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2009年8月16日 (日)

恩田陸 「夜のピクニック」

 ある公立進学校の恒例行事である80km歩行で展開するストーリー。主人公は、ともにこの高校の3年生、西脇融と甲田貴子。二人は異母きょうだいである。融は正妻の子で、貴子は愛人が生んだ子である。父親の葬儀の際に顔を合わせているが、互いの家庭に交流はなく、言葉も交わしたことがない。しかし、同じ町に住んでいることから、同じ高校に進学することになった。1,2年時はクラスが違ったので、お互いに意識してはいても話す機会は生まれなかったが、3年では同じクラスになってしまう。

 貴子は私生児なので記録には残らず、またお互いの家庭も隠密裏にこの件を処理していたので、ごく限られた者にしかこの二人の関係は知られていなかった。ところが、この二人が親しくつきあっている友人たちは、二人の間に何かがあると感じていた。互いに気になる様子を見せながらも、一定の距離を置き、会話も交わさない。一部には、陰で付き合っているのではないかという疑いも持たれていたのだった。

 さてこの小説の中身は、ほとんどが80km歩行の行程における少年少女の会話であり、心の動きであり、関係の変化である。それに対し、市街地から田園地帯へ、田園地帯から海岸通りへ、そしてまた市街地へと移りゆく風景と、朝から昼、昼から夜、夜から朝へと向かう時間の流れが、背景画としての効果を上げている。甲田貴子は、この行程の中で西脇融と言葉を交わし、これまでの過剰に意識し合い遠ざけ合う関係を解消しようと心に期していた。しかし急にそれを後押しするような状況は生まれない。歩きながら語り合う中で友人たちの仲間を思いやる感性を受け留め、次第に心が解き放たれてくる。歩行の疲れが極限近くまで達して、そのことが余計な邪念を振り払ってくれる。そして最後の決め手は、アメリカの大学に進んだ親友である榊杏奈の弟順弥の登場である。わざわざアメリカから駆けつけ、二人がきょうだいであることを強く示唆するセリフを吐く。これでストーリーは急展開し、友人たちの計らいもあって二人で歩くことになり、会話し、打ち解けるのだった。

 読んでいるうちに、せっかちな私としてはストーリーのだらだら感に飽きが来はじめていたが、後半から展開に集中できるようになった。先ほど書いた、順弥が送り込まれてくる仕掛けが効いているのと、丹念に描いてきた友人達の人間性の輪郭が次第にくっきり現れてきたからではないかと思う。皆、それぞれにしなやかで、ある意味利口な少年少女である。それゆえに清々しい青春小説に仕上がっており、読んで損をしない水準に達していると思われる。ここで描かれているのは若年期の一要素、一断面にすぎないけれども、巧妙に一つのお話として完成させているために、違和感なく素直に受けとめることができる。

 この作品は、主に、主人公と同世代から少し上までの若者に読者が多いと思うが、私のような50歳を過ぎた中年にも大変面白かった。それは自分にもこういう青春があったらよかったのにという悔恨の情が、猶のことこの小説を甘美なものに仕立てているためであろうか。

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