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2009年7月25日 (土)

津市一身田

 中学生の時期に、津市一身田で下宿生活をしていた。下宿のおばちゃんには大変お世話になったし、通っていた中学の先生方にも熱心にご指導いただいた。しかし、この3年間は自分史のなかでも重苦しい気分のぬぐえない時期であったと言わざるをえない。残念ながら得るものは少なく、次に訪れる挫折への序曲としか捉えることのできない期間である。敢えて積極的にとらえるならば、以後の人生に大きな教訓を与えることになったその「挫折」が、この3年間によって導かれ、生み出されたのだと考えることにより、意味が付与されることになる。

 四畳半の部屋に住み、ラジオを聞くことが最も大きな楽しみであった。NHK、NHKFM、CBCラジオ、東海ラジオ、遠くはTBSラジオ、ニッポン放送、文化放送まで聞いていた。リクエストの葉書をよく投函し、しばしば採用された。特にその当時流行っていた洋楽が好みで、今でも年代別のヒット曲集を買ってきて聴いている。( 「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」「カリフォルニアの青い空」「名前のない馬」など) 深夜放送のパーソナリティーでは、まだ知名度の低かったみのもんた、あまり好きではなかったが人気のあった落合恵子、そして愛川欣也などがいた。名古屋の局では、天ちんこと天野鎮夫、坪井のりおなどがいた。また森本レオが番組を持っていたり、売れる前の板東英二が番組でスーパー回りをしていたことを思い出す。まったく、ラジオなしではありえない生活だった。

 その部屋の窓を開けると種類は分からないが大きめの木が一本植わっていて、その向こうには田んぼが広がっていた。夏には蛙の大合唱があり、部屋の明りに誘われて虫が飛来して網戸にへばりついた。夏は暑く、冬は寒かった。当たり前のことだが、エアコンはもちろんなく、扇風機もなかったと思う。机に向かっていると頬から顎をつたって汗が流れ落ちた。また、アルミサッシなどなく木枠の窓であったため、とにかく冬は寒かった。朝、目が覚めると吐息が白くなったものだ。3年生になるとコタツを買ってもらったが、それまでは今は懐かしい足温器だけだったので、明治時代の苦学生と大差ない生活だった。

 成長期の下宿生活は、食の面でも楽ではなかった。下宿で出される食事はご飯は腹いっぱい食べられるが、おかずは限られていた。とにかく食べられるだけお腹に詰め込んで部屋に戻るが、深夜近くなると必ず空腹になる。小遣いも多くはないからお菓子など買う余裕がなく我慢することが多かった。また試験が近づくと更に空腹の度が高まる。頭を使うと腹が減るということをしみじみ感じた。今思うと、この時期に栄養価の高い肉などをたらふく食べていたら、恐らく身長は2~3センチ違っていたはずだ。

 そんな環境で3年間を過ごした。記憶をたどれば、先生や同級生のことにも触れることができるが、ここではやめておこう。津市一身田。浄土真宗高田派本山、専修寺のある町。考えてみれば、1974年3月以降、一度も足を踏み入れていない領域である。

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