« 灘高校合格者の半生 その七 | トップページ | 今だから言える失敗シリーズ 1 »

2009年10月10日 (土)

灘高校合格者の半生 その八

 市原 「ようやく大学生ですね。」
 佐山 「2年遅れましたので。ここからはお話してもあまり面白いことはないようにも思えます。ほとんど講義には出ずに卒業しましたので、学生らしい生活ではなかったかと。」
 市原 「構いません。講義の中身を聞いても面白くはないので、返っていいですよ。講義に出ないで、何をしていたのですか。」
 佐山 「おもにサークル活動ですね。社会科学系の建て前は学習サークルです。かつて学生運動華やかなりし時代に、講義が流れて勉強できない学生たちが自主的に立ち上げたサークルです。一応、そういうことに理解のあるS教授が顧問に着いてくれていました。OB会が定期的に開かれて、結構有名な大手企業に勤めている先輩が集まりました。」
 市原 「どういった勉強をしていたのですか。」
 佐山 「普段は分科会に分かれて学習会を開いていました。政治学、国際政治学、政治思想史などです。私は政治学が主で、とはいえ古い流れがあって、マルクスやレーニンまで読みましたよ。マルクスはアカデミズムでも取り上げられるのですが、レーニンはまれでしょう。国家論や前衛党の理論などを勉強しました。他にはマックス・ウェーバーも読みました。」
 市原 「ずいぶん難しい内容ですね。結構レベルは高かったのでは。」
 佐山 「大学生としてはレベルは高かったのかもしれません。自覚はしていませんでしたが、後にゼミで普通の学生を話をしてみるとこいつら勉強していないなと思いましたから。サークルからは、現在大学の教授、准教授になっている人がたくさんいますから、そういう意味でも人材があつまっていたのでしょう。私は違いますが。」
 市原 「学生ですから、勉強だけしていたのではないでしょう。」
 佐山 「飲み会は多かったですね。学習会のあとは必ず飲み会でした。飲むために勉強するみたいな雰囲気がありました。上級生が下級生に無理やり飲ませるのは伝統を受け継いでいました。ずいぶん飲まされました。もともと酒には弱かったのですが、この経験で強くなりました。今はまた弱くなりましたが。学生も変わって、飲み会は静かになっているようですね。それから、合宿もやりました。これは全体でテーマを決めて、学習会をやります。そして合宿先で宴会です。帰らなくていいですから、当然酒量が多くなる。乱れましたね。さぞかし、宿の方は迷惑だったでしょう。」
 市原 「他に思い出などは。」
 佐山 「実は、留年しているのですよ。講義に出なかったから、語学で単位が取れなくて。気が着いたら、周りで私だけなんですよ。みんなちゃっかり卒業していった。5年生の時は語学をいっぱいとりました。顧問のS先生の講義もとって、とにかく出席だけはしなさい。そうすれば単位は上げるからと言われました。こういう時にはありがたいですね。それからドイツ語の2人の教授には、電話で就職が決まったから通してくれと懇願して単位をもらいました。あの先生たちも迷惑だったでしょうね。そう言われるとだめだとも言えないし。勝手な言い方ですが、いい先生ばかりでした。」
 市原 「そうして今の会社に入られるのですね。」
 佐山 「就職したときは25歳でした。その後はごく普通のサラリーマンですよ。灘高との関係では、途中で転校したのに、今だに同窓会へのお誘いがあります。できるだけ出るようにしています。皆の職業を見ているとやはり医師が多いですね。ほとんどが大学病院などの大手病院の勤務医ですね。私の学年の連中は優秀で、確か東大の理科Ⅲ類に20数名合格しました。そんな学校は他にはありません。母校ではありませんが、今でも気になる学校ではあります。」

 市原 「以上、8回にわたって佐山さんに語っていただきました。紆余曲折ありましたが、現在では某企業で頑張っているようです。進学校に進んだからといって、皆が順調にいくわけではありません。しかし、それなりに能力のある人たちでしょうから、希望を失わず努力すれば再起は可能でしょう。佐山さんは、いろいろな経験ができて返って恵まれていると語っています。」

« 灘高校合格者の半生 その七 | トップページ | 今だから言える失敗シリーズ 1 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 灘高校合格者の半生 その七 | トップページ | 今だから言える失敗シリーズ 1 »