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2009年9月26日 (土)

労働と学習

 個人にとっても社会にとっても最も本質的な行為は「労働」である。したがって、健全な社会においては、「労働」を担う人間が主人公として輝きを持つ。

 かつて、働くことが一番大事だという考え方が日本にはあった。そこにはいろいろな考え方が流れ込んでおり、意味も一様ではなかったのだと思う。それは、伝統的な思想の中にもあったし、労働運動のなかにも働く者が社会を支えているという確固たる信念があった。だから、「労働」が軽視され、毀損させられる動きに対しては国民の多くが参加して阻止すべきであったし、一定の成果は残すことができた。
 では、今はどうなのだろうか。非正規雇用が増えた。アルバイトは、自分の労働力を時間で切り売りしなければならない。本来、働いた者には、明日またよりよい労働が可能になるだけの報酬が支払われなければならない。また、将来の日本を考えるならば、夫婦が子をつくり、育てていけるだけの報酬が与えられてしかるべきである。しかし、現実はそこから遠く離れてしまっているようだ。もう一度、社会の基軸はなんであり、何を中心的な価値とするかを論議しなければならない。

 学習は、未熟だから行うのである。子供たちは、将来の生産・労働を担うために時間をかけて勉強する。自分たちは、半人前であり、食わせてもらっているという謙虚さが必要であり、だからこそ頑張って勉強し、その借りを返さなければならない。大人はそのように扱わなければならない。「労働」を軸として、それをより豊かにするために「学習」を位置付けなければならない。この基本的な考え方を共有できれば、それを基準にして教育やその他の政策、あるいは一般大衆の生活の在り方まで、向かうべき方向性が定まっていくのではないだろうか。

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