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2009年8月 9日 (日)

犯罪防止にかけるコスト、自殺防止にかけるコスト

 凶悪犯罪を含めて犯罪の件数は目立って増えているという認識はないが、拘置所や刑務所が収容人員オーバーで難儀しているという話は聞く。正確なところは定かでないが、刑務所の収容者一人当たりにかかる費用は、月5万円から20万円ほどらしい。数字に幅があるのは考え方の違いで、直接的な費用にとどめるのか間接的な費用を含めるのかで違ってくるようだ。いずれにしても、全国で年間何百億円という単位の税金が投じられていることは間違いない。国家にしても自治体にしても法律や条例というルールを作り、統治しているので、それを破る輩が少ない方が上手く運営できていることになる。犯罪の発生は無いのが好ましいし、ゼロは難しいにしても、少なく抑えられれば、行政としては費用の面でも好都合である。

 ところで、世の中には、罰則の強化によって犯罪を抑止できるという考え方が根強くあるように思う。犯罪を犯すことは全く以て本人の責任であり、悪い人が応分の責めを負うことに何の疑問があろうかと考える。大半の市民にとっては、自分や肉親が犯罪に手を染めるという想定は皆無に近く、それによって犯罪が減るのであればどうぞ厳罰化してくださいという受け止めなのだろう。また、犯罪被害者の肉親がマスメディアに登場することで同情心が昂じているとも考えられる。しかし、それは応急処置的発想であり、より根本的な解決を追求するならば、別の方策が生まれてくるのではないか。

 犯罪の根本的解決には、まず、犯罪発生の原因の追求が必要になってくる。結果論になってしまうが、こういう手を打っていたら犯罪を犯す前に踏みとどまっていた可能性があると考えられる事例を耳にすることができる。原因が貧困や、人間関係の欠如にあるとすれば、社会政策の打ち方やボランティア活動の促進支援策によって元を断つことも可能だ。確かに、対策の範囲が広く、コストもかかることに違いない。それと犯罪者の収監に必要な費用と比べたらどちらが大きいだろうか。前者が大きいかもしれないが、犯罪発生による市民の不安感や過剰な相互監視意識などの除去を合わせて考えると、投資効果は大きいのではないだろうか。

 犯罪者を自分とは違う人間と決め付け、差別化し、排除するという方向は、犯罪に限らず、社会一般に「差別化」として強化されているのではないか。他者との間に、差ではなく、同質性を見出し、いたわり合い、保護しあい、連帯する機運は生まれてきそうにない。違うように見えても、人間なんかたいして違わないよ。みんなちょぼちょぼさという感覚は、昔には今よりもっとあった。大衆に寄り添う知識人も今よりは多くいたはずだ。とはいえ、何もなくなったわけではない。善意の市民、大衆。真面目に考えている知識人。より深く、より根本的に考えている研究者もいる。今声高に叫ばれていること、今進みつつある変化が本当に正しいのか考えなおしてみよう。

 自殺者の増加に対して、それを食い止めるための相談窓口を設置するなどの応急対策をとろうとする動きがある。私は、これは必要なことだと思う。多重債務者を発生させないための対策などやるべきことは多いが、人間は死んだら生き返ることができない。応急処置を行うべきである。

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