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2009年11月 1日 (日)

川上未映子 「へヴン」

 川上さんは昨年、「乳と卵」で芥川賞を受賞した。その後、次の作品を生み出すことに苦闘する様子が報道されたりして、どんな作品が発表されるか世間の注目を浴びていた。「へヴン」の単行本は、9月1日付で発行され書店に積まれるようになった。私も注目していた一人だったが、すぐに購入せず様子をみていた。しかし、昨日旭屋書店を訪れたときに、帯の「反響続々、発売即重版!」に惹かれて買ってしまった。そして今日一気に読んでしまった。
 「乳と卵」との比較は、片方が短編であることと題材も違うことから単純にはいかないのだろうが、私には随分進歩しているように思えた。前作は、結局のところ何が言いたいのか分からず、大阪弁による親子の会話と卵をぶつけ合うエンディングの面白さが目立ったのだが、今回の作品ではより深い主題が扱われていると思った。そして、その問題に果敢にチャレンジしようとする川上さんの意欲も強く感じることができた。
 題材は中学校における「苛め」である。苛めはおおよそ集団が個人を攻撃する形をとる。しかも公然と行うことなく、見えないところで陰湿に行われる。しかし、苛める側に罪の意識はない。しかも、この小説に登場する二ノ宮と百瀬はともに成績優秀な生徒で自分の行為を正当化する理屈には驚くほど長けている。中ほどから後半にかかるところで、「僕」と百瀬の間で展開される、苛めの「罪」についての論争は、川上さんにとっても最も力の入った部分ではなかろうか。苛める側に罪があり、罰を受けるべきことは明白だが、これを当事者に分からせることは容易ではない。川上さんもそれをよく分かっていて、あえて執拗に百瀬に反論させている。善か悪かでいえば、かれらは悪であるのは間違いないが、そのことを説得しきれない今の時代が歯がゆいのである。私は、ここの行を文字通り歯ぎしりしながら読まざるを得なかった。ここは、まさに、川上さんの大いなる仕掛けだったのかもしれない。かれらは、今の時代に規範とは何かを挑戦的に問うているのである。

 私は、この小説の核心は、コジマの存在だと思う。無抵抗の抵抗は成り立つのだろうか。包み込む、マリア様のような愛は有効たりうるのだろうか。残念ながら敗北感に打ちひしがれざるをえなかった。これもまた川上さんの挑戦であるが、まだ成功していない。最後の事件のあと、コジマはどこに行ってしまったのだろうか。もはや余人の理解するところを超えてしまった彼女は、隔離装置のなかに押し込められたに違いない。もう一度、女神として復活は可能だろうか。川上さんの今後の作品にそれを期待したい。
 最後に。「僕」は「斜視」の手術を受けて、新しい風景を手に入れることができた。それが、未来への希望を象徴するかのごとく描かれているが、ここでそれは、どれだけの意味をもつのだろうか。そんなことで「僕」は解放されないのではないか。コジマが訴えていたではないか。全く本質的な問題ではなかったのだ。川上さんはどういうつもりなのだ。終わり方に不満が残った。

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