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2009年11月15日 (日)

演劇について

 演劇についてはあまり知識がない。かつて、テレビで放送していた吉本新喜劇と松竹新喜劇はよく見たが、あれも演劇の一ジャンルに違いなかろう。しかし、格調高く芸術性に富んだものだけを演劇と呼びたい人達にとっては、その枠の中に入らないものなのだろう。
 吉本新喜劇はわれわれ庶民にもっとも身近で分かりやすいお芝居だ。ここから面白さやおかしさ以外のものを求める必要はないから気楽である。私は、この芝居からお笑いのセンスを学んだ。(そんなのないと言われそうだが・・・。)松竹の新喜劇は、同じ喜劇でも少しお説教臭さがある。花紀京は、「臭い芝居」と表現していた。しかし、それはよく分かるが、その臭さがまた松竹の魅力であった。藤山寛美は大衆から絶大な人気を得ていた。普通の人を笑わせたり泣かせたりする術を知りつくしていたのではないかと思う。決して器用そうには見えなかったのだが。
 生で芝居を見た経験は少ない。大学の時に友達がやっている、いわゆるアングラ劇を見に行ったことがある。そういうものに関心がなかったわけではないが、見ていてどこがいいのか分からず、まったく面白くなかった。おそらく、そういうジャンルを受け付けなかったのではなく、その芝居の水準が著しく低かっただけのことであろう。テレビで見た、つかこうへい劇団の「戦争で死ねなかったお父さんのために」はすこぶる面白かったから、脚本と俳優が優れていたのだ。ちなみに、風間杜夫、三浦洋一、平田満がここからメジャーな世界に出て行った。(まったく偶然だが、三浦洋一は私の兄と大学の時に同じクラスだった。また、三浦洋一の弟は私の友人と同じ大学で同じクラスだった。)
 他では、歌謡ショーの付録の様な芝居を見たぐらいである。それは梅田コマ劇場で公演していた北島三郎ショーである。当然北島が主演であるが、脇役はおおよそいつもの常連さんである。はっきり言ってしまえば、かなり気楽なお芝居である。それでも連れて行った親父とおふくろは十分に満足していた様子だった。それでいいのである。

 他に、新派と言われる歴史のある演劇があるが、興味はない。また、前進座や民芸の芝居があり、これは生で見てみたい気はするが、前に大滝秀治が出演している芝居をNHK教育テレビで放映しているのを見たことがあるが、これが面白くなかった。
 その他に、いわゆる大衆演劇という剣劇中心の芝居がある。イメージ的にちょっと安っぽい感じがするが、意外に見たら面白いかもしれない。

 多くの人々の興味を惹き、観客を呼べる芝居もあれば、ごく限られた人達にしか理解されず支持されない芝居もある。芸術にはそれを支えるカルチャーが存在しているのだと思う。少数派の、難解な、ある意味インテリにしか分からない様なお芝居もあっていいのだと思うが、大衆的な広がりを持たない芸術にどれだけの力があるだろうか。文部科学省がお金を出して生き永らえさせるもの、古典芸能である能や狂言には保存する価値があるだろう。しかし、よくは知らないが、歴史的価値もなく、掘り下げが浅く、普遍的な本質を持たないような芸術が税金を使って延命処置をとられるようなことがあるならば、それには反対しなければならない。
 もちろん、大衆に支持されるだけがよい芸術の証ではない。少数にしか理解されない芸術のなかに、人間にとって欠くことのできないテーマや表現の形式が隠れているかもしれない。だから、決めつけてはいけない。しかし、正確な評価は難しいものだ。結局、芸術というものは、自然の淘汰に任せるのが一番かもしれない。いい悪いの論議よりも、好き嫌いの次元が必ずしも劣っているわけではない。

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