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2009年10月10日 (土)

灘高校合格者の半生 その一

 これから数回に分けて、佐山さん(仮名)の学生時代の経験についてインタビューしたいと思います。佐山さんは灘高校に入学しましたが、途中で転校し、大学は早稲田に進まれています。少し変わった経歴をお持ちなので面白いと思います。特に受験生をお子さんにお持ちの親御さんには参考になるかもしれません。

 市原 「佐山さんは、小学生時代はどんなお子さんでしたか。」
 佐山 「私は地方の出身者です。地方の農村の小学校でしたので、それほど規模は大きくなくて、三十人余りのクラスが二つありました。成績は良かったですね。しかし、勉強ばかりしているという子供ではなくて、運動も好きでした。部落(地域)対抗のソフトボール大会が伝統的に行われていて、近所の子どもが集まって練習する機会が多かったです。当時は今と違って大人が出て行って指導することはなくて、自分たちでやっていましたね。」
 市原 「スポーツでも目立っていましたか。」
 佐山 「小学校まではね。50m走は7秒台に入っていたし、幅跳びも4mを超えていました。ただし、マット運動は全然だめで、水泳もやっと25m泳げる程度。それから長距離走が苦手でした。」
 市原 「勉強は、どうしていましたか。」
 佐山 「基本的には学校の勉強しかしていませんでした。ただし本を読むのは好きだったから図書室で借りて、少年探偵団やら怪盗ルパンなどを読んでいましたね。私の兄が、家を離れて進学校に進んでいたので、その影響もあって、『自由自在』という学習研究社の参考書を買ってもらい時々勉強していました。農村では参考書を持っている子は少なかったと思いますよ。ましてや塾なんかなかったです。」
 市原 「記憶に残る先生はいますか。」
 佐山 「そうですね、3年4年と担任していただいたS先生は、学習意欲を引き出すのが上手な方で、乗せられて頑張りましたね。このときに勉強する習慣が身に着いたと思います。それから6年の時のK先生も熱心な方で、大変お世話になりました。親父と一緒に何度かお宅に伺った記憶があります。親父といえば、参観日でもないのに学校に来て授業を見ていくことがありましたね。滅多にない話でしょうが、自分は尋常高等小学校しか出ていないのに教育には熱心でした。」
 市原 「お父さんの影響が大きかったんですね。」
 佐山 「それは間違いないです。それから、父の従兄弟が中学校の校長先生だったので。その息子さんが郷里を離れて進学校に進み、次に私の兄が同じ道を行き、さらに私が続いたという流れができたんです。」
 市原 「なるほど。そういうつながりがあるんですね。ただ成績がいいだけでは、単純にその後の人生につながらないですよね。中学を受験しようと思ったのは何年生の時ですか。」
 佐山 「5年生じゃなかったかなあ。先ほど言った『自由自在』をまじめにやりだした時が、受験を意識した時ですから。とは言っても、今の受験生が塾で勉強している時間に比べたらわずかなものですよ。せいぜい2時間ぐらいじゃなかったかと。それでも合格できました。」

 市原 「これから中学の時代に入りますが、ここで切りましょう。」

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