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2009年7月26日 (日)

角田光代 「対岸の彼女」

 この小説は、ともに三十代半ばの小夜子と葵を中心に展開する。小夜子は勤務先で社内結婚し、今は三歳の女児の母親であり、専業主婦である。葵は旅行会社の下請けで生きている小さな会社の社長である。ストーリーは、小夜子の生活を軸にした現在と葵の中高生時代を行き来する形で進んでいく。

 小夜子は夫と娘のあかりの三人でマンションに暮らしている。公園デビューを果たすが、すでに出来上がった母親たちのグループに近寄りがたく、距離をおいていた。娘のあかりも同じように他の子どもたちの輪に入っていくことができない。こういう状況に耐えがたいものを感じた彼女は、再び働き始めることを決意する。なかなか採用にはならなかったが、葵から採用の電話を受け取る。ただし、旅行関係の仕事ではなく、新たに始めようとしているハウスクリーニングの作業であった。

 葵は神奈川に住んでいた中学生時代にいじめを受け、心配した両親は母親の実家がある群馬に引っ越す。入学した高校はあまりレベルの高くない女子高だった。そこでは目立たない女子のグループに入り、他のグループからは距離を置き、大人しくしていた。それでいじめられることは免れた。そんな中でも、心を開いて話ができるのはナナコというクラスメートだった。ナナコとは放課後に、学校から離れた川の岸辺で食べたり飲んだりしながら語り合った。他の生徒がいる前でナナコとつきあうと、いじめの巻き添えになると感じていたからであり、ナナコもそれを気遣ってくれたのだ。ナナコの話は、悲観的な内容が少なく、比較的問題なく、順調に育ってきたように思えた。しかし、周囲から聞こえる噂や実際に訪問した彼女の家の様子からは、そんな順調さは何も感じることができなかった。ナナコは親も近くにおらず、妹は非行グループと行動していたために孤独であり、希望を捨て去ったのだ。

 二年生の夏に、葵は親の反対を押し切って、ナナコと熱海の民宿にアルバイトに出かける。きつかったが、他の事は忘れて仕事に集中することで楽しい夏休みになった。バイトの報酬を受け取って帰ることになったが、ナナコが帰りたくないと言い出す。葵は一見強そうで自立しているかに見えるナナコの心の中の恐ろしく深い空洞を発見した。そういう彼女に同調し、葵も放浪の旅に出ることを決意する。持ち金を節約するために、ラブホテルに泊まったり、ディスコで食べ放題の食事をとったり、男を鴨にして奢らせたりした。それでも所持金は半分以下に減ってしまう。葵は昔にいじめられた連中を思い出し、彼女たちを探し出そうとする。あるファストフードで働いている一人を見つけ、ナナコと二人でカツアゲを行う。7千円を巻き上げた二人は、葵がかつて住んでいたマンションの屋上に向かう。二人はこんな生活を続ける虚脱感から逃げ出し、別の世界へ行きたいと妄想する。明確に死にたいと思ったわけではないが、そんな気持ちに押されて屋上から飛び降りてしまったのだ。世間は、この事件の経過を曲解し、異常性愛の果ての逃避行と書きたてた。またナナコの家庭環境のひどさも報じた。二人とも大きな怪我もなく助かったが、ナナコが転居転校することで離れ離れになってしまった。

 小夜子はハウスクリーニングのトレーニングを受け、作業に自信が持てるようになった。そして自前で注文が取れるように、チラシを作成し、休日もマンションに配布して回った。それを見た住人から注文も入るようになった。しかし、夫や姑との関係は徐々に悪くなっていった。夫は妻が働くことに非協力的であり、ハウスクリーニングという仕事への理解もなかった。また、葵の会社の従業員たちも新しい事業には否定的で、葵の経営手腕にも疑いを抱いていた。結局、従業員たちは辞めてしまい、ハウスクリーニングの企みは頓挫することになり、小夜子は仕事を諦めざるをえなくなった。

 ナナコとの過去を引きずっている葵と現在の生活に確かなものを感じ取れない小夜子。ともにうまく人間関係を築けない弱さがあり、かと言って心底信用できない人間とも要領よく付き合っていく器用さもない。何か確かなものを求めて二人は、もう一度やり直そうと決意して、この作品は終わる。

 葵と小夜子のような問題を抱えた女性は多いのだろう。女性・・・そう、この小説は、小夜子の夫の「女性の労働に対する無理解」以外、男性の問題点には全く触れていない。女の世界の話である。角田光代は基本的に男性の読者は想定していないのであろう。相手の懐に入ってくことを恐れる心。孤独には耐えられないが、深い付き合いもできない。一定の距離を置いた人間関係を望み、かつ、それを失うことを極度に恐れる心性が若い女性を支配しているのではないか。この二人は、そういう状況を極端ではあるが、象徴的に表している。本質的な要素を書きだしていない限り、現代を代表する作品にはなりえない。

 なにが、そういう状況を作り出しているのか。作品のなかで解明されることはない。角田光代には見極めている部分もあるのだろうが、小説の中にその問題は持ち込んでない。示唆程度に表すことは可能であろうが、敢えて避けているように見える、それは小説家としての抑制であり、分別というものだろう。それを解明するのは、社会科学であり、ジャーナリズムの世界である。社会の構造変化とともに人間関係や個々の人間の意識も変化していく。精神は精神で、相対的に自律的ではあるが、社会の構造から自由であることはできない。そのことを認識できた人間の精神が、初めて「自由」なるものを獲得できる。

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