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2010年1月24日 (日)

生活を豊かにする知恵

 日本人は生活を豊かにする知恵に長けた民族であったように思う。おせち料理を作り、初詣でをして正月を祝うことから始まり、季節の節目や人生の節目にお祝い事を設け、血縁者、地縁者で楽しむ。お花見があったり、祭りがあったり、地域で共同作業を行えばそのあとに酒宴を設けて労をねぎらう。そういう形で、生活の中に楽しみを作り出してきた。
 それができたのは、地理的条件から気候に恵まれ、自然の変化が鮮明であり、食物にも比較的恵まれていたという背景があるからだろう。また稲作を中心とする農耕民族であったために地域の共同性を保持するための工夫であったのかもしれない。しかし、それだけではすべてを説明することはできないだろう。そこには、日本人ならではの知恵があったのではないかと思う。それが、生活の豊かさを醸成する力にもなっていたのである。
 産業が急速に発達し、地域社会が変貌し、欧米の文化が浸透した。生活の形が変わり、先ほど触れた生活の楽しみ方も姿を消しつつある。おせち料理も徐々に作らなくなり、できたものを買ってくるようになった。暮れに忙しく働く母親の姿から、家族を守る役目と愛情を感じ取る機会が生れたかもしれない。そんなことを通じて家族の紐帯は育まれていたのではないか。それに対し、最近では楽しみが個人的なものになってしまった。それぞれが趣味を持ち、ゴルフに出かけたり、映画を見に行ったりして、集団的な行動をとらなくなった。当人にとっては、それはそれで楽しいのだろうが、豊かさという意味では進歩ではなく、退歩なのではないかという疑問が差し挟む。豊かさとは、単に物がたくさんあるという状態ではないだろう。気温・湿度の点で快適な住宅に住むことを意味するのでもないだろう。豊かさには、生活の楽しみを、より多くの人と共有するという意味が含まれているのではないだろうか。そう考えると、現在人は生活を豊かにする知恵を急速に失いつつあると言わざるをえない。

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