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2009年8月16日 (日)

ファンタグレープの味

 ファンタは私が生まれた1958年に発売されたらしい。ファンタを飲んだ記憶は小学生の時に始まる。ファンタはグレープ味でなければならない。

 それまでにあった清涼飲料水といえば、三ツ矢サイダーと地元のメーカーが作るラムネがあった。当時はまだ一般勤労者家庭の購買力は弱く、地方はなおのことそうであって、毎日サイダーが飲めるほどの生活ではなかった。たまに飲むサイダーとラムネは甘くておいしく、喜んで飲んでいた。さらに、そこにファンタが現れた。ぶどうの果汁は入っていないけれどもぶどうらしき味と香りがして、甘みもうんとあっておいしい。夏の暑い日には、答えられない清涼感と味だった。当時はホームサイズという大きさの瓶入りがあって、それを兄弟で分け合って飲むのだった。しかも、自分の小遣いでは買えないので、祖母から年金で受け取ったお金をせしめて買いに走ったのだった。

 それまでに世間に(とはいっても、身の回りの世間であるが)出回っていないものを初めて口にした時の感動は忘れられないものである。初めて飲んだファンタ、初めて食べた焼き豚、初めて食べたシュークリーム。他にもたくさんの記憶がある。この世にこんな美味しいものがあったとは・・・という感動である。焼き豚の時は、あまりの美味しさにご飯を食べ過ぎてお腹が痛くなった思い出がある。

 今では、それらのものは、いつでも食べられるようになった。特別高価なものではなくなった。そして当り前の味になった。大量に出回り、大量に消費すれば限界効用は逓減していくのである。これから、何が我々を満たしてくれるのか。売る側は、あの手この手で新しい商品を買わせようとするが、少し違うだけで全く新しいものはない。テレビ番組では食べ歩きで、美味しいものがあちらこちらにあるように宣伝するが、どうも無理やり美味しいと言っているように見える。

 そうだ。もはや驚くほど美味しいものなどないのだ。いい素材に適度に手を加えれば、それなりに美味しいものはできあがる。それは普通の美味しさだ。普通に美味しいと思えれば十分なのであって、タレントが目をむき出して競演するのは嘘っぱちなのである。それでは、あのファンタの味はなんだったのだろうか。新しい、未体験の消費社会の到来を象徴する味だったのだろう。それも、洪水のように新たに発売される数多の清涼飲料水に埋没し、目立たなくなってしまった。

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