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2009年6月 7日 (日)

バブルは起こる

(せっかく書き上げた文章がトラブルで消えてしまった。非常に悔しいが、再度書くことにする。もとの文章をそのまま再現することはできないが。)

 私は経済理論も金融理論もまともに勉強したことがない。また金融商品、金融派生商品と言った類のものに興味がないので、個人的動機からもそういった情報を収集する習慣がない。経済新聞や雑誌から断片的な情報を得るだけである。しかし、そういうなかにあっても、見たり聞いたり、生活の体験のなかから分かってくる事実がある。今日は、そのなかの一つをここで述べてみたい。

 機関投資家というものがある。生命保険会社、投資銀行、年金組合などである。こういう機関の存立は預かった資金を運用で増やすことが前提となっている。もちろん、預けた側にもリスクを負わしているので、利益が出なければ即崩壊というわけではないが、運用実績がなければ、そもそも資金は集まらないだろう。運用の利回りは、詳しく調べていないので分からないが、たとえば3%というような金利よりはるかに高い設定になっているはずだ。この数字を見て、率直に感じるのは、実体としてある経済の成長率より大きく上回るものだということだ。実体としての富は、人間がコツコツと働いた分だけ増加する。それに対して、資産は「運用」によってどうしてそれだけ増加するのだろうか。

 もともと、投資とは、事業を起こす企業に資金を提供し、企業活動の結果生じた利益の配分を受け取ることを期待して行われるのではないか。その時の技術革新の成果も取り入れて新しい事業を考え、労働者を雇用して操業すれば大きな利益を実現することが可能だった。ところが、経済革新も一定のレベルに達すると、そうは簡単に「儲からなく」なる。そうすると、資金は少しでも利益の期待できるところがあれば、一気にそこに集中することになる。かつての日本のバブルがそうだった。高騰が高騰を生み、その過程で巨額の利益を手にするものが現れた。しかしバルブは崩壊する。自ずと損をする者が現れる。実際、この私もそのうちの一人である。不便な場所で高い家を購入し、高い金利で長期に渡るローンを背負うことになった。私のような勤労者は全国に数百万人発生したと推測される。われわれは、働いて得た所得のかなりの割合をローン返済に充てなければならない。この本質は、バブルによって価値、価格を操作することにより、勤労者の労働の成果物を未来に渡って掠め取ったということである。

 以前に、アジア通貨危機という事態が発生した。このときは海外の資金が大量に流入し、通貨が高騰した。そしてある時一斉に資金が引き揚げられ、通貨が暴落した。マレーシアや韓国などの国々が、この危機の脱出に苦労しなければならなかった。これも一つのバブルであったが、この場合はアジア国民の労働の成果物を海外資本が略奪したと考えることができる。市場経済のシステムのなかで、合法的(ほんとにそうか?)に富の移転を実現させたのである。

 東京大学の岩井克人教授に言わせると、貨幣そのものが、投機という性格を持っている。人は物が欲しいのではなく、貨幣を欲するようになる。貨幣を貯え、それを増やそうとする。株や債券の短期的な売買で増やす、商品の先物取引で増やそうとする。儲かるところに次々と資金を移動させようとするのだ。これが市場経済の不安定さを生む。いや、不安定さこそが「投機的資金」の利益を増やすのである。したがって、今のシステムが続く限り、バブルはなくならない。岩井教授は、資本主義は本質的に不安定なものであるが、これに代わるものはないという。次第次第に危機を深めるのは分かっているのに、代わるものがないというのはどういうことなのだろうか。

 経験的にではあるが、なかり真実に近いところが分かってきた。これを原理的に解明しようと思えば、学問の世界に足を踏み入れなければならない。しかし、残念ながら多くの時間を割くことはできない。勤労の合間をぬって、少しばかり勉強しようと思う。何か解明したいことが生まれた時に、その手段となるのが学問だ。すべての学問がそうだとは言えないが、すくなくとも社会が対象である学問が「目的」になっているのであれば、それは本物ではない。

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