« サラー・チャンのツィゴイネルワイゼン | トップページ | 人が育つ条件 評価者の存在 »

2009年7月20日 (月)

姜尚中とマックス・ウェーバー

 日本経済新聞の日曜日「半歩遅れの読書術jで姜尚中がウェーバーについて書いている。大学入学当時の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」との格闘の思い出である。

 私も大学のサークルでチャレンジした記憶はあるが、結局は十分には分からず解説本に頼って要旨を理解したように思う。学生の間では、最初に読んだのがウェーバーであればウェーバリアンになり、マルクスであればマルキストになると、まことしやかに語られていた。それは今でも当たっているのではないかと思っているほど、説得力のある説である。それだけ、この二人のインパクトが強いということなのだ。

 ここからは、姜尚中の主張をそのまま紹介して、内容についての論評は避けることにしたい。彼の見解に特に異論はないからだ。

 「この本の凄さは、近代資本主義の起源を論じながら、その行く末を、ある意味ではマルクスよりもシビアに見据えていることである。神なき時代の『ニーチェ的深淵』をくぐり抜けたウェーバーの冷めた眼差しは、資本主義をラディカルに批判しつつも、その進歩的な生産力のポテンシャルを肯定的に評価していたマルクスと違って、ほとんどダンテの『神曲』の一節『いっさいの望みを捨てよ』を思わせるほど、悲観的だ。」このあとも続くが、興味の在る方は、7月19日の朝刊を見ていただきたい。

« サラー・チャンのツィゴイネルワイゼン | トップページ | 人が育つ条件 評価者の存在 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« サラー・チャンのツィゴイネルワイゼン | トップページ | 人が育つ条件 評価者の存在 »