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2009年12月の投稿

2009年12月29日 (火)

2009年

 今年も今日を入れて残り3日となった。簡単にこの一年を振り返ってみたい。

 今年の世相を表す漢字に「新」が選ばれた。昨年末に、来年はきっと「減」という漢字が選ばれるだろうと予想したが、それは外れた。リーマンショック後の世界的な不況は日本にもおよび、サブプライムローン問題での被害が少なかったにも拘わらず、他国にも増してその程度はひどいものになった。輸出に頼る企業の業績が劇的に落ち込み、雇用の切り捨てが行われた。消費が大幅に縮みこんでデフレが進行し、企業業績が全般的に悪化した。何もかもが縮小していく現象が顕著だったので、「減」の漢字を選んだわけだ。
 その感覚に間違いはなかった。経済の分野で縮まなかったのは、安価で、中身も悪くない商品を上手く売った企業だけだ。ユニクロであり、王将であり、サイゼリヤであった。危機だからといってすべての企業が落ち込むわけではない。厳しい条件を逆に利用して、消費を呼び込むこともできる。そういうことのできる企業が戦略性に富んだ、「いい」企業である。
 ところで、「新」という漢字を選んだのは、あまりに希望の見えない社会にも、一筋の灯りを見出したいという願望の表れであろう。民主党の新政権は、このままでは悪いことばかりで、確信はできないけれども、ひょっとしたら良くなるかもしれないという消極的な選択だったと思う。それでも政権交代が起こったということは、戦後政治史においても画期的なことであった。これは、国民にとって大きな経験となったに違いない。
 経済はまだまだ深刻な状況である。ますます悪化することも考えられ、二番底という言葉もしばしば聞くようになった。私の勤務する会社も私の家族も、幸いに大きな痛みを味わうことなく一年を過ごすことができたが、来年はどうであろうか。大きくは期待できないけれども、いくらかでも希望の光が見える年になってほしい。なんとしても、われわれの命と生活は守らなければならない。政治も経済も、そのことが前提である。何かしら手の届かないところで動いているシステムがわれわれの主人ではないのだ。

 

2009年12月27日 (日)

幸福かどうかは・・・

 幸福かどうかを他人が決めることはできない。当人が決めるものである。周りが、あなたは不幸だと言い張っても、本人が「私は幸福です。」と言いきれば、そこでおしまいである。幸福に客観的な基準はない。あるのは人それぞれの幸福感だけである。
 一方で、豊かであるとか貧しいとかいう評価は一定の客観性をもって語ることができる。所得が平均より高いか低いかは統計データに基き明確に言うことができる。また、一般的な学力が高いか低いかもおおよそ評価できるだろう。周りの人間にできることは、その人がどのような状況に置かれているのかを教えることである。あなたは、同じ職業に就いて同じように働いている人に比べて何割も所得が低いという事実を伝えることができるだろう。そのことによって待遇改善の要求を持つようになるとか、転職を考えるとかの選択が起こりうる。もちろん、今のままでよいという選択もあるけれども、そういう対話はなくてはならないものだと思う。
 われわれは、他人の幸福には立ち入ることができないが、人の幸福感のもとになる生活の諸条件について関わることができるし、場合によっては、その改善にも寄与できる可能性がある。幸福感と生活の客観的諸条件とは強く結びついていることもまた事実であろう。

2009年12月23日 (水)

ボディビルは美の追求

 ボディビルは筋肉美の追求である。だから筋肉を付けなければ話にならないが、単純にたくさんあればいいというものではない。美しく見せるためには、部分部分の形が重要だし、全体のバランスも必要である。付けくわえると、コンテストになれば大きく見せると同時に美しく見せるためのポージング技術が要求される。
 「美しさ」ということになると、客観的な基準を求めるのは難しい。かなり好みの問題が出てくる。他の競技でも、「美」が基準にあるものがあるが、例えばフィギュアスケートにしてもジャンプ、ステップ、スピンなどの技術が採点され得点のベースになるので、主観の入り込む幅は思ったほど大きくないだろう。ボディビルは体を使って何かをするのではなく、体そのものが評価の対象になる。そう考えると、それはミス・インターナショナルなどの美人コンテストと同じではないかと思ってしまうが、さすがにそれは違う。女性の美しさは多面的にとらえられるが、ボディビルにおける美の場合は筋肉を身に付けた肉体と言う、限定的な範疇に留まる。
 話がややこしくなったが、ボディビルは美人コンテストほどではないが、スポーツのなかでは最も主観的な評価に頼らざるをえない部類に属する競技だと言えるだろう。そのことを前提にして、私のボディビルダーに対する評価を述べたい。

 これまでブログに書いてきたように、日本人で過去の優れたビルダーを上げると、須藤孝三氏と末光健一氏になる。細かいことは以前書いたのでやめておく。海外では、シュワルツェネッガーとフランク・ゼーンの名前を上げていた。シュワルツェネッガーは体が大きく、しかも非常にプロポーションがよいので、かなりの量の筋肉を付けても重たい感じがしなかった。ポージングはあまりにも下手くそだったが、肉体そのものの美しさには文句の付けようがなかった。加えて国家的なヒーローになったという事実が加わって、彼の評価を伝説的なものにした。
 フランク・ゼーンは私好みのビルダーだ。バランスがよく、ポージングに秀でていた。最高峰のミスター・オリンピアを3連覇したのだから多くの人から認められる存在であったわけだが、シュワルツェネッガーが退いた後の世代交代期に当たったことも幸運だったと思う。過去のチャンピオンから目ぼしいところを拾い上げると、セルジオ・オリバー → シュワルツェネッガー → リー・ヘイニー → ドリアン・イェーツ → ロニー・コールマン → ジェイ・カトラー と続く。誰をとっても迫力満点である。そのなかに入ると、たしかにフランク・ゼーンは迫力では負けている。それでもトップになれたのは、他者とは違う「美」の要素を持っているからに違いない。その要素は、先に上げた須藤孝三氏に共通するものであると私は考えている。
 さて、その後のビルダーで「美しさ」に秀でた選手としては、そう多くはないのだが二人上げたい。ショーン・レイとフレックス・ウィラーである。ショーンはオリンピアで最高2位。フレックスも2位である。ショーンは2度ドリアンにタイトルを阻まれ、フレックスもまた2度ロニー・コールマンに阻まれている。考えてみれば、よく似た境遇にあるのだ。二人とも素晴らしくバランスが良く、不必要にでかくない。ショーンは背中が好きである。フレックスは丸みのある筋肉が好きだ。特に肩の丸みは圧巻である。かれらの壁となった二人、ドリアンとロニーはどちらもかれらよりでかいが、美しくはない。私の好きなタイプではないだけに、余計にかれらに同情的になる。1位と2位では雲泥の差なのだ。あれだけ連勝したのだから1回ぐらい譲ってもよかったのにと思ってしまう。とはいえ、それは審査員の決めること。それまでの実績に囚われて評価してしまったということではなかろうか。ゼロベースで審査し、その場の印象を大事にする必要があるのではないか。

ストリップ見学

 学生時代に友達と連れ立って、「社会勉強」と称し、ストリップ小屋やランジェリー喫茶とかいう場所に出かけたことがあった。ストリップの踊り子さんには若い娘からそうでない娘まで年齢の幅があり、外国から来ている女もいた。都内の小屋だったので、まだ若い娘もいたのだが、地方へ行けばだんだん年配(とは言いすぎか)が増えていく。
 ああいうのは、あまり若すぎて元気のよいのは返って興ざめである。はち切れそうな体で勢いよく足を上げたりすると、体操の演技のようで色気がない。少し肉体にも陰りが見え始め、お腹のまわりに少し肉が着いているぐらいがよい。踊る姿に哀愁がある。体に包帯など巻いていると、なにかあったのかなと想像してしまう。ひょっとして怖いお兄さんに苛められたのかなどと心配することもある。そういう具合に、なにか訳ありの人達なのかと思いながら、いくらかの同情心を持ちつつみるという形がある。全部ではないが、一部の人たちはそういう見方をしているに違いない。
 ランジェリー喫茶というのが大学の最寄りの国電の駅の近くにあった。ノーパン喫茶ではないので下着は付けているが、派手なものを身につけてフロアを歩き回られるとこちらも落ち着かない。われわれは皆、まじめ(遊び慣れていないというべきか)であったから、まじまじと見ることができず、目が泳いでいた。市場経済の原理から言えば、支払う金の分だけは見ていいのであるが、これがどうも慣れない。結局早々に退散した次第である。
 学校を出てからは、そういう場所に足を運んだことはない。あまり面白い場所ではなかった。おそらく時代を経て、なくなりはしないが数は減っているだろう。「社会勉強」と称して出かけたわけだが、振り返ってみると確かによい経験にはなったのである。

2009年12月20日 (日)

黒沢明と北野武の対談を聞いて

 学生時代には映画好きの連中がいて、そういう連中が三人ほど集まると映画談議になる。ことに、飲むと議論は盛り上がり、たまたまその場に居合わせたりするとその輪からはじき出されることになる。私は映画は観ないではないがよく観る方ではなかったので、黙って聞いている、あるいは聞くふりをしているしかなかったのだが、彼らの議論が好き嫌いのレベルであったのか体系だった評論になっていたのかは知るすべがなかった。
 私は素人だから、評論の流儀については知らないが、要はその作品を通じて何が言いたいのか、そしてそれが上手く表現できているかを評価することなのだろう。その場合は、出来上がった作品に対して素の自分を向かわせるのが良いに違いない。監督は誰で、どんな取り方をする人で、スタッフにはどういう人がいて、撮影最中のエピソードはこれこれでなどというエピソードは返って先入観を作ってしまって面白くない。映画評論で飯を食っている人なら作品の周辺にある情報を持たねばならないだろうが、素人は、たまたま観た映画に心を打たれたという経験が大切なのである。これはたくさん観れば観るだけ、その量に比例して増えるものではあるまい。たくさん観れば、なんらかの基準に従ってランク付けが可能になるに違いないが、それは一般人として生きていく上で何の足しにもなるまい。
 

 YouTubeで、何年の収録か分からないが、黒沢監督と北野監督(監督と呼んでいいのかどうか)の対談を見た。ソナチネを撮ったあとで、座頭市を撮る前の時代である。黒沢さんは北野武に気を使ってか、あまり難しい話は持ち出さず、もっぱら撮影の苦労話だとか失敗談を語っていた。それがちょうど武独特のジョークと絡まって非常に面白い。例えば、これは他の監督の話としても聞いたことがあるが、娘役の女優に泣いてくれと頼んでもなかなか泣けない。困ってしまって、助監督に説教させたらボロボロ泣きだしたということだ。感情を盛り上げて泣くよりも、叱られた方がたやすく泣けるということだ。
 そんな内容で、面白いがためになるような話はほとんどなかった。それでも、映画にはスタッフの顔つきが出るという話、すなわち撮影途中でいろんなもめごとがあるとそれが映像に出てしまうという黒沢さんの話。それから、北野武の、時間をかけて苦労してやっと仕上げたシーンでも観衆は何も反応を示さないことがあってがっかりするという意味の発言には、作り手と娯楽で観に来る観客(なかには暇つぶし程度の目的の人もある)とのギャップを言い現わしていて面白い。

2009年12月13日 (日)

眠りについて

  私は寝つきはすこぶる良いが、眠りが浅い。そのせいで、昼間に眠気が襲う。会議中にそれが現れるとやっかいだ。決して不摂生しているわけでもないし、気が緩んでいるのでもないのに居眠りをしてしまうので、辛いのである。
 眠りとは、レム睡眠とノンレム睡眠とを1.5時間ずつ繰り返すものだという。経験的に言えば、睡眠時間は1.5時間の倍数であるように思う。受験の時に2カ月ほど一日3時間の睡眠で耐えたことがあったが、なんとかもったのはレム睡眠とノンレム睡眠との1サイクルを確保したからではなかったか。その時はそれでよかったが、そのことはその後に小刻みに目が覚めてしまうという現象につながっている。目が覚めたとしても、すぐに寝入ることができ、2サイクルの6時間眠ることができれば疲れは少なく、居眠りの程度も軽いものだ。ところが、1.5サイクルの4時間半では、体は重たく時折強度の睡魔が襲うのである。
 居眠りを我慢することには、莫大なエネルギーを使う。気力を振り絞って我慢し終わった時には、疲労感が襲ってくるのである。こうやって仕事の効率を下げていることを考えると、思い切って眠り込んでしまう方が合理的ではないかと考えてしまう。とはいえ、さすがに会議中に、しばらく眠りますのでとは言いにくい。

 世の中にはいくらでも眠れるという人がいる。目が覚めて朝だと思ったら夕方だったというような話もある。こういう話は大抵が若い時に聞いた話で、眠ることで明日へのエネルギーを再生産することも若さゆえの生命力であるのだろう。そういう若さももう一度取り戻してみたい気がする。

2009年12月12日 (土)

どこから、どこに向かって、ものを言うか

 自分がどういう立場に立って意見を言っているか、意識している人は少ないだろう。自覚的な人は、ある意味党派的な人間である。多くの人は、立場とかそういうものは考えに入れず、ただ思ったことを口にするのである。
 自分の主張をどこに向けるかという意識は、これまた多くの人には希薄であろう。その主張の意図はどうであれ、中身から判断すれば、政権に向かうべきものであったり、企業の経営者に向かうべきものであったり、労働者に向かうべきものであったりする。そのことがはっきりと自覚できているならば、やはり幾分かでも党派性を持った人間であるだろう。
 政治家はもちろん自分の政治的立場を自覚している。(まれに明確でなく、発言に全く統一性の欠いた人も見なくはないが。)また、議論する場合も敵味方がはっきりしているから、相手を特定した発言になるだろう。知識人は、自らを知識人と規定して発言を行う。知識人というのは特定の職業に属するのでもなく、特定の階層にしか存在しないものでもない。知識人とは自らそう自覚した人間を言うのであり、しかも、自惚れと言うよりは責任感がそうさせるのである。元に戻り、知識人の発言は自覚的である。そして、発言の相手は多くの場合、一般大衆であるだろうし、時には一般大衆と対立する権力者や経営者に向かうこともあるだろう。
 同じ人間でも、相手によって発言が正反対に変わる場合もある。これは移り気だとかいう曖昧な問題ではなく、きっちり説明がつく問題である。例えば、失業者の境遇を改善するために彼らを束ねて運動を進めているリーダーの場合、組織の外に対しては、失業者を徹底的にかばう発言を行う。彼らが雇用を保証されるような仕組みを作らない限り彼らのような失業者はなくならないと主張し、何らかの予算や制度を引き出そうとするだろう。しかし、組織の内側に対しては、いつまでも失業者に留まってはならない。客観的な状況は厳しくとも、職に就くよう努めよと鼓舞するのである。それが真のリーダではないかと思う。
 言論の自由が保障されている限り、基本的に何を言っても構わないわけで、あれやこれやと発言に制約を加えることはよくない。しかし、議論を分かりやすくするためには、自分の主張の依って立つところをはっきり自覚し、できれば事前に示しておくことが望ましい。場合によっては、戦術としてそれを曖昧にしておくこともありうるだろうが、それは例外的な局面においてであろう。
 ちなみに私は知識人の立場でものを言っている。また、特定の集団に寄り添って生きているのではないから、発言の幅は広くなり、やや抽象的であろう。全般に、勤労者の利益を擁護する立場に立とうとしている。また、多くは彼らに呼び掛け、いくらかでも世論形成に影響を与えられたらよいという意図を持っている。

河島英五のこと

 大学の構内で、学生集会のゲストに招かれ、ギター一本で、あの独特の大きな声で歌っていた。大学の創始者の銅像周りは黒山の人だかりで、1980年を過ぎた時代としては珍しい光景であった。
 私は、その集会のなかへは入らず、サークルの地下部室で、遠くに聞こえる彼の歌を何となく聴いていた。その集会を組織している連中に特に嫌悪感を感じていたのではなかったし、連中の何人かとは付き合いもあったが、その中に飛び込んで行って、運動を引っ張ろうという意思はなかった。一定の理解は示しつつも、遠巻きに見ているのが、そのころの私だった。
 その後、少しずつではあるが傍観者的スタンスを捨てながら生きてきた。人生のパートナーを得て、子宝にも恵まれ、好むと好まざるとに関わらず、周辺から中心へと立ち位置を変えていったのだ。それは職場でも同じことだ。しかし、周辺部で中央部を眺めていた時の心境と心情は忘れてはいないし、忘れてはならないと思う。理念として、すべての人が主人公として参加できる社会を求めたとしても、そこに入ることを躊躇して、眺めるにとどまる人は残る。どうしても残る。眺めていることもまた、参加の一つの形である。

 河島英五は1952年生まれ。私より6歳年上だ。同世代の人々に応援メッセージを送り続けたが、もうこの世にはいない。存在感のあった人だけに、その穴のあいたポジションを埋めるものは容易に現れない。

2009年12月 5日 (土)

新型インフルエンザを物ともせず

 我が家にも新型インフルエンザが入り込んだ。大学3年生の長男が発症した。木曜日の朝から発熱し、夜には38度を超えた。息子は大学のマンドリンクラブに所属していて、土曜の夜に定期演奏会が予定されている。コントラバスを担当しているので、抜けられない事情がある。
 家内に氷枕を用意してもらって休んでいた。金曜日の昼に入ったメールによると、新型インフルエンザと判明し、タミフルを処方してもらった。そして、熱は37度近くまで下がったので、そのまま大学に向かったそうだ。20歳ぐらいの子は体力があるのだろう。一晩寝たらほとんど治ってしまっている。本人の病状よりは、クラブのメンバーに移してしまうことの方が心配だ。
 今日コンサートを見に行ってきたが、本人はいたって元気そうで、全体の演奏も普通にできていたので大きく穴を開けることはなかったようだ。目標に向かって集中しているときは、多少の困難は物ともせずに進んでいけるものだ。三人の息子は、期待以上には成長してくれていないが、体が丈夫なのは親としてありがたい。ちなみに、長男は中学高校と6年間皆勤であった。あまり褒めることはないが、今回の頑張りは褒めてもよいと思っている。

ジャズピアノを聴く

  ジャズは詳しくないと前にも書いた。知っているジャズ奏者の名前は両手があれば数えられる範囲のものである。学生時代に友人からキース・ジャレットのケルンコンサートを勧められてレコードを買った。確かに、このコンサートは素晴らしく感動的ですらあったが、他の曲は、悪くはないが気に入るほどではなかった。別の友人はジョン・コルトレーンを好んで聴いていて、その話を聞かされていたので名前を覚えた。他、ラジオ番組で大橋巨泉がジャズの話をするときに話題で出していたミュージシャンの名前が耳に残っている程度である。
 今日、ジャズピアノを聴いてみたくなった。デューク・エリントン、ビル・エバンス、ビリー・テイラーを聴く。曲は、A列車で行こうとサマータイムぐらいは知っているが、他は知らないものばかり。素人には3人(3組)の特徴はよく分からないが、ビリー・テイラーが一番聴きやすい感じがした。顔も親近感を覚えるし。
 映像は1960年代前半のものが多い。ちょうどベトナム戦争が始まる直前の時期だ。小さめのホールやスタジオで収録されているが、聴衆はネクタイを締めた白人である。演奏する側には黒人が多いが、聴衆にはいないのだ。今は多少は変わっているのかもしれないが、当時は音楽も含め芸術が白人に独占されていたのであろう。人種、民族、国家による芸術の独占。あるいは階級、階層による芸術の独占は当たり前の様にしてある。

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