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2009年10月10日 (土)

灘高校合格者の半生 その二

 佐山さんに小学生の時代のお話を伺いました。今回は、中学受験から高校受験が始まるまでの時期についてのインタビューです。

 市原 「受験まえはさすがに勉強したのではないですか。」
 佐山 「そうですね。徐々に時間は増えていったと思いますが、今の子どもたちのように切迫感はなかった。というのも周りには同じような子はいなかったですし、私の場合は兄が行っていましたから、自分も同じようになるだろうという気分があった。親もあまりがみがみ言わなかったし。家は兼業農家でしたから、農作業も手伝いましたね。ただ、私はものすごく無精だったので、それをサボって魚釣りをしていたりしました。親父に思いっきり叱られた思い出があります。」
 市原 「受験の日は緊張しましたか。」
 佐山 「そうですね。田舎から都会、と言っても県庁所在地だから大都会ではないんですが、慣れない土地へ行ったものですから気持が窮屈でしたね。試験のできはまずまずでした。失敗もありましたが、7割ぐらいでいいよと言われていたので落ちたとは思いませんでした。数日後、兄の担任だった先生から、合格したとの電話をもらいました。」
 市原 「下宿して通うことになるのですね。」
 佐山 「そうです。兄は入れ替わりで卒業したので、同じ部屋に入りました。まだ小学校を出たばかりですから子どもなわけで、正直親元を離れるのは辛かったですね。それを経験していますから、家を離れるのは高校からにしたほうがいいと思います。幸いに私は今都会に住んでいるので、息子たちを中学も、高校も、大学も家から通わせることができます。地方にいると、その点は不利ですよ。中高一貫の場合は中学から入らないといけない。難しいですね。そうすると中学は地元で学び、公立の進学高校に行くというパターンがあり得ます。ちょうど、私の同級生はそのコースを進んで大阪大学に入りました。実は、彼の息子も私の長男も京都大学に進んでいて、因縁を感じています。」
 市原 「中学の勉強や生活は順調でしたか。」
 佐山 「先ほど言ったように、親元を離れた孤独感があって、もともと内向的な部分があったところが、もっと広がっていきました。友達も何人かいましたが、学校の外で遊ぶということは皆無で、下宿の部屋で静かにしていましたね。本を読むかラジオを聴くか。ラジオが友達みたいなものでした。番組にハガキを出して、結構読まれたりしていました。当時流行っていた洋楽もいまだによく覚えています。深夜放送も好きでした。」
 市原 「成績はどうでしたか。」
 佐山 「1年、2年とあまり変わらなくて、90人余りの中で30~40番ぐらいで一定していましたね。悪くはないけれど、よく出来るほうでもなかった。3年になると勉強し始めました。実は、2年の終わりごろだったか、高熱が続いて肺炎になりましてね。1週間余り入院しました。それがきっかけで、2年の時に入部していた柔道部をやめたんです。それを機に勉強しようという気になりました。」
 市原 「受験を意識し始めたのは。」
 佐山 「そのころには、もう意識していましたね。」

 市原 「高校受験の話は、次回にお聞きします。」

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