当たり前」の一歩向こうには、現場の改善力が期待される。改善のためには、事実を探求する姿勢と科学的精神がなければならない。これも文化の問題である。

 私の勤務先でも、工場で改善活動に努め、大きな成果を上げているが、その活動の先頭に立った社員が言った言葉を思い出す。「われわれは改善活動で成果を上げたが、残念なことに大事には至らなかったものの品質上の不具合を出し、時間の損失を出した。これは当たり前のこと、決められたことが順守できなかったことに原因がある。当たり前のことを実行することが仕事の根っこである。風土改革に取り組んできたが、この根っこ作りがその目的であると思う。ここに焦点を当て、さらに取組を強化したい。」

 海外のみならず、国内でも品質確保は容易ではない。成長期には多くの従業員が改善に参加し、そのプロセスを経験した。しかし現在は技術も標準も一定のレベルに達し、過去の成果に依存して仕事を行っている。進歩が止まっていると言ってよいだろう。コストへの要求と品質の確保を両立させることは厳しい課題であるが、もう一度進歩の方向に足を踏み出すには、いかに改善運動に従業員を参加させ、意識改革を進め、風土に新しい息吹を吹き込むのか、経営陣を中心に真剣に考えなければならない。

 大そうな話になるが、長期停滞と言われる今日の日本を再び成長の方向に向かわせるのは、生産活動に関わる人間の改革の精神であり、また当たり前のことを当たり前に実行する愚直な精神である。

2010年2月 1日 (月)

瞬間的な錯誤 

 見間違いというのがある。具体的な例で示そう。新聞を読んでいて、こんな記事があった。「トラの生活をインターネットで24時間中継」 トラの生態なんぞ、特に変わったものでもないから中継しても面白くはない。こんなものが記事になるのは、干支の力だろうか。そう思ったのである。しかし、よく見ると違うのだ。トラと読んでいたのは実は「トキ」だった。であれば、その生態への関心は強いものがあろう。この錯誤は、今年がトラ年だということを強く意識していたから生れた。思い込みによる錯誤である。
 もうひとつ。これも新聞記事の見間違いである。過敏性腸症候群についての記事。これは、ストレスが原因で下痢・便秘が続く症状のことである。20~40代男性の10%以上がこの症状を示すらしいが、「大半が受験経験なく」と書かれている。瞬間的に、受験を経験すると緊張感のなかで生活することに馴らされるのでストレスに強くなる。受験経験がないと、ストレスに耐える訓練を経験しないので、この症状も出やすくなるのだ、と理解した。実は、「受診経験」の間違いだった。病気だとは思わないので医者に行かないらしいのだ。受験シーズンだから「受験」という言葉が意識にあって、こんな読み違いが発生したのである。
 このように瞬間的に勝手な思い込みに走ることがある。それでもすぐに誤りに気がつくのだが、これは瞬間的には字の意味で理解するより、形で情報を受け取るからだろう。そして、最近受け取った印象的な別の情報と結び付けてしまうのだ。
 例として上げた事例は他愛もない、ジョークのような内容だが、先入観に縛られている様子がよくわかる。

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