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2009年7月20日 (月)

「気分」から「自覚」へ ブログの効用

 気分・感情を言葉にする。言葉を文章に組み立てる。文章を主張として発信する。ブログには普通の日記にはない、目的意識的な行為と緊張感がある。それは、人目に触れることを前提にした表現行為であり、自分の名を明かすかどうかに関わらず、一定の責任を生じさせることになる。匿名をいいことに好き勝手な発言も流通するけれども、こういうのは「気分」の垂れ流しであって、主張ではない。

 主張を表に出すという「自覚」的行為は、自然発生的には生まれない。まれに、感性鋭く、目の前に起こっている現象に対して何かを感じ取り、言語感覚鋭く、平穏な空気にくさびを打ち込む発言をする若者がいるが、これは天性のものであるか、それでなければ余程特殊な環境にいるからであろう。通常は、自分の意見を形にするためにはトレーニングを必要とする。欧米では公教育の場でもこの訓練は行われている。日本でも最近ではその認識が広がり、小学校でもプレゼンのまねごとが行われている。

 ブログの制作は、外から押し付けられたものではなく、自主的な行為である。自分の思いを表現して形あるものにしたいという欲求からスタートした。そして続ける中で、より高い中身を求めるようになってきた。継続は力なりと言うけれども、ただ続けるだけでは大きな力を生みにくい。そこには自覚的要素が不可欠である。時々、到達点を測り、必要に応じて軌道修正が図られて質が向上していく。自分の場合、スピードは遅いにしても、書き始めたころに比べて進歩しているように思える。数をこなすことによって要領を得たという側面もあるし、自分の価値観が整理(必要なものと不要なものを区別して、不要なものを捨てること)されてきたということだろう。

 前にも書いたが、趣味は何かと問われて、ブログと答えることもあるが、決して趣味と言えるほど気楽なものではない。今では、言葉は悪いが、ノルマになっている。書きそびれたからといって誰からも誹りを受けることはない。それでも書くのは、格好よく言えば、生きている証になっているからなのだ。よって、しばらくは書き続けなければならない。次なる自己表現の手段に移る時までは。

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