« 夏の甲子園観戦記 第3日 | トップページ | 恩田陸 「夜のピクニック」 »

2009年8月12日 (水)

差異と同質性

A:今の世の中を見ていると、何かにつけ差異を問題にしているように思えます。企業が生産したりサービスとして提供する商品は、とにかく差別化することが必須になっています。

B;市場で競争があるから必然的にそうなりますね。機能で差をつけたり、機能が同じなら価格で差をつけることになります。

A:人間も同じように市場に投げ込まれて、これは労働市場ですけれども、競争の結果、他者との差を意識せざるを得なくなっています。

B:現実は、そういう方向性が色濃く出ているわけですが、世の中にはそういった差異を作っていくメカニズムだけがあるのではありません。何か人間の手ではどうしようもないものに見えがちですが、そうではありません。もともと、農業をベースとする社会では共同体の中でその構成員には同類意識があって、少し変わった人間がいれば排除していったでしょう。いわば、同質性が排除の論理を生みだしていた。それが、市場社会へと移っていくと共同体は解体して、他者との同質性のよりどころが一旦失われて、徐々に意識されなくなる。

A:それは資本が求めるからです。労働力は自由であるのが原則です。資本の要請に従って労働力が流動性を持つ方が好都合だし、それによって生産力も増大したのですから。分業が徹底されると、同質性というのは意識されないでしょう。

B;ただし、労働運動や政治的な革新の動きはそれを問題視します。マルクスが、万国の労働者よ団結せよと訴えたのは、本質的に同じ条件下におかれたプロレタリアートがそこから抜け出すためには、同質性を認識して団結する他ないと考えました。大規模生産の場所においては、労働者が政治的に結びつく場が、ある意味用意されますし。ただ、使用する側はそれをよしとしないでしょうけれども。

A:労働者は、先進国ではそれなりの所得も得て経済的に進歩したためなのか、あるいは政治的に懐柔されたためなのか、とにかく組織率も落ちて大人しくなったのは確かですね。いい悪いの判断はできませんが。

B:私はそれは政治的な意味でバランスを危うくすると考えるんです。実際に現場で労働を担う人々の声が使用者や為政者や国民全体に届かなくなると、経済合理性だけが追求されて、生身の生きている「労働者」が毀損される恐れが出てくる。生きているわけだから、最低限生き続けられる条件が必要なんですよ。どれだけ必要かは、やはり当事者の声を聞くことが大事でしょう。大企業中小企業を問わず、所得の差を問わず、一定の範囲で同質性を見出して連帯しないと、声が届きません。政治も動きません。

A:私はそれほど悲観的には考えていないけれども、確かに労働者なんて言葉自体聞かなくなりました。少し前まで、寅さんの映画で聞けましたが。

B:そう言えば、そうですね。今は、どこどこの企業に勤める年収がいくらの誰々さんという認識でしょう。年収が異常なほどクローズアップされている。雑誌の特集にも目立ちますね。決していいことじゃない。

A;確かにね。人間が数値化してしまう。個性がそこに埋没しそうです。ところで、元に戻って、同質性のことですが、どこに同質性を認識して連帯する契機を見つけようとしますか。非正規労働者と正規労働者との間で利害対立が露わになっているかと。

B:それはね、単純に考えると労働者の間のパイの取り合いにしかなりません。私は、非正規と正規の双方が、とはいっても非正規もある程度組織化されていないと話し合いにはなりませんが、協議する場が必要だと思います。そこで使用者の側を入れない共通認識を作り上げる。内の関係では、ワークシェアリングの制度やそれを通じての所得の移動などを方針として決め、双方連帯して使用者側に提起すればいいんです。外に対しては、労働分配率の向上を要求すべきです。大事なのは、非正規も正規も同じ労働者であるという観点を見失わないことです。

A:論理を使い分けるということですね。なにもかもごっちゃにしてはいけないですね。他に大事なことはありますか。

B:そうですね。矛盾するようですが、一人ひとりの人間性における差異を認める懐の広さが欲しいですね。一つの固定的な尺度で持って人間を測り、そこにおける差を絶対的なものにすることとは正反対の内容がある。複数の尺度が共存する社会とでもいいましょうか。多元的な社会という言葉が論壇で使われたことがありましたが、そういう表現になりましょうか。とにかく、バランスが大事なんですよ。何と言えばいいのか、他者と自分はどう違うのかということより、過去の自分と現在の自分とがどう違うのかという比較軸の方が大切な場合だってあるわけでしょう。

A:なかなか難しい問題ですね。個性の比較なんて、いくらでも尺度がありうるでしょう。市場社会では企業の発展にどれだけ寄与したか、ものすごく機械的に判定して人間の評価を行うしかありません。基本的にはそうなる。あとは、企業がそれぞれの評価軸を作って、工夫してくださいと言うしかない。

B:少しは人間的な、一本のものさしでは測れないような生々しい部分を評価してほしい。そういう企業が伸びれば、社会も少しずつ変わるんじゃないかと期待しています。

A:そうなることに私も異論はありません。 

« 夏の甲子園観戦記 第3日 | トップページ | 恩田陸 「夜のピクニック」 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 夏の甲子園観戦記 第3日 | トップページ | 恩田陸 「夜のピクニック」 »