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2009年10月10日 (土)

灘高校合格者の半生 その五

 さてこのようにして佐山さんは灘高校に通うことになりました。ここからが苦難の始まりです。何が起こったのでしょうか。

 市原 「前回の終わりに言われた、頑張りすぎたという言葉がこれからのキーワードになるのでしょうか。」
 佐山 「全くその通りです。力が抜けた状態ですね。本当であれば、力不足で入ったのだから、最初からそのギャップを埋める努力をしなければならない。しかし、ガス欠ですね。気分が重いし、体も重い。それに、恐ろしく速く授業が進む。特に数学は。一年間で二年分やってしまうのですから、教科書なんか事前に分かっているのが前提です。私はもともと数学が弱いうえに、理解するのに時間がかかる方なので厳しかったです。いよいよ付いていけなくなって、テストでは10点、20点をとっていました。Y先生には呆れられたことでしょう。同じように物理も苦手でした。最近亡くなられたT先生を思い出します。」
 市原 「他はどうだったのですか。得意な科目もあったのでは。」
 佐山 「そうですね、文系の科目は普通というか、平均点から大きく離されることはなかったです。やはり理系の科目ですね。授業を聴いていても分からないのは苦痛です。できない人の気持ちは分かります。苦痛を味わいに学校に来ているようなものです。それでも気が置けない友人がいてくれたらずいぶん癒されたと思うのですが、残念ながら周りに溶け込めない状況が続いたので、だんだん気持が滅入っていきました。そして学校に行く元気も無くなってしまいました。」
 市原 「袋小路に追い込まれた感じですね。そのあと、どうされましたか。」
 佐山 「このままではいけないと思い、自分で病院を探して行きました。確か駅の近くに広告の看板があり、佐野サナトリウムとありました。そこへ行って、診察時間外でしたが先生に話を聞いてもらいました。その時の指導の内容は忘れてしまいましたが、このまま無理して続けない方がよいというアドバイスだったように思います。それから下宿に帰ってきて、さらに悩んだ挙句電車で郷里に帰りました。両親はずいぶん心配しましたが、結局しばらく休学しようということになったのです。それから半年ほどの静養生活が始まります。」
 市原 「その時は、まだ転校は考えていなかったのですか。」
 佐山 「とにかく、休んで回復を待とうということでしたから、復学の可能性も残しました。郷里に帰り、バスで精神科のある病院に通いました。そこで問診を受け、薬を処方されます。薬を飲むと気持ちが落ち着くと言うか、気が大きくなるというか、そんな感じです。病名は抑うつ神経症でした。今でいう、うつ病でしょうか。精神的に不安定な状態が長く続きました。薬を飲むとすごく喉が渇いたのを覚えています。」
 市原 「それで、快方に向かったのですね。」
 佐山 「確かに、よくなって行ったと思います。何もしないでじっとしていると、なにかしたくなってくる。エネルギーが有り余ってくるんですね。それは若さだと思います。クラスメートからは、頑張れという寄せ書きも届けられました。それは今でも大事にとってあります。そんなこんなで、大分、気持も落ち着いてきたので、そろそろ神戸に戻ることにしたのです。しかし、半年も休んでいますから学年は一つ下になってしまいます。そうすると、また知らない連中ばかりになってしまう。したがって、いい方向にはいきませんでした。またまた気分が重たくなり、学校へ脚が向かわなくなる。この間にもいろいろな出来事があったのですが、触れないでおきます。結局は、私も郷里に帰ることを選択したし、両親もその決断を下しました。結果的には、これが最良の選択でした。」

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