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2009年8月 5日 (水)

静と動

 静は動の形態の一つである。静は運動が停止した状態ではなく、いくつかの方向に向かう力が一時的に均衡を示しているにすぎない。自然にしても社会にしても、その構成部分は絶えず変動していて、それが組み合わさって運動が大掛かりになればなるほど動きが複雑になっていく。

 経験的に分かる例をあげてみると、大相撲のがっぷり四つの膠着状態がある。土俵の真ん中で四つに組み合って動かない状態が長く続く場合がある。なんとなく、お互いに力を抜いて休戦状態にあるかの様に見えるのだが、実際はまわしを引きあって簡単には動けない状態なのだ。観客から見ていると何ともじれったい取り組みに見えてしまうのだが、当人達は必死に組んでおり、その証拠に汗が滴り落ちているのである。時に水入りとなるが、ある時点を持って勝負は動き、以外にあっさりと決着がついてしまう。力の似通った力士同士だと、がっぷりになるとなかなか仕掛けられないものらしいが、我慢勝負に負けた方が一気に劣勢に回るのである。

 重病で、生命も危ぶまれる瞬間がある。よく、医師が、今夜が山ですね、などと言う。これは生と死の膠着状態がしばらく続き、その均衡が破られた時に、生に傾くか死に傾くかの瀬戸際なのだ。そして、生に傾き転がったならば、以外にスムーズに回復することがあるのだ。

 組織でもこういう状態はある。みな、それなりに頑張って働いているし、戦略も間違っているわけでもない。しかし業績は一進一退だ。企業は、周りの社会と関係なく、独立して動いているのではない。市場があり、競合するライバルがあり、それらを取り巻くもっと大きな世界がある。それらの複雑な動きとの関係で、自分の位置が決まってしまう。自分では動いているつもりでも、周りがその方向に同じように動いてしまうと相対的に静止しているように見えたりする。しかし諦めてはいけない。どこかの時点で、潮目が変わり、一気に動き出すことがあるのだ。自分が生きており、周りも生きているならば、このような動き方をするのである。だから、何事を見るのにも固定的にとらえてはいけない。つねに、固まって見えるものを分解して見つめてみると、様々な要素で構成されており、それぞれが特徴的な動きを示す。それを分析し尽くせば、自分がどこをひと押しすれば、より効果的に外部を動かし、自分の活路を開けるか、知ることができるのである。

 漠然としたことも、見える人には見えるのである。

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