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2009年10月12日 (月)

働くということ

 少し前だが、ブログに、学生時代には自分たちは何も生産せず消費だけを行っている階層であり、働く人たちに引け目を感じていたということを書いた。こういう感覚は当時でもかなり特殊になってきていたのかもしれない。学生運動が活発な時は、学生と労働者が運動を通じて交わる機会があり、そんな場で、働きもしないで偉そうに言うなと罵声を浴びせられることがあったと聞く。そういう経験が先輩から伝えられたので、私にも同じような感覚が身に着いたのだろう。朝まで飲んで始発で帰ることもたまにあったが、アパートがある最寄りの駅で下車し、帰り途をとぼとぼと歩いていると、出勤するサラリーマンとすれ違う。そういう時には、目を伏せて歩いたものだ。
 学生は親の脛かじり。学生は社会にもいろいろ迷惑をかけている。学生に多種多様な割引制度や補助の制度があり、進学しないで仕事をしている人には何もないのだから、ある意味、理不尽な仕組みである。それを正当づけるのは、学生は将来の社会を支えるために一所懸命に勉強するということでしかない。優遇される根拠はそこにしかない。
 学生には、親に対する負い目、社会に対する負い目が前提としてある。すなわち、負債があるのである。働き始める時には、負債を抱えている。だから、まじめに働いて借金を返していくのである。だから、最初は安い賃金で辛抱して働くのである。こういう理屈が今の若い人に通じるだろうか。

 半人前という言葉がある。就職したときには皆半人前である。いつ一人前になるかは人それぞれだが、私の基準で言えば、最低でも10年はかかる。この様な感覚が今の若者にはないのではないか。聞くところによれば、よく出来るからということで評価して責任にある仕事をやらせようとすると、なぜ自分だけがそんなことをしなければならないのだと言って受けない若者がいるらしい。それもかなりの割合だと聞く。それなら、先に給料を上げろと言う論理であろう。しかし、支度金制度じゃあるまいし、先に給料を上げる企業はない。第一、任せたからと言って出来る保証もないのである。リスクは上司がとらねばならない。また、若い社員はどれだけアウトプットを出せるかわからず、会社からすれば持ち出しになっている感覚さえある。学生時代に時給800円ぐらいだった人間が、就職したとたんに少なくとも2倍ぐらいもらう勘定になる。最初は勉強させてもらうぐらいの気持ちが必要なのだが、あまり期待できない。
 何も、若者の給料が高すぎると言っているのではない。働くことは、社会のためであり、負債を返すことであり、そのことを通じて自分が成長し、一人前になっていくのだということを知ってほしいだけである。

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