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2009年8月 2日 (日)

ジャズの思い出

  学生時代に一度だけ高田馬場にある「イントロ」というジャズ喫茶に行ったことがある。今は理化学研究所に勤務するA君に連れられて行った。ジャズ喫茶というのは、どこでもビルの地下にあるらしい。ここではコルトレーンの曲を中心に流していて、A君はコルトレーンはいいよと言っていた。ジャズ喫茶は、その名のとおりジャズを聴くためのお店なので、会話はご法度で、ただじっとして聴くばかりであった。したがって、ジャズに特別興味のない人間にとってははなはだ退屈な時間であった。

 ジャズと言えば、同じ仲間内でS君も趣味にしていた。S君はいくつかの大学でフランス語の講師を務めながらフランスの現代思想を研究しているらしい。キース・ジャレットのケルンコンサートのレコードを教えてくれたのは彼だった。とにかく、良いから聴けというのである。確かに良かった。特に、酔っ払って帰って聴くと、かき回したコーヒーにミルクを流し込むように脳の中にピアノの音が溶け込んでいく感覚がした。

 同郷のY君と初めて顔を合したのは新宿の「びざーる」だったろうか。店の様子は全然記憶にないが、それからY君とのつきあいが始まった。彼は文学青年で、新宮出身の中上健次をよく読んでいた。気を遣わなくていいのがよいところで、よく彼のアパートへ押しかけたものだ。インスタントラーメンを作って食べ、残った汁にご飯を入れて雑炊にして食べた。そういう食事は後にも先にも、彼のところでしか味わったことがない。そんな心優しき青年も、数年前に御堂筋線構内で脳溢血で倒れ、一ヶ月間意識が戻らぬ状態だった。しかし奇跡的に意識が回復し、現在もリハビリ中である。

 家内と交際中に、ジャズピアニストのチック・コリアのコンサートを聞きに行った。お客はごくまばらで、演奏者もソロだから彼一人で、よく言えばすごくリラックスしたコンサートだった。家内とはまだ公然とした交際ではなかったので、バスもひとつ手前の停留所で降りるなどして人目につかないように行動していた。会うだけでドキドキするような、まだ新鮮な時期だった。

 数日前に、YouTubeでキース・ジャレットを聞いた。音は昔のままだが、同じようには聞こえない。こちらが変わってしまったからだ。音楽であれ、文学であれ、他のものであれ、それを受け止めた人間に何らかの影響を与える。影響を受け、成長する部分がある。成長しているから、同じように聞こえないのである。

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