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2009年9月 6日 (日)

犯罪の原因をどう見るか

 検察の統計資料によれば、平成20年度の刑法犯罪の件数は全体では減少している。おもな減少要因は自動車による過失致死傷の大幅減であり、絶対数が大きいだけにその影響は大である。逆に、傷害や窃盗も減ってはいるものの、もっとも重罪に問われる殺人はやや増加している。
 犯罪が増えたり減ったりする原因はどこにあるのだろうか。犯罪とは、法に抵触し、法によって裁かれる行為であるから、法の定め方やその運用の仕方によって発生が左右される。これは基本的なこととして認識しておきたい。しかし、この点は当面の関心事ではないので、ここでは取り上げないことにする。問題は犯罪行為を誘発する原因である。
 犯罪の発生を説明するにあたって、いくつかの観点があることを知っておきたい。それは、個人の資質の問題から始まって社会的環境に至るまで、幅広く存在している。個人の資質の問題とは、親が乱暴者でその気質を子も受け継いでいると言った、遺伝の問題や特殊な家庭環境の問題を取り上げるものである。次は、当人が育った環境の問題、すなわち、家庭環境から学校を含む地域の環境あるいは人間関係に至る問題である。次の次元は、当人を取り巻く、狭い範囲での社会的環境である。たとえば、職場の状況、具体的には経営状態、待遇、人間関係などである。最後の次元は、広く社会的経済的環境におよぶ領域である。景気の状況、雇用の情勢、構造の変化などが考えられる。
 この四つの次元のどこに重きを置くかは、問題の扱い方にもよる。個々の事件を取り扱う場合と事件をまとまりとして広く一般化して取り扱う場合とでは、違った観点を持つことになろう。当然ながら、後者の方が社会的な見方を必要とする。また、個々の事件を扱う場合でも、その事件の性格によって見方が違ってくる。どちらもマスコミで大きく報じられたが、主婦が近所の子どもを殺害した事件と元派遣労働者が秋葉原で無差別殺人を犯した場合とではアプローチの仕方が違っていたように思われる。後者は、昨今の経済・雇用情勢を反映して社会的な観点での解釈が支配的であった。

 さて、犯罪の扱い方、原因の追求の仕方には様々な角度があることが分かった。では、犯罪はなぜ発生するのかという問いにはどう答えたらよいのだろうか。正直言って、一般化してこうだと言うのは難しい。客観性を気にせず、居直って言ってしまってよいものならば、例えば、いい大人だったらやっていいことか悪いことかぐらいは分かるだろうから、結局、こらえ性がないんだ。それは躾がなってないからだよ、と決めつけることができるだろう。一般の人は、おおよそそういう次元で判断しており、それを批判することもできない。
 問題の整理はできたが、原因について語ることができない。そこで、あえて一つの事件を取り上げて簡単に言及してみたい。それは先ほど触れた秋葉原の事件である。報道のされ方の中心は、彼が派遣労働者として職場を転々としており、そこでは他の労働者とのコミュニケーションが少なく、本人は冷遇されたと感じ、かなりの不満を抱える状況にあったという取材結果だ。これが彼に社会への不信を嵩じさせ、行き場のない怒りが無差別に通行人へと向かい、殺傷行為へとつながってしまったという解釈がなされた。場所が、秋葉原だったのは、そこがネット社会の象徴的地点であり、彼の生きる場がもはやインターネットの世界にしかなかったことの結果だったと考えられている。これらの解釈は、いくつか見なければならない要素の一つとしては妥当であると思う。もっと個人的な問題、彼の親はどういう人で、どういうふうに育てられたか。また子供のころにいじめを受けていなかったかどうか、などを見る必要もあるだろう。しかし、この事件の扱いに社会的視点が欠かせないことは間違いない。それは、彼の責任を軽くしようとする企てではない。ただただ、同じことを繰り返させないために、社会が考えるべきことはないのかを追求したいだけだ。

 犯罪者の追及は、司法に委ねざるをえない。法廷では動機の特定など一定原因の追及もされるが、それは罪の大きさを決める判断材料にされるだけだろう。再発の防止策まで司法が考えてくれるのではない。それは、アプローチの違いによって、教育研究者であったり、心理学者であったり、社会学者であったり、経済の研究者であったり、場合によっては政治家であったりするのである。犯罪者をいくら罵倒したところでその声は本人に届くことはないし、再発を防ぐ力にもならない。専門の研究者が先頭になって、かつわれわれも関心をもって事件の背景を考え、必要な措置をとることが求められるのであり、そのために事実を知ることが大事なのだ。犯罪は小さな芽のうちに摘んでおけば重大化を防ぐことができる。悪い事なら何事も、すそ野を小さくすることが大事なのだ。兆候を見逃さないこと。親も、教師も、職場の上司も、組織のリーダーも、政治家も、それぞれの立場で気をつけなければならない。陪審員制度が始まったが、一番大事なことは、人を裁くことではなく、裁かなければならない人を無くすることである。

 
 

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