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2009年11月の投稿

2009年11月29日 (日)

追い詰められた日本

  週刊東洋経済の11月21日号で、ユニクロの柳井正会長兼社長がインタビューに答えている。主に成功の要因について書かれており、単に価格を下げただけではなくて、カジュアルの市場を広げたことやヒートテックによって新しい市場を作り出したことが大きいと語っている。
 ところで、ここで取り上げたいのはそういうことではなくて、インタビュー中に柳井氏が口にした「いよいよ日本も追い詰められてきた。」という言葉である。こういう歴史認識が日本有数の成長企業の経営者から出たということは、経済の最先端で戦っている人ならではの発言とも受け取れるし、そういう位置にある人でさえもここまでの認識は持ちづらいという受け取り方もできる。いずれにしても、日本が国際社会のなかで経済的に劣勢に立たされ(それは政治的にも切り札を失うことになるのだが)、このまま手を打てなければ挽回不能な位置まで低落するであろう分かれ目に来ているという認識があり、正しいと思うのである。
 高度成長期を経て80年代に日本経済は最高潮に達し、国民は少なくとも経済においては、ナンバーワンは言いすぎにしても一流国になったと思った。下流・下層の人々は革命期を除いていつの時代も冷ややかであるから、この時も中流以上の国民がそう思ったのだが、それも長続きせず株のバブルと不動産のバブルがはじけ、巨大な負の遺産を生み出してしまったのだ。国民は個人的にも大きな痛手を被った。資産を大きく目減りさせたし、多額の負債を遠く将来まで背負うことになった。すでにこの時、転落の道を歩み始めたのであるが、まだまだ日本の経済には潜在力があっていくらでも取り返しがきくという宣伝にのって危機感を抱かなかったのではないか。ただ、個人的に失敗したという悔恨の念は抱いたに違いないが。それは、国家のレベルまで広がらなかった。
 その後、財政出動によって欠損部分の埋め合わせが行われ、痛みの緩和が行われた。どんよりとした空気のなかで、希望は失いつつも、なんとかなるだろうという消極的な楽観論が流れた。一時的に、一部産業で一部企業が驚異的な成長を遂げたが、それは海外でのバブル経済に依存したものであった。そして、かつての日本で起こったのと同じようにそのバブルははじけ、再び日本企業は一気に業績を悪化させた。今や希望は中国の成長であり、環境バブルの到来である。しかし、日本国家の足元を見ると、膨大な累積赤字の問題があり、最早限界点に近づいている。

 この状況をどうやって突破するか。先送りする、あるいはそもそも見ないようにする風潮が強かったが、そろそろ考えなくてはならないと国民が思い始めているように思う。その現れが政権選択である。新政権に期待するところは大きいが、やや人気取りの目先の政策に偏っているのではと心配する。支持を持続して参院選で勝利し、一気に一党支配体制に持っていこうとする意図が見え隠れする。私は、財政赤字の問題は、その解消が非常に困難であると思うが、少なくともその原因を作った人には担える課題ではないと思う。具体的な道筋を示せるほどには私も勉強していないので、そのことだけは言っておきたい。

するかしないか

 するかしないか迷うことがよくある。私は考え込む傾向が強く、とりわけ若いころは顕著であった。なぜ若いころに強くその傾向があったのか考えてみると、そのころは選択を迷う課題そのものが生活に根差したものではなくて、すぐに結論を出さなくても困りはしないという事情があったのだと思う。それが年を追って、家族の生活をどうするかを判断し、仕事では成果を出すための方策を検討するに至って、迷っていられなくなったのだと考えることができる。
 さて、ここからは一般論であるが、するかしないか迷った場合にどうすべきであるか考えたい。迷うと、性急に結論を出すよりも、とりあえず「しない」方を選ぶのが無難だと考えがちである。しかし、よく考えてみると、どちらかの選択が俎上に上る程度に事態が検討されているのであれば、「する」方がよいのではないだろうか。その段階に至っては、「する」リスクより「しない」リスクの方が大きいと思われる。結論は、迷ったならば、あるいは迷う程度にまで煮詰めたならば、実行せよと言いたいのだ。
 もちろん、あまり考えないで即断するのはよくない。失敗しないためには普段からよく考えていなければならない。考えられるタイプの人は、積極的に判断し、実践を重んじるべきだ。これは偏見かもしれないが、日本人は考えすぎて実行しない場合となにも考えないで行動してしまう場合と両極端に出てしまう。
 

 子どもたちが、どうしようかと迷っている姿を見ると、迷ったら「する」方を選べと言ってしまう。失敗する場合もあるだろうが、失敗もよい経験になると考えれば、「する」ことの効用は絶大である。

2009年11月28日 (土)

「事業仕分け」に思う

 今政府によって「事業仕分け」という予算の見直しが行われている。進歩したのは、これが広く公開されていることだ。そのせいか、マスコミで様々な事業が取り上げられ、それについて様々な意見が出され、世論もそれに反応している。そのこと自体はよいことに思われる。
 科学技術振興の予算も見直された。これに対しノーベル賞受賞者や毛利衛さんなどの著名人が異議を唱えている。意見はもっともである。日本が国際的に生き残っていくための鍵は人づくりであり、技術の振興にあることを否定する人は少ないだろう。私もそう思うので、無条件に認めよとは言わないものの、慎重に扱ってほしい。とはいえ、予算がすべて目的通りに使われいると言えば嘘になるだろう。関係する団体に天下りする役人もいるだろう。予算が動くところには人や組織が群がる。時に悪い人達が関係する。そういう部分は見なければならない。ただし、予算を減らせば、そういう人や組織を自動的に排除できるわけではない。それには、その問題に応じた仕掛けが別途必要なのである。

 予算には限度がある。一方、現在の社会では困っている人が山ほどいる。どこに優先的に配分すべきか。この優先順位の付け方こそ、まさに政治の要諦である。政治においては予算をどう使うかということと制度をどのように設計するかということが肝心な問題である。現実に利害関係はあるのだから、どの部分(階層)に厚く遇するのかが問われる。
 ただし、科学技術の振興などの問題は階層を超えて重要な課題であると思う。飢えた人には緊急的に予算を回すべきであるが、いくらかは将来への投資も必要である。これは企業の経営と共通した課題である。

「アルハンブラ宮殿の思い出」 聴き比べ

 クラシック音楽には詳しくないが、今日はギター演奏が聴きたくなってYouTubeで「アルハンブラ宮殿の思い出」を検索した。そして、女性3名男性4名の演奏を聴き比べした。
 あくまで、この範囲での話であるが、演奏時間は女性が長い。3人とも6分強である。男性は5分程度であるが、一人私でも知っているナルシソ・イエペスは3分で演奏している。聴いていて確かに速いが、特別違和感はない。
 指揮者によって演奏の長さが大きく変わるということは聞いて知っているが、全くのソロの場合にも奏者によって変わるのは当然であり、同じ奏者であっても日によって違いが出るのも分かる。それとは別に男女での違いについては、今まで聞いたことがない。しかし、その分野では何か定説があるのかもしれない。もしも、違いがあるのであれば、体力的な要素か、あるいは感性の差によるものなのだろうか。
 もうひとつ、弾き方の男女差はあるのだろうか。普通に考えれば、女性はソフトで男性は力強いと思うのだが、7名を聴いた限りはそういう違いは感じられない。一番ソフトに感じたのは男性のぺぺ・ロメロである。この人は有名なギター奏者らしい。ついでにこの人の曲は何曲かお気に入りのクラシックのフォルダに入れておいた。

 人による仕事の違いは、芸術の場合特に大きく出る。ビジネスでも、ルーチン業務のように標準化しているものは違いが出るとかえっていけないが、実際は差があるものだ。ただし、個性が認められるのは、アウトプットが一定の水準を超えているという条件付きだ。まずは、よくできる人の真似から始めなければならない。

お墨付き 益川さんの「私の履歴書」より

 日本経済新聞の「私の履歴書」にノーベル物理学賞を受賞した増川さんが書いている。「CP対称性の破れ」という考え方については皆目分からないが、クォークが6種類あると仮定すると説明が可能になるらしい。
 ここでは理論の中身については触れない。(いや、触れられない。)読んでいて面白いのは、学問の世界の様子である。湯川秀樹さんもノーベル賞を受賞したその道の権威であるが、理論には弱点があったらしい。その弱みを突かれると大そう機嫌が悪かったらしい。益川さんは南部陽一郎さんと一緒に受賞したが、南部先生は湯川先生よりも上だと公言して憚らなかったらしい。小林・益川理論は南部さんにお墨付きをもらうことにより、広く学界で認められるようになったとも書かれている。
 以前に、優秀な人間が頭角を現すためには、必ず近くに彼の才能や業績を評価できるもう一人の優秀な人間が存在するという意見を書いたことがある。益川さんは、南部さんがいなかったらこれほど評価されなかったか、もしくは評価されるのが遅れたに違いない。スポーツや芸術ならば人の目に触れる機会は多くあるが、学問の成果はその世界の人以外には知るところとならないので、特に評価者の存在が大きい。理論の中身はもちろんのことだが、あの人の言うことなら・・・というわけだ。学問の世界も人の世界であって、いかに実力者の口添えが有効かという事例である。
 益川さんは一本気な性格のようで、出世を狙って権威に近づく人ではないが、業績というものは一人の力で残せるものではない。運悪く、彼の才能を認める人間がいなくて不遇に終わり、後世になって評価される天才もいる。あまりに前を走ってしまうと、後続の視界から消えてしまうのであろう。

 まわりに埋もれてくすぶっている才能はないだろうか。学問の成果なら時間が経っても使えるが、年をとってから発揮できないような才能は今見つけてやらないと手遅れなのである。「惜しかった」と悔やんでも後の祭りである。

2009年11月23日 (月)

舞台がなければどこで踊るか

 とある私立高校の吹奏楽部の定期演奏会を聴きに行ってきた。3年生の部員にとってはこれが最後の舞台となる。演奏も素晴らしかったが、最後になった3年生が、プロジェクターで映された幼いころの写真を背にして、顧問の先生から一人ひとり名前を呼ばれるシーンが印象的だった。まさに晴れがましい舞台である。
 しかし、私は思った。彼らは恵まれている。もちろん、部活動を続け、技術を磨いて人に評価されるところまで上達するのは相当な努力を要したに違いない。でも、それは舞台があったからではないか。舞台は自分で作ることができない。舞台を用意してくれたのは他ならぬ親である。親がどんな人であるかによって、子どもの人生は大きく左右される。

 彼らには舞台があった
 その舞台で踊ることを覚えればよかった
 君たちにはなにもなかった
 踊ることなど思いもよらなかった

 彼らには光が届いていた
 光を受けて大きく葉を広げることができた
 君たちにはなにも届かなかった
 なすすべなく葉を縮めるしかなかった

 彼らは前を向いていた
 堂々と前を向いて、次の舞台に進んで行った
 君たちは下を向いていた
 きょろきょろとよそ見して、そしてなにも見ていなかった

 君たちは、君たちという葉っぱは、
 力なく、太い幹からこぼれ落ち
 路上に重なるようにへばりつき
 堂々と前を向いて行進する彼らに踏みつぶされる

 君たちの存在さえ気が着かないままに
 そして君たちも踏まれていることを知ることなく

 

2009年11月22日 (日)

タモリ 今夜は最高より

 YouTubeは宝の山である。趣味である音楽ならば曲を探し、スポーツならば劇的な瞬間を動画で探し、お笑いならば名人芸と呼べる演目を探す。
 昨日はものまねつながりで検索していると、タモリがやっていた「今夜は最高」にいきついた。YouTubeでは何十本か収録したものを見ることができるが、そのなかで面白かった3本をお気に入りのなかに入れた。その3本のゲストは、①藤村有弘 ②小松政夫 ③団信也 である。
 藤村有弘は本業が俳優・声優だったが、インチキな外国語を使う話芸を一つのジャンルとして確立した。それをタモリが受け継いだ形になっているが、その器用さ、繊細さにおいては藤村が第一人者と言える存在だった。この収録でも、インチキ中国語でのタモリとの掛け合いが絶妙である。
 小松政夫は、植木等の付き人から出たタレントで、師匠を継いでナンセンスギャグ路線を歩いていた。最近は主に俳優の仕事をしており、NHKのドラマによく使われているようだ。出身はタモリと同じ福岡で、同郷ということで交友がある。ちなみに、イッセー尾形と武田鉄矢も同郷で親しくしている。この収録では、電車の音真似や製材所の電動ノコギリの音真似をしているが、単なる物まねではなくて、真似するときの妙に力んだ感じが笑いを誘う。
 団信也は、本業は何なのかよくわからないが、漫談をやり、物まねをやり、司会もこなすと思う。物まねではシナトラやディーン・マーチンなどのアメリカの歌手の真似が上手く、サミー・デービスJrがやる芸を日本人がやっているところがすごい。声がよく、歌が上手いからできる芸である。この収録では、三遊亭圓生、鶴田浩二、渥美清、東野英治郎、柳家金語楼、東八郎などを真似ていて、どれも面白い。似ているというのではなくて面白いのである。ただ、タモリと掛けあっているので面白さが何倍にも増幅している面があるだろう。最後の寺山修司と野坂昭如を真似ての掛け合いは絶妙である。よく言われるように、声真似だけではなく、その人の思想を模写しているところが味噌である。

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2009年11月21日 (土)

非正規従業員に対する配慮

 私は十数年にわたり、営業の事務業務を監督する立場にいた。本社のみならず、営業所の事務についても見ていた。営業事務に携わる従業員は大半が女性で、しかもパート雇用と派遣労働者を主としていた。したがって、この人たちを上手く使うことが業務の推進にとって非常に大きなポイントとなった。また、経営トップからはかねがね彼女たちに対する気配りを忘れるなと言われていたので、その忠告を守るようにしていた。
 基本は正社員と差別しないことである。現実を言ってしまうと、確かに待遇には差がある。そこは正直言って考えないようにして、それ以外の部分で気をつかった。仕事自体はあまり正社員と違いはなかったので、とにかく協力していい仕事をすることに努めた。お得意先からの問い合わせや苦情など多種多様な電話に対応することが重要な仕事であり、かなりの負荷がかかったが、熱心に対応してくれて、私もその努力と苦労を認めていた。本社の従業員とは一緒に飲みに行ったり、カラオケに行ったりして親睦を深め、なかには営業マンと結婚した派遣社員の女性もいた。営業所へ出張するときは女性へのお土産を忘れなかった。定番は、「塩こぶ」だった。普段は電話でやりとりして問題解決にあたっており、お互いに理解し合っているので、訪問すると大歓迎してくれた。
 このような経験を踏まえて考えると、いくつかの大事な点が分かってくる。ひとつは、立場の差を意識させないこと。あまり上から物を言うような態度を見せると、素直に言うことを聞いてくれなくなる。二つ目は、あまり深入りしてはいけないが、ある程度は一緒に苦労をすること。大きくなくてもいいので、共通の土俵を作ることである。三つ目は、女性としても認めることである。こういうと言いすぎかもしれないが、主婦の場合普段あまり大事にされていないので、ちょっとした気づかいをありがたく思うようだ。髪を切ってきたときに、髪型変わった?などと言ってあげると結構喜ぶ。ご主人は気が着かないかもしれないが。

 このように女性には特別に気を使って仕事をしてきたが、以前は派遣社員の数が少なかったのでまだ対応がしやすかった。最近は人数がぐっと増えてきている。そうすると、一人ひとりに声をかける余裕がなくなってくる。最近聞いた話では、新しい派遣社員が入ってきたときに皆を紹介したらしいが、社員から始めたのはよいものの、派遣社員2名の紹介を忘れたらしいのだ。あとで、この2名は、どうせ私たちは派遣だからねとひがんでいたらしい。こうなったら職場の雰囲気も損なわれるに違いない。管理監督職は大いに反省すべきである。
 派遣社員の扱いと言うよりも、根本的には人間の扱いの問題である。

観客の少なさが目立つ大相撲

 今、大相撲九州場所が開催されている。画像付きのニュースで見ると、観客が随分少ない。半分埋まっているかどうか怪しいぐらいだ。もともと、九州場所は客入りが悪いのだが、ますますひどくなっているようだ。他の場所は九州ほどではなく、満員御礼(基準が明確ではないが、文字通りの満員ではなくても出しているようだ。)の日も時々ある。しかし、人気がなお下降していることは否定できない事実だろう。
 大相撲協会の体質については、ブログで何度か触れてきた。人気低迷の大本の原因はそこにあると考えている。もちろん、社会の変化があって国民の興味・関心が多様化し、それによって相撲がその地位を低下させたことは背景としてあるに違いない。とはいえ、その変化をとらえて、適切な策を講じなかった協会に主体的な責任があるのである。国技だからといって因習に囚われていては、そのうち歌舞伎の様に過去の遺物と成り下がるだろう。
 戦後、国民の娯楽として、プロ野球、大相撲、映画が大きな位置を占めたと思う。このうち、プロ野球はテレビ中継の機会が減るなど一時ほどではないにしろ人気を保っている。映画はテレビの普及で産業として衰退してしまったが、企業や制作に携わる関係者の努力で娯楽の一分野を形成している。これに対し、大相撲は他のプロスポーツの隆盛によって有能な人材の取り込みが困難になりながらも、NHKの放送に守られ、一方で若貴のような人気力士を強引に育てたりなどして、なんとか持ちこたえてきた。しかし、昨今では上位陣は外国人力士の占めるところとなり(外国人を入れたこと自体は評価できるが)、日本人力士が脇役となってしまったことで、次第に国民の関心は薄らいでいる。また、麻薬の摂取の問題や部屋における暴力事件への対応が毅然としなかったことに対する不信も影響していると考えられる。競技として見た場合には非常に面白い要素があるので、このまま衰退するのは私としても残念である。

 相撲も結局、「人気」がなければ興業として成り立たない。野球やサッカーのようなチーム競技とは違って個人競技であることの不利がある。力士としての寿命が短く、廃業後の生活も開けているとは言い難い。そんななかで、実力があり、見栄えの良い人材をいかにして発掘するのか。よほど魅力がなければ古い慣習に縛られた世界に飛び込みはしないだろう。以前、部屋制度の廃止を意見として書いたが、格式に囚われていては変革は進まない。Tシャツを着て歩いただけで注意されるのではあまりに不自由である。歌舞伎みたいになると言ったが、歌舞伎役者は公演が終ればただの人に戻れるが、力士はいつも力士でいなければならない。横綱の品格への要求は、総理大臣への要求より厳しいかもしれない。

フェリー座礁現場を観る

  郷里の三重県南牟婁郡御浜町は普段目立たない町だが、フェリーの座礁でその名の知れるところとなった。ニュースで御浜町沖が現場であることを知ったが、写された画像の背景から実家近くに違いないと推測した。
 この木曜日に、たまたま葬儀があって帰省したのだが、それが横転したフェリーを観る機会となった。葬儀が終わった後、自宅前の国道を渡り、すぐ下の海岸に行くとまさに目の前に大きな船体が横たわっていた。今、重油の抜き取り作業が行われているところらしい。普段は、小さな漁船がたまに行きかう程度でひっそりした海だが、一転見慣れない風景が出来上がった。他にも見物人がいて、いい見世物になっている。
 事故のあと、テレビ局が入り、取材のヘリも飛んで賑やかだったようだ。この日もヘリが飛んでいた。近くのスーパーには、「フェリー見物の駐車お断り」という張り紙があった。買い物客の駐車スペースがなくなるからだ。国道沿いに路駐した車が並ぶ。他県のナンバーも多い。
 撤去までもうしばらくかかるだろう。正月まで残っていたら、また俄か観光スポットになるのではないか。まさに突然現れた、非日常的景観である。

2009年11月15日 (日)

演劇について

 演劇についてはあまり知識がない。かつて、テレビで放送していた吉本新喜劇と松竹新喜劇はよく見たが、あれも演劇の一ジャンルに違いなかろう。しかし、格調高く芸術性に富んだものだけを演劇と呼びたい人達にとっては、その枠の中に入らないものなのだろう。
 吉本新喜劇はわれわれ庶民にもっとも身近で分かりやすいお芝居だ。ここから面白さやおかしさ以外のものを求める必要はないから気楽である。私は、この芝居からお笑いのセンスを学んだ。(そんなのないと言われそうだが・・・。)松竹の新喜劇は、同じ喜劇でも少しお説教臭さがある。花紀京は、「臭い芝居」と表現していた。しかし、それはよく分かるが、その臭さがまた松竹の魅力であった。藤山寛美は大衆から絶大な人気を得ていた。普通の人を笑わせたり泣かせたりする術を知りつくしていたのではないかと思う。決して器用そうには見えなかったのだが。
 生で芝居を見た経験は少ない。大学の時に友達がやっている、いわゆるアングラ劇を見に行ったことがある。そういうものに関心がなかったわけではないが、見ていてどこがいいのか分からず、まったく面白くなかった。おそらく、そういうジャンルを受け付けなかったのではなく、その芝居の水準が著しく低かっただけのことであろう。テレビで見た、つかこうへい劇団の「戦争で死ねなかったお父さんのために」はすこぶる面白かったから、脚本と俳優が優れていたのだ。ちなみに、風間杜夫、三浦洋一、平田満がここからメジャーな世界に出て行った。(まったく偶然だが、三浦洋一は私の兄と大学の時に同じクラスだった。また、三浦洋一の弟は私の友人と同じ大学で同じクラスだった。)
 他では、歌謡ショーの付録の様な芝居を見たぐらいである。それは梅田コマ劇場で公演していた北島三郎ショーである。当然北島が主演であるが、脇役はおおよそいつもの常連さんである。はっきり言ってしまえば、かなり気楽なお芝居である。それでも連れて行った親父とおふくろは十分に満足していた様子だった。それでいいのである。

 他に、新派と言われる歴史のある演劇があるが、興味はない。また、前進座や民芸の芝居があり、これは生で見てみたい気はするが、前に大滝秀治が出演している芝居をNHK教育テレビで放映しているのを見たことがあるが、これが面白くなかった。
 その他に、いわゆる大衆演劇という剣劇中心の芝居がある。イメージ的にちょっと安っぽい感じがするが、意外に見たら面白いかもしれない。

 多くの人々の興味を惹き、観客を呼べる芝居もあれば、ごく限られた人達にしか理解されず支持されない芝居もある。芸術にはそれを支えるカルチャーが存在しているのだと思う。少数派の、難解な、ある意味インテリにしか分からない様なお芝居もあっていいのだと思うが、大衆的な広がりを持たない芸術にどれだけの力があるだろうか。文部科学省がお金を出して生き永らえさせるもの、古典芸能である能や狂言には保存する価値があるだろう。しかし、よくは知らないが、歴史的価値もなく、掘り下げが浅く、普遍的な本質を持たないような芸術が税金を使って延命処置をとられるようなことがあるならば、それには反対しなければならない。
 もちろん、大衆に支持されるだけがよい芸術の証ではない。少数にしか理解されない芸術のなかに、人間にとって欠くことのできないテーマや表現の形式が隠れているかもしれない。だから、決めつけてはいけない。しかし、正確な評価は難しいものだ。結局、芸術というものは、自然の淘汰に任せるのが一番かもしれない。いい悪いの論議よりも、好き嫌いの次元が必ずしも劣っているわけではない。

組織における人間の成長

 昨日、人間の成長の条件について書き始めたが、まだまとめきれていない。まずは、序論というべきである。

 私の関心は、「組織における人間(組織構成員)の成長」の問題である。これは単純に科学的、学問的な興味に由来するものではない。会社組織を発展に導くために日々要求されている課題への答えを導くための目的意識的関心である。
 昨日書いたように、勤め先に何年間かの期間をかけて大きく成長した社員がいる。彼はある工業高校の出身であるが、なぜ入社後十数年たってから著しい成長を遂げることができたのかを解明したいのである。その成長のプロセスを明らかにすることにより、成長の条件とメカニズムについて一般化してみたい。それが今後人材を育てるという企業にとって最も重要度の高い課題への一つの処方箋を提供すると考えるからである。とは言っても、非常に限られた事例(2~3名)のなかで普遍的な対策を導き出すことは容易ではない。しかし、学術論文を書くことが目的ではないので、おそらくこれに違いないだろう程度の判断で、それを実践してみればよいのである。そのことの弊害はあまり考えられない。

 仮にN君と呼ぼう。N君の周りには上司がいるし、同僚もいる。彼らとの関係において、どのような影響を受けたのか。業務上の指導を受けているが、それは以前からあった。しかし質的な変化があったはずだ。会社全体で、指導のやり方を変えるべく改革に取り組んでいるからだ。だが、すべての部署で同じ成果が生れているのではないし、N君の部署でも皆変わりはしなかった。直接的には彼の上司の役割であり、特に身近にいる同僚社員の役割が大きいのではないかと考えている。少し結論を暗示しておくと、経営や上司の方針に対してネガティヴな反応を示さないという特徴がある。これとは正反対の特徴を示す部署もあるので、その点は際立って見える。しかし、ここで大事なのは、そういうポジティヴな姿勢がなぜ生れたのか、その原因である。
 次に、N君自身の問題である。変化が生れるまでの十数年の期間は全く目立たない存在だった。また大きな期待は掛けられていなかった。きっかけは、全社的に進められている風土改革運動だった。社員同士のコミュニケーションを強化し、相互理解の促進と信頼関係の構築、そして一歩前に進んで、自ら考え判断し行動できる社員への成長を提唱してきた。そういう一連の運動があり、そのなかでN君自身の変化が生れたのである。仮説としてあるのは、彼自身の内部に、刺激を与えれば芽を出すべき、何らかの「種」があったという考えである。それは物質でないだろう。また知識でもない。はっきり分からないが、何か情報に反応する枠組みの様なものかもしれない。あるいは発想の枠組み(未来へのイメージを形成する仕方)の様なものを内在させていたのではないかという着想である。

 漠然としているけれども、要は本人に成長する力がもともと備わっていて、それを周囲が上手く刺激してやったので大きく変わっていたという仮説なのだ。

 ひとつ、会社の自慢になってしまうが、社員全員に差別なく成長の機会を用意してきたことが、N君の成長を保障したのである。現場の労働者は決まった通りに物を作っていればいいという姿勢では、N君の成長の種は芽を出さなかったに違いない。人間は(特に若者は)希望がなければ生きられない。希望は機会(いくらかでも)が保障されなければ持つことができない。機会はないことはないが、あまりに偏在している。それが、今日の日本の大問題である。

2009年11月14日 (土)

成長は何によってもたらされるか

 私が勤務している先は社員数が200人に満たない小さな企業だが、そこで見ていても一人ひとりに個性があって面白い。経営の立場から言えば、一人ひとりにどれだけの能力があり、その能力が目的や目標に向かってどれだけ発揮されているか。また、一人ひとりの能力は向上しているのかが気になるところである。
 人間の成長は基本的に緩やかなものであり、毎日見ていると気が付かないことが多い。自分のこどもがその典型的な例で、おじいちゃんやおばあちゃんが久しぶりに会って、大きくなったねえとか立派になったねえとか言っても、当の親には実感がない。社員にも同じようなことが言えるが、職場では成果を求められるし、そのためには努力も必要だ。また、仕事の力量を上げることも要求される。だから、のんびりしているわけにはいかない。ところが、期待通りに成長できる社員がいる半面、期待に反して伸びない社員もいるし、まれに期待さえ掛けられなくなっている者もいる。最近、ある事業所で、著しい成長を遂げた社員が数名いるという報告を受けたが、全体から見れば貴重な例であって、そんな人が続々と現れる状況には至っていない。おそらく、世の中には数多の企業が存在しているが、大半は同じことなのだ。何人かでも、そういう事例があるだけ私の会社は優れた面があるに違いない。

 さて、改まって、人が成長するには、条件として何が必要なのだろうか。

1 素材
 ①基礎的な能力  まずは生まれつき備わっている能力がある。体力面を考えると分かりやすいが、体格はもちろんのこと走る速さなどもかなり遺伝的な要素が大きくて、訓練によって伸ばすことはできるものの大きな制約を受けていることは否定できない。しかし、精神的な活動においては、芸術家や最先端技術の研究者などのように特殊な能力を必要とする場合を除いては、埋まらない溝ではないように思われる。
 ②感性、感受性  もうひとつ大事なものに、身体の外部から情報を取り入れる力がある。これも①の基礎的な能力のひとつなのだろうが、これを分けて考えるのは、成長にとって大きな決め手になると考えるからである。後天的な部分との区別は付きにくいが、生れつきこの能力の大小はある。  

2 環境
 ①家族  まずは生れて入る家族関係の在り方が人の成長に影響を与える。本人に選択の余地はないから、これこそ運命的な要素である。
 ②地域  今はこの要素は希薄になってしまった。昔は近所のおじさんやおばさんに教えられることが多かった。近所付き合いの大切さも学んだ。
 ③学校  これは今でも大きな影響力を持っている。昔は教師の権威が今よりずっと大きかったので、感化されることは多かった。よい教師にめぐり会うことは、その後の人生に少なからず影響を与えることも多かった。
 ④勤め先  人生のなかでもっとも費やす時間の長いのが、仕事の場所である。ここで本当の自分が鍛えられる。どういう職業あるいは職場にめぐり会うかは人生にとって決定的である。

3 契機
 基本的な条件は1と2に書いたとおりだが、決め手は何かというと特別なきっかけである。近くに師と呼べる人物がいるかどうかが行く末を左右する非常に大きな要素になる。基本的には本人には選択することのできないことであるが、そうとばかりは言えない。先に感受性のことを大事な要素として書いたが、周りにあるチャンスを自分のものにすることができるかどうかは、感じ取る感性の有無による。結局、最後に言いたいのは、自分が選択することのできない外的な要素を云々しても始まらないのであって、成長の機会を逃さないようにして、感受性を研ぎ澄まして、目ざとく見つけたなら思い切ってそこに力を集中することである。人生、そうそう勝負の時があるものではない。

 成長にはいくつかの条件がある。最後に大事なのはあくまで主体的な条件である。自ら成長しようとしなくて、どこに成功がころがっているというのだろうか。

2009年11月 8日 (日)

三遊亭圓生 「八五郎出世」

 落語のファンというほどたくさんの演目を知っているわけでもなく、数を聞いているのでもないが、テレビやラジオでたまに聞くと面白い。学生のころは東京に住んでいたので、新宿の末広亭に何度か足を運んだこともある。東京の寄席は色ものよりも落語がメインで、幅を利かせていた。落語家では、生で聞いたことはなかったが、三遊亭圓生が好きである。

 最近は、CDやDVDを買わなくてもYouTubeで聞ける(見れる)のでありがたい。昨日は金馬の「藪入り」と圓生の「八五郎出世」を聞かせてもらった。金馬の落語は映像がモノクロだからかなり古い。この演目は有名で、人気も高いので高座にかかる機会が多く、私も若いころから知っている。奉公に出した息子を3年ぶりで迎える夫婦のやり取りや動作が面白くもあり、愛情にあふれており、思わず心にじんとくる話である。金馬は特に強情っぱりの父親をよく演じている。それがなおさらに涙をさそう。今では失われてしまった親子の情愛である。

 さて本題の「八五郎出世」だが、これも前に一度だけ聞いたことがある、しかし詳しい話の筋は忘れていた。殿様の妾に召された妹が世継ぎになる男子を出産したのをきっかけに、粗忽者の兄がお屋敷に招待される。そこで面白いやつだと見込まれてお屋敷の仕事を任されて出世するという話である。庶民と殿様との会話のギャップが面白いのだが、一番の聞かせどころは、酔っ払って兄が妹のことを心配しながらしんみりと話し出す場面である。身分の差を感じつつも、妹の行く末を案じる兄の情愛が巧妙に、濃厚に演じられる。圓生ならではの、人情の表現である。涙なしには聞けない話である。

 年をとると涙もろくなっていけない。

遺棄された死体の発見

 行方不明になっていた女子大生が死体となって発見された。大学に入って半年余りで人生を断たれ、娘の成長を見守っていたご両親はさぞかし無念であろう。ご冥福を祈るとともに、犯人が早く逮捕されることを願う。

 さて、殺人事件で、遺体が事件の発生現場から遠く離れて発見される事例が多くある。山中もあれば、河川、海岸もある。報道を聞いて思うのは、犯人の思惑に反して(意図的に発見させるという場合もないとは言えないが。)意外に早く見つかってしまうものだということだ。しかし、これを今データで示すことはできない。殺人事件に関するデータベースがあれば容易に分かるだろう。先に犯人が特定された場合を除き(この場合は、拘束して詰問すれば死体の在りかが分かる。)、死体を遺棄した場合に犯行から平均して何日後に発見されているかがはっきりする。
 前もって私の言いたいことを明かしておくと、「人間の行動範囲というものは非常に限られていて、こういう事件でさえ、あるいはこういう事件だからこそ、範囲が限定されてしまう」ということだ。過去に行ったことがなく、しかも人が足を踏み入れない場所に向かうことはなかなか難しい。行き当たりばったりでは捜査情報をまき散らすようなものだし、事前に調査して遺棄場所に見当をつけることも、よほど計画的に行われた犯行でない限り考えにくい。
 死体の運搬はもっぱら自動車によるだろう。死体はわれわれが普通運ぶ荷物に比べて大きくて重たい。したがって、運ぶ手段には車が選ばれる。また、集合住宅から運び出す場合などはあまりに目立ちすぎるので、いくつかに切断する必要がある。ここからは私の全くの想像だが、車を流して女性を漁っていた男(複数も考えられる)の目にとまり、強引に車中に引っ張り込まれ、騒ぎ出したところ手に負えなくなった男が鈍器で殴打して黙らせたという展開ではないか。当地に住んで半年余りで、生活もしっかりしていたということなので、恨みをかうこともなく、金銭トラブルもなかったと推測する。
 男は、死体の処分に困り、いくつかに切断したうえで、それを車のトランクに詰め、過去に走った山道を行く。そして最後の林道の終点に行きつく。当然深夜だから灯りはなく、物音ひとつしない。さらに山林を分け入って進む気力もなく、そこから崖下に投げ捨てたのではなかろうか。そして、数日後(翌日?)には近くの住民の発見するところとなったのである。

 人間は、冒険家でない限り、人が足を踏み入れていない場所には行かないし、行けない。人は、過去に人が歩いた道を進む。山林のなかにも道がある。少なくとも歩いた痕跡がある。そこをたどるしかないのだ。そして、その道から遠くない地点に遺棄する。そうすると土地の人間であればいつもと違った形跡に敏感に反応するだろうから、発見されてしまうのである。早く見つかれば、被害者が特定できる。最近発生した事件と関係づけて捜査が急速に進むのである。
 悪いことをしてもすぐにばれる。人間は、いいことも悪いことも、いろいろなことを考えることができる。しかし、実際の行動は非常に限られたパターンに限られてしまう。それは、身体をもった一つの個体であるからでもあり、物理的にも精神的にも他者との関係の範囲でしか活動できないからでもある。

 重ねて、ご冥福を祈る。

2009年11月 3日 (火)

野村芳太郎 「張り込み」

 松本清張の短編小説を映画化した作品。1958年に、橋本忍の脚本で野村芳太郎がメガホンをとった。1958年といえば私が生れた年である。野村監督は1919年生まれ。加藤周一と同じ年に生まれている。亡くなったのは2005年で、加藤氏よりも3年早い。それでも85歳まで生きている。黒沢明の助監督を務め、監督として山田洋次を育てた。
 野村芳太郎と言えば、なんと言っても1974年の「砂の器」である。そしてそれに続くのは、1978年の「事件」と「鬼畜」だ。私はそれほどたくさん映画を観ている方ではないが、そのなかではいずれの作品も上位に位置づけられる秀作だと思う。

 さて、「張り込み」だが、ある女の主婦としての平凡な生活を追う場面がかなりの時間を占めるので、少々退屈してしまう。全体として地味な映画である。女は年長の銀行員の後妻に入り、先妻の子3人とともに平凡な生活を送っている。3年前に分かれた男が殺人事件を犯して、逃亡中にこの女に接触をする。それを張り込んでいたのが警視庁の刑事2人である。女は無表情で、感情がないかのごとく淡々と生活を送っていたが、昔の恋人に会うや否や大胆で感情豊かな女に変身する。このギャップに、この映画の唯一の面白さがあると言ってよいだろう。高峰秀子が好演している。ちなみに、刑事役は宮口精二と大木実である。
 興味深いのは、この映画から見てとれる(私が生れた年の)世の中の状況である。経済成長はまだ始まったばかりで、生活の様子は今と随分違う。東海道線の急行列車は蒸気機関車で運行している。道路には信号がない。舗装されている道もまだ少ない。舞台になっている佐賀市では、市内の川で子どもたちがまだ水浴びをしている。買い物は道端に並んだ露店でしている。一日の食費が80円。旅館の宿泊費は3食付きで650円である。これから考えると物価はおおよそ現在の10分の1程度だったと考えられる。風呂は石炭で沸かしている。当然ながら、列車にも家にも冷房はない。旅館にさえ扇風機がない。ストーリーは真夏に展開するので、とにかく暑そうである。汗だくの捜査とは、ああいうのを言うのだろう。そんななかにあっても、逃亡中の男と人妻となった女が再会する山中の温泉場には涼しい風が吹いているように感じられた。思い切って二人の生活に足を踏み出せなかった男と女の悲哀がそう感じさせたのかもしれない。

大阪府立大学を訪ねて

 先週初めて大阪府立大学を訪問した。会社で新しく取り組もうとしている事業に関連している府大のプロジェクトについて、M教授に話を聞くためである。
 地下鉄御堂筋線の終点である「なかもず駅」を下り、⑤番出口から出た後、傍にあった喫茶店で食事をとった。そこの売り物はオムライスで、同行したT君はチーズオムレツを注文したが、私はから揚げ定食にした。そのあと、旧街道らしい広くない道をしばらく歩くと、広くて交通量の多い通りにぶつかった。国道310号線である。横断歩道を渡ると、そこは正門である。キャンパスのなかには種類は判らないが背の高い樹木が整然と並んでいて、いかにも大学らしい。こういう雰囲気は久々である。その特に大きくはない正門を入ると、なかは結構広々としている。都会にある私立の大学はもっと窮屈な感じがする。国公立の雰囲気がする。生協や学生会館があったりして、それは普通にある建物だが、全体として地味な感じがする。私は私大の出身だが、私大はもっと派手で、勉学よりサークル活動が前面に出ている。T君によると府大は理系が中心なので授業への出席率がよく、結構まじめらしい。そういうことが背景にあってのこの雰囲気なのだと判った。
 M教授の研究室は、少し小さめの建物の1階にあった。少し狭い感じ。教授の部屋など、サークルの顧問教授の部屋しか入ったことがないので判断できないが、たしかあの先生の部屋は倍ぐらい広かったような気がする。部屋の広さで勝負するわけではないからどっちでもよいのだが、気の毒な気がした。先生には大変希望に満ちた話を聞き、プロジェクトへの参加も検討しようと思いつつ岐路に着いた。人柄もよく、熱意の感じられるM教授だった。

 久しぶりに大学のキャンパスに入り、学生時代が懐かしく思われた。大きく違ったのは、昔は正門付近にたくさんの「立て看板」というものが並んでいた。だいたい、それを出している組織によってお決まりの文句なのだが、あれがないと大学らしさを感じないのは骨董品的人間なのかもしれない。

2009年11月 1日 (日)

川上未映子 「へヴン」

 川上さんは昨年、「乳と卵」で芥川賞を受賞した。その後、次の作品を生み出すことに苦闘する様子が報道されたりして、どんな作品が発表されるか世間の注目を浴びていた。「へヴン」の単行本は、9月1日付で発行され書店に積まれるようになった。私も注目していた一人だったが、すぐに購入せず様子をみていた。しかし、昨日旭屋書店を訪れたときに、帯の「反響続々、発売即重版!」に惹かれて買ってしまった。そして今日一気に読んでしまった。
 「乳と卵」との比較は、片方が短編であることと題材も違うことから単純にはいかないのだろうが、私には随分進歩しているように思えた。前作は、結局のところ何が言いたいのか分からず、大阪弁による親子の会話と卵をぶつけ合うエンディングの面白さが目立ったのだが、今回の作品ではより深い主題が扱われていると思った。そして、その問題に果敢にチャレンジしようとする川上さんの意欲も強く感じることができた。
 題材は中学校における「苛め」である。苛めはおおよそ集団が個人を攻撃する形をとる。しかも公然と行うことなく、見えないところで陰湿に行われる。しかし、苛める側に罪の意識はない。しかも、この小説に登場する二ノ宮と百瀬はともに成績優秀な生徒で自分の行為を正当化する理屈には驚くほど長けている。中ほどから後半にかかるところで、「僕」と百瀬の間で展開される、苛めの「罪」についての論争は、川上さんにとっても最も力の入った部分ではなかろうか。苛める側に罪があり、罰を受けるべきことは明白だが、これを当事者に分からせることは容易ではない。川上さんもそれをよく分かっていて、あえて執拗に百瀬に反論させている。善か悪かでいえば、かれらは悪であるのは間違いないが、そのことを説得しきれない今の時代が歯がゆいのである。私は、ここの行を文字通り歯ぎしりしながら読まざるを得なかった。ここは、まさに、川上さんの大いなる仕掛けだったのかもしれない。かれらは、今の時代に規範とは何かを挑戦的に問うているのである。

 私は、この小説の核心は、コジマの存在だと思う。無抵抗の抵抗は成り立つのだろうか。包み込む、マリア様のような愛は有効たりうるのだろうか。残念ながら敗北感に打ちひしがれざるをえなかった。これもまた川上さんの挑戦であるが、まだ成功していない。最後の事件のあと、コジマはどこに行ってしまったのだろうか。もはや余人の理解するところを超えてしまった彼女は、隔離装置のなかに押し込められたに違いない。もう一度、女神として復活は可能だろうか。川上さんの今後の作品にそれを期待したい。
 最後に。「僕」は「斜視」の手術を受けて、新しい風景を手に入れることができた。それが、未来への希望を象徴するかのごとく描かれているが、ここでそれは、どれだけの意味をもつのだろうか。そんなことで「僕」は解放されないのではないか。コジマが訴えていたではないか。全く本質的な問題ではなかったのだ。川上さんはどういうつもりなのだ。終わり方に不満が残った。

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