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2009年8月22日 (土)

「自分探し」を考える

 家の近所にある専門学校では夏休みに合わせて体験入学企画を実施している。少子化で専門学校の経営も厳しく、兎に角早めに生徒を集めたいということで多くの専門学校で同様の企画を実施しているようだ。

 その専門学校の前を通り過ぎた時に目に留まったのは、「自分探し」をしてみようという文句であった。最近よく聞く言葉であるが、その時に思ったのは、専門学校というのは特定の専門知識や技能を身に付けるところであって、そこで自分探しもなにもあったものではないということだ。学んでいるうちに、これは自分には合わないと判断して別の道に進む選択はありうるが、よく分からないから入ってみるかでは、授業料の高さと貴重な時間の喪失を合わせて考えるとリスクが大きすぎないか。限定された道に進む場合は、一定の覚悟が必要になるだろう。

 とはいえ、「自分探し」という言葉は、進路に悩む若者の関心を惹く。これは昔も同じだった。どこかに、自分らしく生きる「何か」があるのではないかという思いを抱く。それは、現実的に考えれば、「個人的な興味→趣味、社会的な興味→ボランティア、学ぶこと→学校、働くこと→職場」などの具体的な選択の問題である。時間とお金に余裕があり、モラトリアムの時間を過ごせる青年であればゆっくり考えることもできようが、切羽詰まれば、否応なしにどこかに働く場所を求めなければならない。実際、さしあたって仕事は探すのだけれども、雇用情勢の厳しさもあってアルバイトや派遣労働で食っていかざるをえない若者がかなりの割合でいるのである。そして、そのような境遇にあっても、なお「自分探し」を卒業できず、ふらふらしている者がいる。それは、将来に希望が持てないから抽象的な期待で自分を誤魔化しているのか、曖昧な期待にすがってるから現状から抜け出せないのか。私は前者の要素が強いと思うが、「自分探し」は根強く若者の心に住みついている。

 主体的に考えれば、「自分探し」などはなく、あるのは「自分作り」である。何を学ぶか、どういう仕事に就くか、具体的に生き方を選択し、選んだ道を歩くことである。私のように、50年あまり生きてきた人間にとっては、当たり前のことである。探せば、どこかに転がっているようなものではない。ところで、改めて、「自分」とは何だろうか。これを考えるときに大事なことは、文字通り自分だけを見ていたのではその正体が分からないということだ。周辺との関係を抜きにして、不変の実体としての「自分」はありえない。

 自分の意志で生まれてきた人はどこにもいない。生物学的に親から生命を授かってこの世に生み出されたのである。そして、通常その親と、場合によっては親の親と、また兄弟と家族を形成して育ってきた。第一義的には、自分とは血縁である。従って、親や兄弟を知り、理解することが自分を知ることである。次に、人間はご近所の人たちと付き合い、近所の子供たちと遊び、学び、近所の神社で祭りを楽しんで育ってきた。第二義的には、自分とは地縁である。地域における関係を知ることで自分を知ることができる。以上の基本となる二つの要素は自分を起点に考えると所与のものである。そして次は、自らの選択による関係に入ることになる。それは、具体的に言えば、受験を経て入っていく大学であり、専門学校であり、その後入っていく職場である。そこでの友人関係、師弟関係、上司部下の関係などが自分自身を形成することになる。自分の領域を決め込んでしまって、そこから出ず、人とのやりとりを拒絶してしまったら、その本人の成長はそこでストップしてしまうことになる。

 整理してみると、「自分探し」という言葉を使うならば、「自分探し」とは、自分の周囲と自分との関係の知ることである。そして、その関係をより豊なものに発展させていくことが「自分作り」である。よく大きな業績を残した人が、自分を支えてくれた親に感謝するとか、応援してくれた周囲の皆さんに感謝するとかいうコメントを残している。本人の強い意思があって成果を上げたには違いないが、様々な条件・環境が整っていなければ成就しなかったであろう。それは物理的な条件・環境以上に、人との関係が他に優越していたからである。そういう意味で、感謝の表明は見せかけのパフォーマンスではなく、現実的な根拠があってのものだと言える。もう一つ、付け加えるならば、その当人の業績およびそこに至る過程で、周囲の人たちも励まされ成長したのであろうから、その人々もまた感謝の念を抱くであろうし、抱かなくてはならない。

 青い鳥は、日常の世界の外にあるのではない。

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