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2009年7月22日 (水)

人が育つ条件 評価者の存在

 人がその才能を伸ばし、大きく成長するためのはどのような条件が揃っていなければならないのか。これをお風呂の湯船のなかで考えていた。明日の朝礼のネタにしようと思ったのである。

 天才イチローをモデルにして考えてみよう。彼はずば抜けた才能の持ち主だと思うが、自分ひとりで成長したわけではない。技術的に見れば、指導者の存在があるだろう。草野球ならばいざ知らず、プロのレベルは我流では身につかない。加えて不可欠の要素として、よき理解者を見落とすことができない。

 理解者と言っても、二種類ある。一つは、理屈抜きに応援してくれる人々である。肉親から始まって周囲の支持者、ファンまで幅広く存在する。もう一つは、彼を適切に評価してくれる理解者である。今日、強調したいのは、この評価者のことである。才能を伸ばし、実績を残す人間の近くには、有能な評価者がいる。継続的に、かつ客観的に評価してくれる観察者の存在が成長に力を与える。この観察者のおかげで、彼は自分の現在の位置を知ることができるし、どちらの方向へ伸びていったらよいかをも知ることができる。

 何かで読んだことがある。有能な文学者には、彼を正当に評価できる批評家が付いていると。才能は発見されるのである。いくら飛びぬけた才能であっても、その価値の分かる人間に出会えなければただの人で終わってしまうであろう。天才の誕生には、そのそばにもう一人の天才が必要なのである。イチローの場合は、仰木彬だったのかもしれない。

 イチローを例に出して話を始めたが、一般論としてもこのことは言える。一人の少年が伸びゆくためには、彼の理解者が必要だ。それは親かもしれないし、教師かもしれない。どこにかれの良さがあって、それがなぜ良いのかを知らせてくれる。そのことで彼には少なからず自信が生まれ、自分のさらに目指すべき目標を提起してくれる。そういう真の理解者であり、応援団である人々がいてくれたらまさに幸運である。逆に、周りに誰ひとりそのような存在がいなければ、彼の人生は暗く淀んだものになるだろう。

 改めて感じたが、人間は一人で成長できないのだ。私を導く日の光がなければならない。私が光を見つけるのが先か、光が私を見つけるのが先か。それとも人知れず、日陰の低木の様に朽ち果てるか。

 

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