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2009年8月16日 (日)

お寺のポスター

 実家の部屋の壁に、お寺からもらってきたポスターが貼ってあった。そこにこう書かれている。「鳥は飛ばねばならない。人は生きねばならない。」

 何かおかしいと思いませんか。実家は禅宗(曹洞宗)の寺の檀家である。仏教、その宗派ごとの考え方について勉強したことはないので分からないが、禅宗ではそのような考え方に立つのだろうか。鳥は放っておいても飛ぶだろう。人は説教しなくても生きるだろう。生きとし生けるものは、生きようとする本能に導かれて生きるのである。

 確かに、より良く生きることは人生の目標となろう。それは人間が持つ精神性のなせる業である。人は生きねばならないという意味が、より良く生きなさいという叱咤の言葉であるならば分からないではないが、それならば鳥が飛ぶことと同列で語ることはできない。鳥は皆飛ぶだろうが、人がより良く生きることは簡単ではないのだから。

 ケチを付けるわけではないが、どう生きるかという問いは、どう働くかという問いに近い意味がある。宗教があまりに現実的な課題に触れると宗教でなくなるのかもしれないが、どう働くのかを問わずして少なくとも現世の幸福を論ずることは不可能と思える。来世の幸福が現世の業の結果であるという理屈によるならば、これまた働き方が問題にならざるをえない。いや、そんなことと人の来世とは全く関係がないという教義を持つならば、それはそれでいい。念仏さえ唱えれば、誰も皆極楽へ行けると説くならば、それは宗教らしい。小難しい考え方は捨て、絶対的なものに身を委ねるだけでよいという教えは極めて宗教的である。その領域にとどめ、他の一切の分野は科学的な営為の対象とすればよいのである。

 難しい話になってしまったが、要は意味の分からないようなポスターは配るものではない。せめて解説ぐらいしてくださいと言いたいのである。

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