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2009年10月12日 (月)

学ぶということ

 学ぶと言っても、その中身はいろいろだ。若者にとって学ぶとは、学校で受ける授業である。そして、その目的は短期的には定期考査でよい点をとることであり、最終的には上級の学校への入試に合格することである。実際に学校で学ぶことのなかには、その後の人生に役に立つこともあるのだが、そのことは生徒にあまり認識されることはない。進学校の生徒には入試に関係する知識が重要視されるだろうし、進学校ではない学校の生徒にしてみれば、まじめに聞いている生徒でさえ、これが何の役に立つのかという問いに対して答えを用意することができるだろうか。

 話は逸れるが、私は仏教系の私学を卒業しているが、宗教の授業と言うのも悪くはない。私がそういう話を好むからかもしれないが、物事を深く考えるきっかけを作るという意味で価値がある。宗教の道に入ってしまうのではないかと案じる方もいるだろうが、ご心配なく。宗教の世界に入って行った人は一人も知らない。そういうものとは関係なく、牧師になった人を一人知っているだけである。これは、私学だからできることで公教育でやったら憲法違反である。意義を感じる人は私学へ行ってください。感性には個人差があるのでご注意を。

 さて元に戻すと、現実的には若者の学びは受験に結びついている。私はそんなものとは関係なく勉強するのだと居直っても、落伍するだけである。そういう人をすくい上げるシステムが日本にはないからだ。まずは、受験における競争に入っていかざるをえない。確かに、自分の経験から言っても、受験勉強がその後のビジネスパーソンとしての生き方に役に立っているかと問われたら、否と答えるしかない。実際に財産として残ったのは、先生が勧めてくれた何冊かの新書本であり、頑張って志望校に合格したことへの自信と誇りである。
 しかし、それは言うほど悪いことでもないように思う。目標に向かって、自分自身の時間やその他の資源をいかにマネージメントしてよい結果を出すかということを学ぶだろう。大抵が、学校や予備校がおぜん立てをしてくれるにしても、当人が背負わなければならない部分も何割かはあるのである。その経験は仕事でも役に立つに違いない。

 大学での勉強はどうだろうか。講義に出て単位を取るだけが目的なら、目標が大学から大企業に変わったでけで受験勉強と変わらないだろう。経験から言えば、役に立つのは、まず、ある程度分野を絞って本を読み、深く考えることである。だが、考えても答えは出ない。その答えの出ないところに意味がある。仕事というものはそんなに簡単に答えが出ないからである。次に、文章を書くことである。勉強会やゼミなどでチューターを引き受け、レジュメをまとめる作業を行うと、非常に力が着く。これは、社会人になってから友人と話をすると共通の認識になっている。最後に、議論する場を持つことである。私の場合は主にサークルだったが、社会科学をやっているといろいろな意見の対立を生むが、自分の意見に対する反論に立ち向かうことがよい訓練になる。対立してもサークルのことなので一時である。気楽な中にも成果は十分ある。

 ということで大学までの学びについて書いたが、それ以降も学びは続く。長くなるので今日はこれで終わりにしたい。機会があれば、社会人にとって学びとは何かを考えてみたい。

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