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2010年1月 4日 (月)

松本清張を読む

 休暇中に松本清張の短編を少し読んだ。清張の作品は学生時代にたくさん読み、その後は時折、思い出したように文庫本を購入して読んでいる。蔵書は今は住んでいない家に置き去りにしているものが多く、過去に読んだものを重複して買っている可能性もある。二十年も三十年も経つと、話の内容はおろかタイトルさえも忘れてしまうものだ。特に推理小説の場合は、森村誠一や佐野洋らの作品が頭のなかで入り混じり、整理整頓ができていない。読んで楽しむのが目的なので、そうなるのが当然であろう。
 今回読んだ作品のなかに「黒地の絵」と「真贋の森」がある。後者は清張作品のなかでも代表作として上げられるもので、三十年前に読んだもののなかの一つである。前者も読んでいる可能性がある。話の内容には細かく立ち入らないが、読後感はあまりよろしくない。重々しい空気が心に沈澱して、しばし身動きができなくなる感じがある。清張が書いているのは、個々の人間にはどうすることもできない世の中の不条理(制度であったり、因習であったり、権威であったり、権力であったりする)である。そのなかで、よくもまあ人間がこれだけ悪く描けるなあと感心する。もちろん、すべてではないが、犯罪を中心にストーリーが展開するので悪い人間が出てくるのは当たり前なのだが、よくこんな悪事を考えるものだと思う。そこが社会派推理小説という分野を確立させたと評される作家の真骨頂だろうか。
 人間は、状況・条件次第でいくらでも悪くなりうるという警鐘を受け取る。私は、人間の本性が悪であるという立場には立たない。しかし、条件次第でいくらでも変わりうる、移ろいやすい存在であり、それだからこそ自分の生き方を処する基準・原則を持たねばならないし、生活諸条件の改善に努めるべきであるし、ひろく自らが生きる社会の変革にも手を染めなければならない。
 清張の社会に対する様々な告発は尋常ではない。恨みあるいは呪いのようなものだろうか。ある意味、彼の感覚はまともではない。それが、少年時代、青年時代の不遇からくるものと説明をつけるのは短絡的かもしれないが、一般的に権威や権力に対して批判的な思想を持つことは多々あるにしても、これだけの執拗さを持続できるのは、個人的な体験に裏打ちされていなければ考えられないことである。

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