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2010年1月23日 (土)

速読は何のため

 新聞にときどき速読法の広告が載っている。そこにはトレーニングを経験した人の喜びの声が紹介されており、それによると、始める前の何倍も何十倍も速くなっているそうだ。それは嘘ではないのだろう。しかし、それがどれほどの意味をもつのだろうか。
 わたしは、読むのは速い方ではない。また、速く読みたいとも思わない。わたしの職業がたくさんの情報を頭に入れる必要のあるものだったら事情が違うのかもしれないが、特別焦って知識を着けたいと思う理由はないのである。それよりも私は深く読みたい。深く読む必要のある本を選んでいると言った方がよいかもしれない。
 哲学の本などは、その意味を理解するのが容易ではない。そもそもスラスラ読むような本ではないのである。速く読もうとしたら、返って意味を失う。文学の場合は、推理小説などの読み物は速く読めればよいかもしれないが、純文学はじっくり読みたい。歴史や社会に関する本は、個々の断片的な知識よりも現象をトータルに理解することが重要であり、そういう見方を身につけるためには、個々の事象のつながりを深く考える時間が要る。
 一週間に10冊の本を読んでしまうことよりも、1冊でいいから、新しいものの見方を会得するとか、仕事に役立つ手法を身につけるとかの、確実な成果がほしい。求めるものは、繰り返すが、速さではなく理解の深さなのであり、速さが深さを阻害する場合もあることを知るべきだ。

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