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2009年6月14日 (日)

あいだみつを の日めくり

 家のトイレにあいだみつをの日めくりが掛けてある。1日から31日まであって、繰り返し使えるタイプのものだ。昨日13日には、「自分が自分にならないで、誰が自分になるか」という言葉が書かれていた。これをどう解するか。結構、難しい。単純に解釈すれば、自分という人格は自分で育てるもので、人をあてにしてはいけないということだろう。

 自分は、生まれ出た時から自分である。外部から区別される、孤立した個体である。意識の上からも、ものごころが着いた時から自分になる。自分という意識(これを自意識とか自我とかいうのか)は、他者(他者の目)を意識するところから生まれると考えている。何らかの理由で周りから注目される人には、自分について考える機会が生まれる。特別な才能を持っている人。親が特別な地位に就いている人。特別な境遇にある人。などなど。それが、どういう方向に自意識の成長を導くのか、断ずることはできない。ケースバイケースと言う他はないだろう。好意的な評価に答えて順調に育つ場合もあれば、それに反発して自ら成長の芽を摘む場合もあれば、全く予想しない方向に進む場合もありうるだろう。否定的な評価に対しては、それへの反発をバネとして、多少の偏狭さも含みつつ成長を遂げる場合もあるだろうし、マイナスの評価の重圧に屈して歪んだ自意識を許してしまう場合もある。理想を言えば、それぞれの自意識、自我の成長が、社会発展の方向を向いており、発展をさらに促す力になってほしい。しかし、実際は、生身の人間は現社会の到達点を示すものであって、今ある状態を受け入れるしかないのである。

 人間の意識や心理は外からは見えないものである。感じても言葉にできるとは限らないし、言葉になってもそれを口にするとは限らない。人を教育によって成長に導くということは重要な課題ではあるが、一人ひとりの生い立ちや現在の環境、本人の特性などを踏まえて個別のプログラムを組むことは不可能であり、そんなことをやっている学校は聞いたことがない。一定の決まったパターンにしたがい教育を提供し、何か特別な事態が発生した場合に親身に対応できればいい方である。結果的には、どんな境遇に置かれるかによって人間の意識の方向性は決まるのだと思われる。ただし、このことは自らの意識的活動の可能性を否定するものではない。外的な条件が、思っている以上に桎梏となるであろうことを指摘しているだけである。

 外的な条件のなかで最も決定的なものは、家庭環境だろう。家族構成、親の職業、収入などが人格の形成に与える影響ははなはだ大きい。それは、身近な人を見ていて時々感じる時がある。事細かく観察しているわけではないので、ざっくりした想像だが、この人はきっと権威主義的な親に育てられたのだろう。権威主義的と言えば、恐らくこういう職業に就いていたのであろうと勝手に推測している。本人にもそういう自覚はあるだろう。おおよそ、自分がどういう人間かは分かっているものだ。ところが、それを自ら変えていくのは簡単なことではない。出発点は、勇気をもって自分の弱さを表に出して周囲の人にも共有してもらうことだろう。

 さて、あいだみつをに戻ろう。今、題材として使った日めくりには他に30の言葉が書かれている。そのなかには、なるほどと腑に落ちるものもあれば、合点がいかぬものもあれば、曖昧で解釈できないものもある。いずれにしても、いったい何が言いたいのだろうと考える契機になるという意味では有益である。あまりにも考えることの少ない生活の中にあっては、なおさらである。

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