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2009年9月 5日 (土)

安泰ではない 第45回総選挙結果より

 落選した自民党の長老たちは、この日が来ることを予想しただろうか。投票日前の報道で苦戦を伝えられてはいても通ると信じていたのではないか。
 スタート位置に着くこと、すなわち党公認の候補者になることは容易なことではないが、とにかく候補になって当選さえすれば、それ以降はまさに安泰。代議士先生として周囲からちやほやされて時間をすごし、当選を繰り返すことにより、いつかは大臣の椅子が回ってくる。これまでは、こういう人生設計ができたのである。
 中川といい、伊吹といい、山崎といい、久間といい、落選の報を受けての表情は茫然自失であった。ただし、逃げ出さずに敗者の弁を語る姿には、最後の意地を感じさせた。それにしても、今回のような劇的な形成の逆転は何度も体験できるものではない。自民の議席と民主の議席が一気に入れ替わった形になってしまった。これは小選挙区制の罠であろう。そもそもこの選挙制度を導入したのは自民党である。思惑としては、もっとも集票能力があったので、これで議席を独占することができると考えたのである。それはしばし効果を発揮した。バランスをとるために合わせて取り入れた比例代表制の議席数は抑えて小選挙区の比重を増し、結果として多数を維持してきたのである。ところが、潮目が変わると、二者択一の図式のなかで、一気に民主へとなだれ込んだ。これを、墓穴を掘ったと言わずして、何というのだろうか。
 北海道の高齢の選挙民が言っていた。中川さんは奢っていたので、ここいらでお灸をすえないとね。自民党は長期政権の上に胡坐をかいていたのである。長期ビジョンがなかったし、個々の政局において誠実な対応を欠いた。人事があまりにお粗末だった。議員のお行儀が悪すぎた。国民はすでに諦めをもって見ていたが、今回はほとほと愛想を尽かしたのである。安倍、福田および中川の辞任はみっともないものだった。また、年金問題のごたごたで、舛添は頑張ったが、民主の議員もそれなりに論客ぶりを国民に見せたことが信頼感をいくらか高める効果をもったように思う。

 自民党の復活はないとは言えない、しかし、長老の復活はない。若返って、いつ議席がなくなっても構わないという覚悟で、政治的信条を貫いて活動に専念することが再生への必須条件である。もはや、この変化の時代に、安泰という言葉はない。

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