« 祖母のこと 明治の女・明治の精神 | トップページ | 学ぶということ »

2009年10月12日 (月)

落差が力を生む

 松本清張氏の「実感的人生論」を読むと、学歴コンプレックスが氏に与えた影響の大きさを知る。一文を紹介したい。「もう一つは、高等小学卒という劣等感を払い除けるための努力であった。私は自分が常に蔑視されていることを承知していた。だから負けまいとする意欲はいつも持っていた。私の独学など勿論云うに足りないが、その闘志自体が何か心の支柱のような気がした。大学を出ているくせに、詰らない男に出会うと、やはり安らぎを覚える。大学だけは出たが、その後の勉強を放棄した人達であろう。」(文庫、10頁)
 氏には高等教育を受けたいという意欲が強くあり、その意欲に相当する能力もあったのだが、家が貧しく、高等小学校を卒業後、15歳で給仕に出ることになる。その後、いくつかの仕事を経験するが、学歴による待遇の格差に辟易することになる。その後、朝日新聞に就職し、それが作家への道を進む契機となったが、そこでも職工としてのみじめさを味わったようだ。しかし、その悔しさがあの有名な読書量を生んだことは間違いないので、劣等感なしにあの松本清張は生まれなかったと言っても間違いではなかろう。

 経営コンサルタントの山形琢也氏は、その講演のなかで、「動機はダーティーなほど根強い。」と述べられたが、この学歴コンプレックスもダーティーな動機に入るのだろうか。言いすぎの様にも思うが、理想に燃えることを美しいと定義づけるならば、逆にこの場合はダーティーなのかもしれない。あくまで動機は個人的なものであり、直接的には人に利益をもたらさないからである。とはいえ、その動機を原動力にして生きた結果が、周囲の人々や社会に利益をもたらすことはある。そういう意味では、一概に否定的にとるべきではない。

 自分が求めるものと現実とのギャップが人の行動を駆り立てる力になる。そこで大事なのは求めるものがあるかどうかだ。理想、夢、目標というものがあれば、現実がいかなるものかを感じ、知ることができる。今の状態に疑問を持たず、当たり前なのだと思えば、できるだけ苦痛を感じないで生きることが最良の生き方になってしまう。それとは違う世界、人生があることを知らずに一生を終えるのである。
 それとは違って、何らかの動きが生まれる場合がある。一揆とか乱とか政変とか革命とかいう集団的な行動があった。そこには現状から抜け出して別の世界を求める意思があった。それは自然発生的に生まれたものではなくて、リーダー的な人物が持ち込んだのではないかと思われるが、少なくとも集団にその観念を受け入れる現実的な基礎があったことは事実だろう。それは成功もあり、失敗もあった。実際には失敗が圧倒的に多いのだ。しかし、歴史の転換点にはそういった動きが頻繁に起き、それが方向を変える力になってきたのである。

 理想、夢、目標は今の社会に、職場に、一人ひとりの人間にあるのだろうか。

« 祖母のこと 明治の女・明治の精神 | トップページ | 学ぶということ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 祖母のこと 明治の女・明治の精神 | トップページ | 学ぶということ »