« 自分自身の人格形成 | トップページ | プロレスラーの死 三沢光晴氏逝く »

2009年6月21日 (日)

会社の捉え方

 会社の捉え方は、国によって違うし、時代によっても違うのではないだろうか。たとえば、アメリカと日本では違うだろうし、同じ日本でも高度成長期と現在とでは違うだろう。また、同じ現在でも製造業とサービス業では違いが出るだろう。

 柳井正氏が、自らの著書の中でこう言っている。「会社とは本来、つねに実体がなく、非常に流動的で、永続しない可能性の強いものなのだ。・・・会社とは一種のプロジェクト、期限のあるもの、と考えるべきではないだろうか。」流通業であり、バブル期以降急成長してきたユニクロの経営者らしい見方だと言えるだろう。会社を機能的に捉えていて、アメリカ的であり、現代的である。従業員は成長に合わせ増大しているし、入れ替わりも激しい。組織形態もどんどん変わっている。氏が、実体と捉えない根拠がそこにある。

 逆に、古くから存在している製造業はどうだろうか。高度成長期を経て成長し、多くの設備を有し、終身雇用制度によって社員の入れ替わりは少なくなっている。こういう会社では、仲間意識が強く、それは疑似共同体として家族にまでおよんでいる。目に見える形で大掛かりな設備が存在し、それが今後も存在するだろうと思われている。こういう企業では、会社が実体として捉えられるのである。

 私の勤務先も製造業である。まだ全社員会議が成立するほどの規模であり、名前は全部覚えられないにしても顔はお互いに知っている関係にある。もっと大きな企業に比べれば家族的な雰囲気があり、お互いの生活を守るために協力して会社を発展させたいという意識を共有している。会社は生活・人生の基盤なのであって、まさに実体のあるものと思念されるのである。たまに中途で入社してくる社員がおり、なかには大企業からの移籍組もいるが、その人達からは今までとは違った感覚を持たれていると思う。その人たちの考え方は、基本的に社員と社員の関係は仕事を通じた関係であり、仕事を通じて人格を評価するのである。しかし中小企業では、仕事に入る前に、人として相手を認める。だから、「できない」社員にも居場所が与えられるのである。

 業種や規模で事情が違うだろう。実体としてあり、お互いが認め合い、永続的な発展を望むのも一つのあり方である。流動的機能的で、社員は頻繁に入れ替わり、いろいろな仕事を経験し多くの能力を身に付けていく、そんな会社も一つのあり方である。どちらがいいとは言えないが、社会の変動は後者を多く生み出す流れにある。ただし、それは働く者の身分を極めて危うくさせる危険性に満ちたものであることも事実なのだ。

« 自分自身の人格形成 | トップページ | プロレスラーの死 三沢光晴氏逝く »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 自分自身の人格形成 | トップページ | プロレスラーの死 三沢光晴氏逝く »